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自分に厳しく、優しいあなた



今、少しずつだけど、自分を甘やかせることを意識して実践している。

すると少しずつ世界が変わってきている。
幸福を手軽に感じれることができ、
些細なことに狼狽えなくなった。


今の時代は自分に厳しいことが美徳ではないはず。

何より、自分にフォーカスを当てるということがとっても重要なことだった。


甘やかすって、どうも聞こえが悪い。
謙虚ぶる日本人にはやはり美徳ではないような。

染み付いた文化はなかなか払拭できない。
自分に厳しくしないといけない。
親や先生に、周りの大人たちに、そんな風に教えられて生きてきた。


けれどなぜ、甘やかせる必要があるのか。


一見人のために行動してる人って、自分を蔑ろにしがち。
どうしても自分に厳しいとこがある。

”いい人”とは、
悩める友人がいれば、真摯に相談に乗り、一緒に何が最善か考え、呼ばれたら駆けつけ、自分ごとの様に悩む。
けれど最後はお節介なポジションに。

少し損な役だと感じてしまう人も多いのではないか。


また、人を大切にしている反面、自分を犠牲にしていることには気がついていない。

自分を消耗品のように雑に扱っていたのは、自分自身なのだ。


そんなこと感じもせず、懲りもせず、また人のために動く。

心を消費しながら。



私がそんな自分を”変えたい”と思ったのは、”いい人”が私生活に影響してしまった時だった。


いくら人の助けをしていると息巻いていても、自宅ではイライラしがち。いつも時間に追われ、焦り、余裕がない。気がつけば家族に八つ当たり。
他人のことは無条件に頑張って動いているのに、自分になくなった余裕を家族に求めてしまう。

大事な人を大事に出来ていないのに、なぜ他人のために動いているんだろう、と我に返ったのだ。


自分を大切にできない人が、誰を大切にできるのか。
自分を大切にできない人が、余裕があるわけはない。

ある人に言われた言葉で、ハッとした。

自分を大切にしたことが、記憶になかったのだ。

いつも何かに耐え、乗り越え、強くなった気でいた。

けれどその行動は、家族ができた途端自分だけでなく配偶者や子どもにむけてしまっていたのだ。

とんでもない後悔と罪悪感。


変わろう。
自分が変わるきっかけになった。


とはいえ、相談されたり、あの人最近どうしてるかな、と生粋のお節介はそうそう落ち着いてはくれない。

私は私の好きな人と関わっていたい。
これは私が私でいるための譲れない部分だ。


では何を変えるのか。

この焦りやイライラを自分で解消できたらいいのに、と思った。


そして”余白”を作る、と言うことを学んだ。


ある本では、会社で週休を3日にしたところ売上が上がった、という。
1日働く日が減り、休みが増えたことで、結果的にパフォーマンスが上がり、売上が増えたのだ。

一方で人は無意識に余白を感じると埋めたくなるらしい。
時間に空きがあると何かしら埋め、埋まらなければ暇だと、つまらなく感じる。


余白を価値のあるものに変えるのは、簡単だった。

自分のためだけに、使うのだ。

まず初めに。
ストレス発散で言うと買い物が浮かんだ。

主婦である私は、買い物というと生活用品や子どもたちの洋服。
どうしても自分を後回しにしがち。
思い切って使ったとして、自分にお金を使うことで結果罪悪感を感じ。
それではストレスになる。

では何があるか。


自分で住みやすいように、やれニ○リだIK○Aだ家具だ雑貨だと、買い漁っては自分好みに模索し続け彩ってきた家がある。

しかし揃えても飾っても、未だ満足に至らない。
もっとこうしたい、と日々情報収集によって更新されてしまって。


お金を使うことでストレスになるのに、しかしそうしてまで彩ってきたのに、私は家にいる時間が少ないこと、家にいてもスマホと睨めっこしている自分に気が付いた。


自分を甘やかす。

家で感じるご褒美時間は、ほんの何気ないことだった。
家事や主婦業のお休み時間、と言う”余白”。

ソファーに座ってコーヒーを飲む。
テレビを消して家の中や窓の外の景色を見回す。
スマホでポッドキャストを聞き流し、黙々と手作業で何かしてみる。
今あるもので模様替えをして自分好みに整える。
掃除ではなく、自分好みに整理をして整えてみる。
少し横になって目を瞑る。

そして一時的にも情報を遮断する。


自分のためだけに時間を使う。


お金を使わない日を意識してつくって、
ようやく自分が落ち着けた気がした。


すぐに売れてしまうあの商品を買えても
可愛い服が手に入っても
人より先に流行りの商品が届いても

私はその時喜ぶことはあっても
ずっと続く幸福ではないことに気が付いた。

手に入るまでが目的で、
手に入らなかったら悔しいけれど
そんなものは次から次へと出てくるもので。


終わりのない欲である。


例を挙げると

子育てにおいて甘えとは、本人(こども)が自分から望んだことで、
甘やかしとは、本人が望む前に他者が勝手に与える行為。


そして”甘え”は育児にとって重要であり、将来、幸福度や満足度が感じやすい子に育つと言われている。

しかし後者の”甘やかし”は、与えた者のエゴや承認欲求であると言われていて、よくない影響が与えられる、と言われている。


自分に対してもこれは当てはまるのではないか。

欲しいと思ったものが本当は自分が求めているかどうかではなく、SNSなどに他者の情報によって欲しくなる。

例に挙げた子ども時代の甘えとは、”情報のない子ども時代”だということが重要である。自らの欲求は、”人に左右されないもの”のこと。


自分で自分を甘やかせる、とは、まず自分を認めることなのではないか。

例え買い物が好きでも、家に興味がなくても同じことで。

”何も情報を持たず”ショッピングを楽しむことも、余白を持つ、ということなのではと思う。


自分の本質を知りたいという欲求から、自分を大切にしてみる。
その一歩できっと変わっていく。



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