見出し画像

醒めの歯(冒頭だけの小説)

 歯が生えて欲しい。
 そう強く願った。
 虫歯が多かったから。
「銀歯が目立って嫌だ」
 外見は大事。特に、歯は大事だ。
 日本人は歯が汚い。
 だから差がつく。手入れしている者と、そうでない者との。
 僕は大人だ。だからもう乳歯なんて生えていやしない。
 今口の中にあるのは、ミュータンス菌にボロボロにされた永久歯たちと、銀色のお飾り。
「本物の歯が欲しい」
 瞼を閉じて願う。そして祈る。
 寝床の横の窓から見えない星に向かって。
 厚い雲の向こうを飛び去っているかもしれない流れ星に向かって。
「歯が生えて欲しい」
 念じながら、眠りにつく。

※※※

 不思議な夢を見た。
 海を泳ぐ夢。
 それも猛スピードで泳ぎ回る夢。
 人間にそんなことができると思う?
 海の中で猛スピードで泳ぎ回る、なんて芸当が。
 当然できやしない。
 だったら僕は何者だったのだろうか?
 夢の中の自分が何者だったのか。
 きっと知ることは無い。
 夢とは忘れるものだ。
 覚えているとしたらきっと、この夢の中で感じた、体にまとわりつく水の感覚と、何かを食いちぎった時のような―――
 口の中に広がる鉄分の匂いだけだ。
 
※※※

 目を醒ますと、陸の上にいた。
 陸の上に居たのが不自然に思えるのは、昨夜見た夢のせいだろうか。
 ふと、口の中に違和感が生じる。違和感の場所に、口内で舌を伸ばし、感触を確かめる。
「口内炎?」
 口内炎だったらどれほど良かっただろう。
 その違和感を触った舌の先に、痛みを感じた。
 鉄の味。どうやら出血している。
 念のために鏡で確かめる。
 やはり舌の先端から血が出ている。同時に、違和感の主も明らかになった。
「…は?」
 歯、だった。
 それも、鮫のように鋭利な。

サポートいただけると、作品がもっと面白くなるかもしれません……!