マガジンのカバー画像

短編小説

481
これまでの作品。
運営しているクリエイター

2020年5月の記事一覧

家族愛

家族愛

 部屋を片付けていると、昔の日記が出てきた。
「ねえ、何を読んでるの?」
 妻が肩を寄せ、日記をのぞき込んでくる。
「あはは、お母さん大好き、だって」
 幼い頃の自分の字。将来の夢はお母さんと結婚することらしい。
「あなたってほんと、マザコンだよね」
 そこがいい。と、僕も妻も思うのだけれど。

***

「ただいまー」
 父の帰宅を知らせる声。僕は幼い声でお帰りと返す。
「おお、今日もちゃんと日

もっとみる

牛乳とあんぱん

 今にも罪悪感に身を滅ぼされてしまいそうだ。
 午後十時、僕の手元には牛乳とあんぱんがある。
 そのひとつの飲み物とひとつの食べ物との出会いは、夜ご飯を食べた後の、僕の中の突然の衝動によるものがきっかけであった。



「ごちそうさまでした」
 夜ご飯を食べ、食器を片付ける。
 腹八分目、いわゆる丁度いいと言われている満腹具合ではあったが、何か物足りなさを感じた。
 台所の食料を漁ろうとしたが、

もっとみる
ツァイガルニクの悪戯

ツァイガルニクの悪戯

 英雄(ひでお)が見つめるテレビ画面の中では、アクション俳優が大勢の敵に囲まれている。
「うわあ、なんて数だよ。これじゃ勝てっこないじゃないか」
 切迫した状況、感情移入して無意識に声が漏れる。
 画面の中の主人公は言った。
「お前らじゃ俺には勝てない。なんせ、俺にはとっておきの秘策があるからな」
 彼が不敵な笑みを浮かべてセリフを吐くと、液晶には「続く」の文字が表示された。
「えええ?そんなとこ

もっとみる

追悼

 小さい頃は奇天烈な姿の虫にハマっていた。
 王道を行くカブトムシや、クワガタといった虫よりも、変わった姿の虫に興味が湧いた。
 中でも寿命が長い虫が好きだった。なぜだろう?なぜだったのだろう。その頃の私には、その理由れがなぜかなんて知るつもりなど毛頭ない。



 やがて可愛らしいキャラクターのおもちゃや、煌めく鉱物などにも興味が湧いた。
 彼らは寿命の長い虫よりもさらに寿命が長く、その上、私

もっとみる
プロ奴隷のすすめ

プロ奴隷のすすめ

 この時代の科学の進歩は「就活」という概念を消し去った。
 誰もが自分にとって最も適した職業を知れるようになったから。
 わざわざ自己理解を深めたり、高い交通費や貴重な時間を削る必要は無い。無料診断アプリのテストを受けさえすれば、適職から仕事場への紹介まで面倒を見てくれる。
 人々の生産性は高まり続け、人類史上最高の栄華を極めつつある。
 ただ、適職が「自分のやりたいこと」であるとは限らない。

もっとみる

イメトレ

 若い女性の乗る普通車が、赤信号に気づかずに直進し、左から来た車にぶつかる。
 左から走ってきた車は激しく損傷したが、信号無視で直進した若い女性の車は走行に問題ない状態にとどまった。
 どうしたことか、女性はその後、猛スピードで車を飛ばして走り去った。
 自宅飲みで酒を楽しみながら、そんなショッキングなドラマのワンシーンを見た、男がひとこと。
「きっとあの女の人、パニックになっちゃったんだろうね」

もっとみる

適職(冒頭小説)

 誰もがその才能を、開花させるべきところで開花させられる時代。
 科学の発展で、適職診断の精度は最高度までに高まっていた。
 今や全人類が「人類」というひとつの巨大な機械生命体を形作る、精巧な歯車と化している。
 政治家になるべき人物が政治家になり、管理職たるべき人物が管理職たりえた。
 この時代に生きるひとりの男がいる。
 歴代最高精度の適職診断ツールが示した、その男の適職は―――
 ―――「奴

もっとみる

真犯人は僕です(冒頭小説)

 その探偵の推理は、奇妙な状況から始まる。
「ちょっと待ってくれよ。犯人は僕だ」
 自分が犯人であると主張する男がひとり。彼の名は正(ただし)。
「嘘でしょ。あなたはいつも嘘ばかり」
 母親が言う。
「そうだ。お前の言葉は信用ならない」
 父親が言う。
「いや、本当に僕が犯人なんだ。な?唯」
 唯(ゆい)。そう呼ばれた妹が、首を縦に振ることは無い。
「正兄ちゃんはやってない。私がやった」
 彼女の

もっとみる
醒めの歯(冒頭だけの小説)

醒めの歯(冒頭だけの小説)

 歯が生えて欲しい。
 そう強く願った。
 虫歯が多かったから。
「銀歯が目立って嫌だ」
 外見は大事。特に、歯は大事だ。
 日本人は歯が汚い。
 だから差がつく。手入れしている者と、そうでない者との。
 僕は大人だ。だからもう乳歯なんて生えていやしない。
 今口の中にあるのは、ミュータンス菌にボロボロにされた永久歯たちと、銀色のお飾り。
「本物の歯が欲しい」
 瞼を閉じて願う。そして祈る。
 寝

もっとみる
全て親のせいだ

全て親のせいだ

 誠也はふたりを憎む。まるでそれが存在意義であるかのように。
 梶原誠也(かじはらせいや)は大手企業の経営者である父と一流外科医である母の間に生まれた。
 両親は自ら憎まれるようなことをして彼を育てたわけではない。愛情を持って彼を育てようとしていたし、周囲の人々から見ても愛情を持って育てているように思われていた。
 なんでも話を聞いてあげたし、息子が欲しがるものは節度を持って買い与えた。
 ただ、

もっとみる

真なる闇の花

 数千年に一度、全ての光が消え失せる日がある。
 太陽はとある星の影に隠れ、電気であろうとなんだろうと、なぜかその日だけは、あらゆる光が消える。
 数千年に一度のその日に、咲く花がある。
 その花が咲くとき、その世界に光は無い。故に、だれもその花の形を知らない。だれもその花を見ることはない。
 されどその花は蕾を開く。
 誰に言われるでもなく、密やかに。
 真なる闇の中。ただ、花を咲かすのである。

仕事屋

仕事屋

 この世界と時間軸を同じとするパラレルワールドでの話。
 どんな問題でも瞬く間に解決してしまう、かつてないほどに優秀な人間が現れた。
 彼にはその比類なき能力相応の大志があった。
「この世界にあるすべての問題を解決したい」
 それが彼の野望である。
 高校時代から学業の傍らで会社を経営していた彼は、大学在学中に更なる会社の規模拡大を果たす。
 彼がトップである以上、社内外問わずどんな問題も解決でき

もっとみる
ひときれのパン

ひときれのパン

 西田史弥(にしだふみや)は算段をつけた。
 ことの発端は、数日前の恋人からのひとことであった。
「ねえ、美味しいもの食べたい。それもとびっきりのやつを」
 眠る前のベッド。五十嵐小夜子(いがらしさやこ)は隣でまどろむ史弥の腕に絡みながらささやく。
 美味しいもの食べたい。なんて抽象的でアバウトなお願いだろう。
 そのお願いに答えるのは、「何が食べたい?」と聞いて「何でもいいよ」と返ってきた時と同

もっとみる
事実は小説より奇なり

事実は小説より奇なり

 今村(いまむら)が探偵になるための専門学校の存在を知ったのは、刺激を求めて転職を考え始めたころだった。
 中小零細企業で事務職として働いていた彼は、日々の退屈な仕事に嫌気がさしていた。
 気まぐれでミステリ小説を読んだ際に、
「そういやあ探偵なんて職業、実際にあるのかなあ?」
 と疑問に思ったことがきっかけである。もちろん探偵という職業は存在する。存在するのだけれども、今村自身としては探偵と名乗

もっとみる