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爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

29歳、春。その視線は、蛇の舌のようにほんの一瞬…しかし確かな湿度と鋭さを持って飛んできた。

目立つことは嫌いではない。というより、幼少期から目立つことに慣れざるを得なかった。幼い頃から1人だけ、細かい縦ロールになってしまう天然パーマのせいで、見られるに限らず笑われる、触られる、指を指される、国籍を間違われるのは日常茶飯事だった。
私は真面目しか取り柄のない子供だったので中学3年まではストパー禁止の校則に従い、時に「ネパール人に似てるね(友人談、真偽不明)」と言われながらも天パのまま過ごした。
思春期に入ったくらいから、ある種の中二病的なスタンスかもしれないが「どうせ目立っているのだからもっと目立ってやろう」と開き直り始めた。学校では生徒会やら演劇の主役やら火の女神という謎の係やらで人前に立ち、プライベートでは富士山麓のド田舎にもかかわらずエスニックファッションで遊びに出掛けた。開き直れば直るほど、「ロナウジーニョ」と呼ばれることも減り、「髪を触らせてくれなければ絶交」と宣言されることもなくなった。そう、「悪目立ちしてしまうときは別方向で更に目立つ」…これが、天パのせいで苛められないようにと私が身に付けた処世術だった。
そして同時に、このような生い立ちによって私は人からの視線に草食動物レベルで敏感になった。誰がどこから、どんな感情を持って視線を投げ掛けているのか、私には手に取るようにわかる。
好意、嫌悪、同情、軽蔑、尊敬、奇異、欲情……天然パーマが過去のものになっても、それが育てた異常な自意識はなくならず、周りから向けられるいろんな思いを都度耳打ちしてきた。
そしてその自意識は、癌患者になったことで一層研ぎ澄まされた。


29歳の春、私は右乳を全摘する手術のため、がんセンターで健康診断を受けた。高級ホテルのような院内をスタンプラリーさながらにタライ回しされ、身体測定、肺活量のテスト、心電図の計測などをこなしたように思う。
がんセンターでは、1つの検査を受ける度、1つのドアを潜る度、生年月日と氏名による本人確認がある。
その日の、何度目かのやりとりだった。
「では、生年月日とお名前をお願いします」
「はい、1991年……」
仕事柄、相手に聞き取りやすいよう声を張ってしまうことがある。私の余所行きの「1991年」という声がアクリル版にぶつかった瞬間、視界の端にサッと動くものを見つけた。その刹那、よせば良いのに私はつい動いたものの方へ振り返ってしまった。
「!!」
お互いが確かに目が合ったと確認し合う、ドロッとした、しかし電光石火のように過ぎる間。
私の目に写ったのは、今まさに検査室へ入ろうとする老婆がこちらを振り返った瞬間だった。
老婆の細く長い首のせいか、蛇が鎌首をもたげたのを見たときのようにドギマギした。見たといえば見た…そんな短い短い時間だったのに、彼女の瞳は鮮明に記憶された。それは蛇の目というよりは舌に近い、湿って、柔らかそうでいて鋭い視線だった。
時は2021年。1991年生まれが何歳なのかを暗算するにはあまりに都合の良い年だった。
「その若さで、何故」
そんなふうに問われている気がした。老婆の目には、同情と、憐れみと、信じたくないものへの拒絶が浮かんでいた。
あの後、何の検査をしたのかは全く思い出せないのに、この苦々しい邂逅はいつまでも忘れられなかった。


2021年6月22日。
私は闘志に満ちていた。今日はddEC2回目。本当なら1週間前に投与するはずだったが肝機能の状態が悪く、休薬期間を取った。謂わば今日は雪辱戦である。何がなんでももう立ち止まらないという気合いのもと、私はなんと頭を丸めていた(実際は息子が際限無く抜け毛を食べるためボウズにしてしまっただけである)。つまり、この日私はとうとう初めてウィッグで外に出たのである。

母が車を病院の玄関に乗り入れる。ドアを開け、勢いをつけて降車する。
玄関前のベンチには、バスやタクシーを待つお年寄りが。玄関からは通院を終えた老若男女が。その中を背筋を伸ばし肩で風を切って進む。
戸惑い、驚き、好奇、呆れ…そんな視線を一身に受ける……主に、頭部に。私の頭には、グレープピンクのウィッグが初夏の日差しを浴びて揺れていた。
思い出すあの春の日。あの老婆の目。もうあんなふうに私に悲劇を見る人はいない。馬鹿な若者が来たと思った?奇抜すぎて恥ずかしい女だと思った?あんな派手な頭をしていったい何歳なんだろうと思った?……それでいいの。こうやって見られたかったの。
「可哀想な若者」だと思われるくらいなら、「頭のおかしい女」だと思われたい。
どうせ目立つなら更に目立ってやろう。中二病の私は、もうすぐ30になろうとする私の中に、確かにまだ生きていたのだ。
望んだ視線をほしいままにして、ピンク髪の下から大量の脳汁とNK細胞が溢れだすのを感じた。どこもかしこもランウェイ気分で、診察室の前では黙っていろはすを啜りながらもお祭り気分だった。

順番が来た。いつもの重い引戸を開ける。
「こんにちはー……お願いしまーす」
「はい」
愛想の無い学者気質の主治医は、挨拶くらいでは顔を上げたりしない。目の前のイスに腰掛ける。
「肝機能、戻りましたね」
そう言いつつようやく私に視線を移した主治医の冷静で眠そうな目が、一瞬ハッと見開かれた気がした。
「じゃあ打てるんですね!よかったです」
「それウィッグ?」
来た。思ったより早く言及された嬉しさと、急に込み上げてきた恥ずかしさとで、私は「あぁ、はい、そうなんです」とへらへらピンク髪を撫で付けた。
「選ぶにしてもまたずいぶんな色を選んだね…」
マスク社会だからわからないが、そう言う主治医の口角は片側だけ上がっていそうな、ニヒルな笑いのこもった声だった。「ずいぶんな色」……やっぱり変か。お祭り気分がスーッと引いていく。祭り囃子が遠退く…。ガッカリしてると主治医は続けた。
「嫌みの無い色だよね」
冷めかけた熱気がパッと戻った。主治医と出会って約3ヶ月、これは恐らくニヒルな彼の精いっぱいの賛辞だろうと私は受け取った。朝の情報番組の占いも良いことだけ信じるし悪いことですら都合よく解釈する私である。
その後も主治医は血液検査の結果や副作用の話をしつつも、ともするとウィッグの話題を掘り返した。「何色なんだろう?紫?」「そういうウィッグの人、乳腺外科では見ないな…子宮頚がんの人にいたかも」「化学療法センターの反応が気になりますね」…彼は日本屈指のガン専門病院からこの片田舎のがんセンターに引き抜かれた医師であったが、このような奇特な患者は持ったことがないようだった。思った以上の食い付きに戸惑いながら、やりすぎたかなぁとボンヤリ反省した。
半分くらいはウィッグの話になってしまった診察を終え、よし点滴だと立ち上がると、主治医が去り際に一言付け加えた。
「化学療法センターの反応をまた教えてください」
今度はマスク社会でも充分にわかる、イタズラっぽい笑みだった。「病院を見ただけで吐き気がするのは自己暗示」と一蹴する皮肉な笑みとも、「この一週間は育児に専念できますよ」と励ます医師らしい笑みとも違う、それは始めて見せる種類の笑みだった。そうちょうど、下らないビックリ箱を届けにくる少年のような……。
そして、女というのは普段笑わない男の笑みにほど惹かれるものである(私だけかな)。このとき私は、主治医の前に毎回違う色のウィッグで現れようと決めた。

主治医の送ったビックリ箱は、化学療法センターの若い看護師たちには照れてしまうほど好評だった。夫にもすっかり言われなくなった「可愛い」の嵐は、三十路直前であっても(だからこそ?)嬉しいものだった。一人の看護師が好奇の目で
「もともとそういう髪が好きだったの?」
と問うてきた。一児の母で教員でもあることは電子カルテで共有されているだろう。その情報と目の前の奇特な女の姿とがどうも噛み合わないのだろう。私は一瞬答えあぐねた。看護師に気づかれないほどに短い時間、私はあの老婆の瞳を思い出していた。が、あの老婆もここの患者である。看護師の前で別の患者のことを悪く言うのは申し訳ない……ピンクの頭をしながらも、公務員らしい変な遠慮は染み付いていた。私は別の、でも嘘ではない理由を探した。
「なんか…こんな若いうちに癌になっちゃったんで、どうせなら若いうちしかできないファッションをしようかなって。若いっつってももう30になりますが」
「すごい!すごい!前向きですね!」
「へへ」
何故だろう。嘘はついていないのに、嘘をついたときと同じ痛みが胸に走った。たぶん、彼女の目に写る私と、私の目に写る私は別人。ウィッグだけに、フェイクなのだ。だって私は、前を向いているつもりはないから。この奇抜な姿は、たぶん、きっと……。
前向きな患者を歓迎しハツラツと去っていく白衣の後ろ姿を見送って、私は眠りに落ちた。

それからは毎回、紫のロングやらブルーグレーのショートやら、様々な色のウィッグでがんセンターを訪れた。売店まで続く広いホールは、床に川の流れを模したタイルの装飾が施され、その左右には患者がくつろぐためのソファが4つずつの塊で円になって並んでいる。その島のど真ん中をブッ飛んだ色のウィッグで歩く。変な人と思われたいがために、歩く。変な人であって、若くて可哀想な人ではないと証明したいがために、歩く。それが通院のルーティンになっていた。
主治医は毎回変わる私のウィッグを、「それは何だ……緑と青の中間?」「紫?」等と楽しみながらも、「いったい幾つ持ってるの?」と鋭い質問も忘れなかった。「数えてないんです」……実際私は数えないようにしていたし、未だに数えたことはない。
化学療法センターでは、私より明らかに若く美しい白衣の天使たちに「30歳には見えないよ」(抗がん剤中に私は三十路に突入し年甲斐もなくカラコンデビューもした)、「もともと美人だから何でも似合うね」、「K-POPの子みたい!」などと看護学校で研修でもしてるのかと思うくらい有難いお世辞をいただき、私は何回針を刺し直されてもニコニコしていた。一度「ビッグサイトにいそう」と言われたときは隠しきれない陰キャの学生時代を思い返して目を細めた。
こうして私は、ラジオ体操でシールを貼ってもらう子供のように、主治医や看護師の反応にワクワクしながら抗がん剤を打ち続けた。


8月、私の抗がん剤はddECからパクリタキセルという薬剤に変わった。初めてのパクリタキセルの朝、私はすでに吐き気を感じていた。パクリタキセルはddECより副作用が軽いと言われているが、アルコールが入っているというのが私にとって大きな不安要素であった。職場で「お酒を飲むとアレルギーが出るんです」という設定にしてから5年、妊娠を機に一滴も口にしなくなってから1年半ほどが経っていた。元々、体質的にはアルコールに強いはずなのに、精神科の薬を飲み始めてから心因性の下戸になってしまった。シチュエーションやメンツによっては2、3口で目眩がしてくる。その傾向は精神科に通わなくなっても変わらず、私はなるべく酒席を避けて生きてきた。
が。そのアルコールを、口からではなく血管に入れるのだ。しかもそれは、「抗がん剤」なのだ。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。嫌になるのも許されない。12週間連続で投与することが効果を高めると医師は言ったのだ。休まず打ちたい。
私はこの日、グラデーションにもメッシュにもなってない、完全にコスプレ用の真っ赤なウィッグを選んだ。瞳には髪色と同じ真っ赤なカラコンを入れた。「ちょっとそれさすがに変だよ」と呆れ返る母を見もしないで「いいの」と突き放した。鏡は何度も見たし、何度見ても、やりすぎでグロテスクな扮装だった。それでも、この真っ赤な髪と真っ赤な瞳でないとその日私はがんセンターに辿り着けない気がした。

診察室に入ると、私のエキセントリックな出で立ちには慣れたはずの主治医も目を丸くした。
「ちょっとそれは……いくらなんでもやりすぎだね」
主治医には高校生くらいのお嬢さんが2人居ると聞いたことがある。きっと娘の格好が気に入らないときは、こんなふうに割りとハッキリ言うのだろうな…。
幼い頃から自意識過剰だった分、そして容姿だけは一流の母から口煩く鍛えられてきた分、審美眼には自信があった。そのため、こんな格好をしてノコノコ現れておきながら、好きでこんな格好をしてるとは思われたくないという矛盾したプライドがあった。私は何に対しての笑いかもわからない笑いを「あはっ」と漏らしてから吐き出すように言った。
「今日から始まるパクリタキセルが怖くて……気合いを入れないとやってられないというか……」
「それが、貴女の感情表現なんだね」
主治医は目を細めた。微笑んでるのではない。見透かすように。
そのとき全てが解った。
そうなんです。
これは、私の不安。これは、私の恐怖。これは、私の怒り。
毎回毎回あなたの好奇心に満ちた笑顔が見たくてピエロになろうとしてきた。でもその奥にあるものを、あなたはお見通しだった。そうだろうとは、思ったけれど。
あの日、前向きだと言われて感じた、嘘をついているような居心地の悪さの正体……
毎度キテレツな髪色をして、胸を張って歩いた。
「さぁ私を見なさい、もっと見て」
そう思っていると自分でも信じいた。でもその実は、
「お願い見ないで。見透かさないで。禿頭で、癌に怯え、子供との将来ばかり案じている私を。見ようとしないで」
という祈りがそこにあった。
派手髪ウィッグは、私の鎧だった。
あの春の日、老婆の視線にたじろいだ、若く不憫な私を隠す鎧。
「そうなんですよ……これで表現してるんです。派手であるほどヤバイんですよ」
主治医に向かって話しながらも、自分に言い聞かせるような声色になった。そしてその口調は、何かを許すようでもあった。
このパーリーな装いが鎧だということを、知っていてくれる人がいる。それだけで私はこれからも、安心して鎧うことができる。「さぁ見なさい」と、大手を振ることができる。

目立つことを厭わない女の自意識過剰なウィッグ道は、癌に怒り、抗がん剤に怯え、将来を憂えるただの人間である私を、誰にも見せないための処世術だったのだ。
主治医に笑われ、看護師に褒められ、Twitterでおだてられながら、私は面白おかしく、色取り取りの鎧に身を包んだ。それは癌治療に負けないための、私による、私のための、私の兵法だった。

……のだが。
抗がん剤終了まで後2回というところの10月半ば、私のTwitterにDMが届いた。
それは、「もし、もしもなのですが、お時間合いそうでしたら、お互いの体調もあるとは思うのですが、少しお会いすることはできませんか…?」という、シンプルで、遠慮がちな、でも切実な申し出だった。








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