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第七話 夢中との再会

「答えは自分の中に」

コーチングで自分の「うちなる答え」を探したいといいながら、当時の私はまだ、会社の看板や肩書きの変わりになる何か、自分の外に「答え」となるものを探していた。自分以外の誰かになろうとしているうちは、「本当の自分の声」に気づくことはできない。そのことに気づけるのはもう少し先のこと。

そんな私ではあったが、そのコーチングは私のそれまで知っていたものとはまるで違い、セッションを進めていくうちに、自分の内側にある「何か」に触れ「ことばの世界が溢れ出す」そんな不思議なものだった。

コーチングの師匠から、いずれ仕事にしたいと思っているのなら、すぐにFacebookとブログを始めるようにと言われ、実際にアカウントをつくり、師匠のつながりや投稿を見て、私は愕然とした。私のこれまでいた世界とは全く別の世界に放り込まれた気がしたからだ。

起業している人たちって、みんなこういう世界にいるものなの?

わたしはこの世界の住人になれるのだろうか?
これが私がしたいこと、生きたい世界?

私にとっては果てしなく遠い世界に見えた。

今の職場以外の「安住の地」を求めてやってきたというのに、むしろとりとめのない「不安」に包まれていく。心から安堵できる日はいつになったらやってくるのだろう・・・。

私はまだ育休中の身で、会社を辞めてもいない。当時はまだ、副業解禁でも、コロナでもない頃の話。「実名」で「顔出し」しなければならないの?「積極的になれない理由」は次々と湧いてくる。

「そんなことじゃダメ、顔出しは必須よ」そう言われても、そうでなければ信用されないって本当なのだろうか?誰も気づかないわよ、そんなこと言われたって、そのリスクの責任を負うのは自分だ。どうしてもモヤモヤを払拭できなかった私は、ビジネスネームで顔出しなしのアカウントをつくった。

一方、ブログの方はというと、仕事とするための「書き方」についてはさっぱりわからないままだったが、まっさらなキャンバスに絵を書くような気持ちになれた。書きはじめてすぐに、夢中になる自分に気づく。

思い出したのは、かつてプライベートのブログを書いていた頃のこと。趣味で続けていたホルンのことや、ペットのオカメインコのこと、お気に入りのカメラで撮った旅行先の写真などをアップして、純粋に「表現すること」を楽しんでいた。

管理職になってからは、日々の仕事に忙殺されて、ブログもノートも開くことがなくなっていた。けれども久しぶりにブログを書いて思いだす。

そうだ、私、書くの好きだったじゃん。

私は久しぶりに「書くことが好きな自分」と再会した。そんなかつての自分とまた一緒に歩きはじめられるかもしれない。そんな予感がして、時間が経つのも忘れるほど、ブログに没頭していった。

明らかに「外に」答えを求めて動き出した私だったが、私を突き動かしたのは、どうしようもなく「言葉にしたい」という内なる衝動の方だったのだ。

しばらくして、初めて会うコーチの人たちから「あなたのブログ読んでたよ。」とブログの話が飛び出すようになっていた。見知らぬ人が私のブログを読んでくれているのかと驚き、自分のうちから溢れる言葉が人の心を動かしているかもしれないと思うと嬉しかった。

とはいえ、この時点ではコーチングが仕事になるのかも、書くことが「好き」を超える何かになり得るのかも、皆目、見当もつかなかった。

生き方、働き方、子育て、家庭、仕事の両立...自分にとっての正解が何であるかは、まだわからない。正直「起業」の世界に馴染めるのかもわからない。それでも、何かを犠牲に生き延びている。そういう生き方、働き方だけはしたくなかった。

育休は刻々と終わりに近づいていく。「起業」が果てしなく遠い世界に見えた私は、迷いながらも職場への復帰を考え始めていた。それでも、一歩踏み出した私に「自分の可能性」を信じることを教えてくれた人は、やはり家族だったのだ。

 

 


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