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立ちどまって薔薇の香りを Stop and smell roses

このところ、自分の中でしきりに浮かぶ言葉は、バランス、である。
何においても、成功している人はバランスが取れていると思う。

生きれば生きるほど、この世界、人生というものの複雑さに、はかりしれなさと恐ろしさを感じる。

私たちはみな、毎日、とんでもない綱渡りをしているのではないか。
生まれてからずっと、細い、高い一本の綱の上を歩いている。

今のところ、立ち直れないほど深く落下したことはないようだ。
バランスを崩してもう少しで落ちそうになっても、そばで支えてくれた手がどれだけあっただろう。その手に気づかなかったこともたくさんあったはずだ。
落ちたとしても、まだその綱が大した高さでなくて、ちょっと擦りむいたくらいか。
自分が本当に歩くべき高さと細さの綱に、まだ辿り着いていないということかもしれない。

バランスという言葉はとても広く、曖昧だ。
一人の人間のバランスとは何で構成されているのだろうか?

まずは善き家族。(特に親によって子供の人生は大きく左右される。)最低限の安定した衣食住。基礎教育と、できれば自分の中に眠る素質を開花させるためのさらなる高等教育。優れた師たち。人間関係を学ぶため、そして豊かな恵みを与えあうための友情と恋愛の経験。社会人としての力をつけ、自分の力と存在を証明するための仕事。喜びと探求心、くつろぎのための趣味。自分だけの空間と時間。そして何より自分で使えるお金。もっと望むなら、自分で最愛の人と創る家庭と親という役割。

なんてたくさんあるのだろう。
だが、わがままな願い、贅沢とは思わない。
困るのは、これらどれかを欠くために、他のことがうまくできないという現象だ。
これらは一人の人間として、バランスを取るために必要なのだ。

バランスを崩すと、私たちの危険な綱渡りは一層危険になる。
はるかはるか奈落の底に落ちてしまう人もたくさんいる。
そうなる前に、バランスを取り戻さなければならない。

よいバランスは人によって違う。目には見えないが、円グラフやレーダーチャートを思い浮かべればよい。自分にとって何がどれくらい必要なのか。
どこかに属して、集団として生きると、多数をまとめるための平均的かつ特定のバランスに合わせなくてはならない。それによって自分本来のバランスが限界まで崩れると、うまく心身が動かなくなる。しかし私たちは自分独自のバランスというものをはっきり理解しないまま、限界までがんばろうとする。

私も長い間そのバランスを崩したまま、ある生活を続けて、結果としてパフォーマンスは最低にまで落ちてしまった。自分への信頼、自尊心までなくした。自分のバランスを無視したことは誰のためにもならなかったと気づいたのは、それを止めた後のことである。もっと早く、気づくべきであった。

バランスが取れているとき、人は心地よい、幸せと感じる。
自分のバランスを取り戻すための方法は何だろうか?

私の場合、一輪の薔薇に向き合い、じっと見つめて、香りを吸い込む、と言う行為が思い浮かんだ。
感覚は研ぎ澄まされて、しかしストレスや疲労はなく、ほとんど何も意識しないほどおだやかで、静謐な状態になれる。
薔薇でなくても良い。何か一つの小さな命が一生懸命、咲いている姿に、私は自分の在りたい状態を見て、精神がそれと通い合う。

人によってその「儀式」は違う。
一杯の珈琲をゆっくり味わう人もいるだろうし、大好きな一曲を聴く人、愛車であてもなく走る人、ジョギングする人、黙々と筋トレして汗を流す人、ゆっくりと入浴する人、山に登る人、楽器を弾く人、心から信頼できる人と語り合う人、または純粋に独りの時間を求める人。


すべてを手に入れることができると信じ、または手に入れるのだと決意してがんばることは可能だ。しかし、人生のほとんどは、何かしらが欠けている状態だろう。

誰もがその欠けた何かを求め、鋭い、或いは鈍い痛みを抱えながら生きている。

欲しい欲しいと焦り、無茶をするのではなく、また、なくても大丈夫だと、やせ我慢するのでもなく。
それが欠けていることを認識しつつ、自分の道を、ぼんやりやわらかな光の中に先へ伸びているらしい、というように見て、少しずつゆっくりと求めていく。今日一日、今やろうとしていること一つに集中して。
100%にはならないだろうが、常に自分独自のバランスを考え、1%でも近づけていく。
それはその人にしかできないこと。

一人一人が自分だけのバランスを意識して大切にすることが、その周囲に確実に影響し、広がっていく。それが全体のバランスを調えることになるのではないか。バランスが崩れたままの人は、周囲の個々の人も、場全体のバランスも確実に乱していく。

Stop and smell roses.
立ちどまって、薔薇の香りをかいでごらん。

かつて或るアメリカ人が私に言ってくれた言葉。
はっと打たれて、私の心は立ちどまった。
英語特有のストレートな珠玉のフレーズ。

忙しさに飲み込まれて、身の回りにある小さな、けれど本当に大切なことを逃さないように。
本当の自分を見失わないように。

新潟の越後丘陵公園で見た咲き初めの薔薇
名前を確かめるひまもなく別れた
もう今日は散っているかもしれない


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