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レオポルド・イクレ ー レースへの情熱 ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


ザンクト・ガレンの 【 繊維博物館 】

ー ニューヨークの展示会

 2022年9月16日から2023年1月1日までの間、ニューヨークのセントラルパークに隣接するアッパーウエストサイドに所在する【 バード・グラデュエート・センター 】のギャラリーで、《 Threads of Power 》と題して、スイスのザンクト・ガレンにある【 繊維博物館 】が所蔵するレース・コレクションの大きな展示会が開催されます。

https://www.bgc.bard.edu/exhibitions/exhibitions/118/threads-of-power

 この展示会はレースを主題としたものとしては、ニューヨークで1981年以来最大規模となるそうです。

 エマ・コーミック女史、ミケーレ・メイジャー氏、イローナ・コス女史のキュレーションによる展示会は5つのストーリーに分かれ、同館の所蔵する素晴らしいアンティークレースの名品が展示されます。

《 Threads of Power 》展の展示の一部
https://www.instagram.com/p/Ch-AJUhuoDN/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

ー 繊維の街・ザンクト・ガレン

 スイスの北東部にある街ザンクト・ガレンは繊維産業の街として知られています。ボーデン湖畔で採取されるフラックス(リネンの原料)により、亜麻織物業が興ったことにより17世紀までこの産業が栄えることとなりました。

 18世紀のはじめに、それまでインドからの輸入に頼っていた綿織物を、ヨーロッパでも生産する試みがおこなわれました。この結果ザンクト・ガレンの亜麻織物も1730代以降綿織物へと移転が進み、18世紀半ば以降は綿織物業が盛んになっていきました。

 1828年には、アルザス出身のJosua Heilmannハイルマン( 1796-1848 )により手刺繍と同等の品質が得られる、世界初の刺繍機が開発されました。1860年にはドイツ人のIsaak Gröbliグレーブリ( 1822-1917 )はこの刺繍機に改良を加えてシフリ刺繍機を発明します。

 産業革命による技術革新の波はバーデン湖畔のこの街にも押し寄せました。有名な修道院のあるザンクト・ガレンの街では、中世以来の伝統的な刺繍産業も続けられていました。この二つが結びつき、2万台以上の自動手刺繍機が街に導入されることになりました。

ハンド・エンブロイダリー・マシン ( 1870年代 )

IKLÉ   ー イクレ家 ー 

ー ハンブルクの兄弟

 このザンクト・ガレンの【 繊維博物館 】のレース・コレクションの中核を為すのは16世紀から18世紀にかけての素晴らしいレースたちです。

 これらのレースたちは、ハンブルク出身のある織物商が深く関わり、それは【 イクレ・コレクション 】として世界中に知られているのです。

 彼の名前はLeopold Ikléレオポルド・イクレ ( 1838-1922 )といい、1838年にハンブルクの織物商モーゼス・イクレと妻ザーラとの間に生まれました。15歳になると家業の繊維業界での仕事をはじめています。

レオポルド・イクレ ( 1919年ごろの写真 )

 レオポルドにはユリウスという兄と、エルンスト、アドルフの弟2人がいました。イクレ家は事業を広げザンクト・ガレンに支店事務所を開くこととなり、そして、1842年生まれのエルンストがこの支社を設立したようです。兄弟は社名を【 イクレ兄弟社 】と改め、それぞれが役割にしたがい活動しました。

 エルンストが1871年にパリ支店を開業することになり、ザンクト・ガレン支社はレオポルドが代わりに経営に携わりました。のちにアドルフが兄を手伝うようになります。

 長兄のユリウスはハンブルク本店を受け継ぎ、生涯この地を離れませんでした。レオポルドはザンクト・ガレンで生涯を終えています。

ー イクレ・コレクション

 レオポルドはいち早く、シフリ刺繍機を導入し家業を発展させました。彼が取り入れた17世紀のレース【 グロ・ポワン 】(1660年頃に流行した東洋的な花のモチーフを重厚な盛り上げレリーフで飾ったニードルレース) や、16世紀から17世紀の刺繍作品を模倣した製品は人気を博し、イクレ兄弟社のビジネスは成功しました。

 そのデザインの源泉となる、アンティークレースや染織品を蒐集し始めたのが彼のコレクションのはじまりでした。

ザンクト・ガレンの【 イクレ・コレクション 】の展示
https://www.presseportal-schweiz.ch/pressemeldungen/die-spitzen-der-gesellschaft-eine-ausstellung-im-textilmuseum-stgallen

 【 イクレ・コレクション 】は、レオポルドの晩年に随時、その一部が【 応用芸術博物館 】などに寄贈されていましたが、大部分は息子のフリッツに受け継がれました。

フリッツがそのコレクションをバーゼルの民俗学博物館や現在の【 繊維博物館 】に寄贈、その残りが数度にわたりオークションにかけられて、【 イクレ・コレクション 】の一部は蒐集家の手から手へと伝えられていきました。


私のコレクション

ー 丸い手書きのタグ

 私のコレクションにも、数は少ないのですが【 イクレ・コレクション 】のレースが2つだけあります。

 稀に販売されているのを、昔は見る機会があったのですが、最近ではあまり見かけなくなりました。

 【 イクレ・コレクション 】には、全てではないのですが、丸いタグが付けられているものも多く、すぐに「彼のコレクションだ!」ってわかるんです。

16世紀末から17世紀初頭にかけて作られた白糸刺繍とカットワークレース
【 イクレ・コレクション 】は丸いタグが目印
16世紀末ごろに作られたカットワーク、スモッキング、刺繍とボビンレースを嵌め込んだカフス
こちらも【 イクレ・コレクション 】の丸いタグが付けられています
1923年に刊行された【 イクレ・コレクション 】のオークションカタログから
カットワークのカフスが所収されています

ー コレクションを受け継ぐこと

 「来歴は気にしないよ。」って方もいらっしゃると思うのですが、私にとってはこの来歴ってとても好きなところでもあるし、とても興味があるんですよね。

 茶道具など、骨董の世界では「来歴がものの価値を上げていく。」ってことはあると思うのですが、私自身はコレクションに箔付けをしたいという気持ちではないのです。

 有名無名を問わず、来歴がわかれば、ほんの少しだけですが、このレースたちを情熱をもって蒐集し、愛情深く大切に守り伝えてくれた人々の思いも併せて、レースと共に受け継ぐような気持ちになれるからなんです。

 【 イクレ・コレクション 】の丸いタグに几帳面に手書きされた文字や、オークションカタログに所収されたレースや刺繍、博物館にある蒐集された染織品、それらを見ると、レオポルドがただ稼業のためのデザイン・ソースとしてコレクションを創り上げたのではなく、本当に古いレースや染織品が好きで、「その世界にのめり込んでいったんだな。」ってことが伝わってくるんですよね。

 来歴を知り、私も彼らがコレクションを愛でたように、ひとつひとつのレースに出会ったときの心の高揚感を忘れず、いつまでも愛情を持って大切にしたいと思います。

 


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