マガジンのカバー画像

RONIの乳がん

19
2021年3月2日、29歳で乳がんの告知を受けました。 闘病の記録と言うよりは、その時々で私が何を思っていたか、感情の記録です。
運営しているクリエイター

#抗がん剤

酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

「この次の抗がん剤はね、そんなにキツくないから。ここまで来たら後は楽だよ!」
最後の「赤い点滴」(エピルビシン。「赤い悪魔」と呼ばれることも)を吊り下げながら担当の看護師さんが晴れやかに言った。
色とりどりのウィッグで「武装」し、化学療法センターで毎度七五三の子供のようにチヤホヤされたお陰で、私は「抗がん剤やめたい」と思うことなくddEC最終回を迎えた。確かにキツかった。息子を抱き上げられない日が

もっとみる
爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

29歳、春。その視線は、蛇の舌のようにほんの一瞬…しかし確かな湿度と鋭さを持って飛んできた。

目立つことは嫌いではない。というより、幼少期から目立つことに慣れざるを得なかった。幼い頃から1人だけ、細かい縦ロールになってしまう天然パーマのせいで、見られるに限らず笑われる、触られる、指を指される、国籍を間違われるのは日常茶飯事だった。
私は真面目しか取り柄のない子供だったので中学3年まではストパー禁

もっとみる
爆進!ウィッグ道①∽脱毛編∽

爆進!ウィッグ道①∽脱毛編∽

「RONIちゃんって美人だよねー!」
「うん!クールビューティ!!」
高校2年の時、突然クラスの今で言う2軍女子から容姿をベタ褒めされたことがあった。彼女たちは6、7人で、主に吹奏楽部のメンバーで構成されており、絶対的な地位を持ち他を寄せ付けない1軍女子とは違って男女構わず友好的に接する善良な人々だった。そんな彼女たちがわちゃわちゃと、廊下側の目立たない席で友人と2人「原作には描かれてない推しキャ

もっとみる
ddECと私②

ddECと私②

妊娠した時、喜びよりも恐れが大きかった。いわゆる待望の妊娠ではなかったからかもしれない。子どもの頃から神経質で、少し気が滅入ることがあると生理が1週間ズレたり逆にいきなり不正出血したり、到底丈夫ではなさそうな自分の生殖機能にずっと自信がなかった。私は恐らく不妊だ。そう思い込んで生きてきた。だから結婚した時、後々どうせ不妊に悩むのだからと、すぐに妊活に入った。しかし初めての妊活で、私は妊娠した。

もっとみる
ddECと私①

ddECと私①

私は嘔吐恐怖症である。
嘔吐恐怖症という言葉を知るずっと前…小学校高学年の、たぶん冬だった。私はいわゆる「お腹の風邪」にかかって学校を休んでいた。「お腹の風邪」が胃腸炎だったのか、ただ熱による食欲不振で吐いていたのかは覚えていないが、一緒に寝ていた「たれぱんだ」に向かって垂直に吐き散らしたのは覚えている。
そんな症状も落ち着きかけた夜、私は母とコンビニに行った。母が煙草を買いに出るのに、病身の心細

もっとみる