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爆進!ウィッグ道①∽脱毛編∽

「RONIちゃんって美人だよねー!」
「うん!クールビューティ!!」
高校2年の時、突然クラスの今で言う2軍女子から容姿をベタ褒めされたことがあった。彼女たちは6、7人で、主に吹奏楽部のメンバーで構成されており、絶対的な地位を持ち他を寄せ付けない1軍女子とは違って男女構わず友好的に接する善良な人々だった。そんな彼女たちがわちゃわちゃと、廊下側の目立たない席で友人と2人「原作には描かれてない推しキャラの日常(つまり妄想)」を小声で語り合いながらお弁当を食べていた私を囲んだ。私は面食らって「え。全然そんなことないよ」と震え声で答えつつも、この手の褒め方は結局自分より可愛い子にはしないヤツだなぁと哀しくなるほど根暗なことを考えていた。というのも、お察しの通り私は三軍どころか四軍でもない、球団入りすら果たせなかった女であり、カッコ付けて言えばナード、率直に言えば陰キャだったのである。当然私と一緒にお弁当をデュフフと笑いながらつついていた彼女も同じタイプで、私が突然わちゃわちゃ称賛されてる姿を金魚のような大きな瞳で黙って見つめていた。そしてその目もまた「ソンナコトナイヨ」と語っていた。当時の私はパッツン前髪のロングストレート。姫カットなどという洒落た切り方はしていなかったので影でも表でも「座敷わらし」と呼ばれていた。そんな私が美人なはずはなく、なんか仲良くしてくれようとしたんだな、ありがとう…とその場を納めようと(実際は堪え忍ぼうと)してヘラヘラ笑っていたところ、最悪のタイミングで隣のクラスのN田が現れた。
N田は隣のクラスの一軍女子で、化粧にミニスカは当たり前、カーディガンの色やエクステをめぐって常に学年主任と不毛な争いをしているギャルだった。彼女は中学から非常に強い卓球選手というギャップも持っており、中高卓球部だった私はN田とは長い付き合いだったのである。このN田は101匹わんちゃんのクルエラにそっくりで(もちろん実写版ではない)見た目だけならこんな酷いことはわざわざ書かないのだが性格までそっくりであった。とにかく意地が悪く、面白いことは言うが全て人を貶める笑いであった。そんなN田は一軍女子にも関わらずクラスで疎外感を抱いていて(でしょうね)時々私のところへ遊びにきていた。
N田は美人だなんだと褒め殺しされている私に「へぇー!よかったじゃんRONI」
と他意しか感じられない声色でニヤニヤと笑って見せた。
あ、終わったな。私は嫌な予感に溜め息を付き、ストンとした座敷わらしヘアを指で鋤いた。これは高校に入ってからの私のクセだった。

翌日。嫌な予感は的中した。N田が昼休みガラケー片手に嬉々として現れたのだ。
「見てこれ!RONIの中学時代!」
「えぇっ?!」
液晶を差し出された陰キャ仲間の友人(彼女も卓球部)は咀嚼していた米が口から溢れないように手で被った。
そこに写っていたのは、全ての毛髪を頭頂でひっつめてオールバックにし、頭頂から入道雲よろしくフワフワとしたカーリーヘアを垂らした私だった。中学時代の卒アルの個人写真である。
そう、私は幼い頃からアジア人らしからぬ酷い天パであり、中学時代には何も接点のない野球部の先輩から大声で「おーい!ロナウジーニョ!」と呼ばれるほどマイノリティな見た目をしていたのである。陰キャなりに高校デビューをし、半年に1回の縮毛矯正と毎朝2時間のヘアアイロンでなんとかこの座敷わらしヘアを維持していたのだ。
N田は残念ながら先日私を褒め称えてくれた2軍女子たちとも交流があり、私の友人の目玉が半分くらい眼窩から突き出したのを満足げに確認すると、すぐさま彼女たちのもとへ駆けていった。追い縋って止めるのも馬鹿馬鹿しく、私はお弁当に視線を落として縮こまった。しばらくすると後方から、優しき2軍女子からの「えー?!すごーい!!全然違う!!」という驚愕と圧し殺した笑いが混じった声が聞こえた。


それから13年後、私は抗がん剤治療により全ての毛髪を失うだろうと医師から説明されたが、上記のような生い立ちもあり何の未練も感じなかった。むしろ、一回全て抜け落ちれば、直毛とは行かないまでも多少落ち着いた髪が生えてくるのではないかと密かに期待した。(尚、この期待は派手に裏切られ、私は現在金髪アフロで過ごしている)

初めての抗がん剤から13日後、当時生後7ヶ月の息子を抱っこしていたときである。前々から息子は私の髪を引っ張るクセがあり、その時も紅葉のような手で私の髪をギュッと掴んだ。いつもならここで「いてててて!ダメよ」と言うことになるのだが、その日は全く痛みを感じず、地肌で泡が沸き立つようなプツプツとした感覚があった。ハッとして息子の手を見ると、ハイジの白パンのような拳から、黒々とした毛髪が何本も覗いていた。
遂に来た……いきなり来た!
私は動悸を堪えながら息子から髪の毛を回収し、予め用意してあった不織布キャップを被った。この10日ちょっと、全く抜ける気配のない髪に、もしや自分は脱毛の副作用を免れたのでは?なんて甘い期待をしていた。「2週間くらいで急に来るよ。急にザカザカ抜けるの」化学療法センターの看護師さんの真剣な目を思い出した。そうだよな、真剣な人の話は真剣に聞かなきゃな…。まさかこんなタイマーをセットしていたかのようなタイミングで脱毛が始まるとは。
その日の夜のシャワーは忘れられない。シャンプーの泡の中を何本もの糸のような髪が漂い、指の股にテグスのように鋭く絡んだ。床だけではなく壁や湯船にも髪が舞い、最終的に排水溝に纏めたときにはハムスターくらいの毛玉になっていた。しかもロボロフスキーでもジャンガリアンでもなくゴールデンである。
髪の要らない私であったが、床を這う無数の黒い筋のグロテスクさにクラクラした。あんなに抜けたのに鏡を見ると、「あらー鋤いて軽くなったわね」程度の変化であった。まだ外には出られるだろう。しかし、このペースで抜けていったら直ぐに落武者になる。
遂にこのときが来た……。アレを出すときが来た。
私は、届いてから1週間放置していた巨大な段ボール箱を自室に迎えに行った。
それは、夫と割り勘で買ってもらったウィッグであった。

私はウィッグを買うのが怖かった。抗がん剤をやると決まった日に用意しておくように言われてはいたが、ようやくネットで買ったのは抗がん剤が始まった次の日だった。ウィッグは、前開きの服や下着と違って、病気にならなければ……そして抗がん剤でもしなければ、私の人生には縁がないものだった。右乳と別れて1ヶ月以上経っているのに、それでもウィッグを買うということは私に「あなたは癌なのよ」ともう一度認めさせる行為だった。そう思いつつも、いかにも病人という風体になる所謂ケア帽子を被るのはどうしても嫌で抗がん剤が始まってからやっと重い腰を上げた。夫とウィッグショップのサイトを見て「これならもとの髪型に近い」「これも似合いそうじゃない?」「せっかくだから茶髪もやりたい」などと話し合いながら全部で7つ購入した。
それらは注文から2日程度で届いた。私は早速そのうちの一つを開封した。靴を買った時の箱に似たサイズの、お洒落なダイヤ柄の箱。あけるとチャック付きの袋に入った黒い塊が見えた。チャックを開き、型崩れ防止のボール紙ごとその塊を引き出した。……ずるん。ぱさっ。毛髪の塊が力無く床にこぼれ落ちた。
「わっ」
私は小さな声をあげ、急いでウィッグを片付けた。脱毛したときと同じような、冷や汗が出そうな動悸。これは…頭だ。ヒトの頭部だ。私は口にするのも恐ろしい罪を犯したような気持ちになり、それ以降自室に段ボールを押し込んだまま近付くこともしなかった。

時は来た。それだけだ……。ウィッグとはたぶん、ハイ!今日から地肌丸見えなので被りまーす!と必要になったその日にいきなり被ってうまく被れるものではないだろう。不器用な私なら尚更だ。いざというときに苦戦してては遅い。脱毛が始まった今日から練習しなくては。生来からガリ勉で用意周到な私である。息子が寝た隙を見てウィッグの詰まった段ボールをリビングに運び込んだ。手の平から汗が吹き出す。すごく難しかったらどうしよう。すごく変だったらどうしよう。ここで躓いたら、私は外に出られなくなってしまう。
得も言われぬプレッシャーを感じながら、先ずはモカブラウンのカーリーなショートヘアを手に取った。それは当時利用したウィッグショップで人気の髪型で、Twitterでも可愛いAYA世代の患者さんならみんな被ってる謂わば流行りの品だった。動画で何回も見た手順通りネットを頭に嵌める。ギュッと締まったネットの圧で、またポロポロ髪が抜けるのを感じだ。その感覚が一層私を焦らせる。いよいよウィッグを手に取り、先ずはスターターセットとかいうのに付いてきたブラシで毛をとかした。粗い網に毛が植え付けられたそれは、やっぱり気味が悪いものだった。耳の上に当たる部分には左右とも三角形のツマミが付いていた。このツマミで正しい位置を探り細かい調整をするのだろう。被ると前髪が前方のフチに巻き込まれるのを感じた。やっぱり一筋縄ではいかない。私は誰に急かされているわけでもないのに大急ぎで前髪を引き出した。奇妙な状態で鏡を見るのが怖かった。私は今日ウィッグに慣れ、そしてウィッグをした自分を気に入らなければならない。でないと、でないと……
鏡を見て、グッと鳩尾に嫌な刺激が走った。そこにいたのは、パンパンに肥えた顔にクリッとしたカーリーヘアをちょこんと乗せたオバサンだった。当時29歳だったが、ものすごくフケて見えた。これはブスだ……。カァッと顔中が火照った。カーリーなショートが真ん丸い顔に似合うわけ無かったのだ。クッキー屋さんの優しそうなオバサンを思い出した。もう嫌だ。ウィッグなんてやっぱり無理だよ。
脱いだウィッグを手にしばらく呆然とした。が、ケア帽子を被って生活する自分を想像して、気を奮い立たせた。ウィッグじゃなきゃダメだ。人から心配される姿でいたくない、そんな自意識過剰なプライドが私にはあった。私はスタンダードなボブを手に取った。色はダークブラウン。これが一番毛があった頃の髪型に近かったからである。ボブならそんなに、ショックを受けないかもしれない。先程の手順で被る。前髪がしっかり出ているのを生え際に指を這わせて確認し、再び鏡を見た。
「おー!いいじゃん!」
息子が寝ているのも忘れて声が出た。そこにいる私は、憧れのサラサラ直毛を手に入れたお姉さんだった。元の髪型に近いながらも、私の生まれつきのクセは無いので縮毛矯正行きたてのような収まりの良さがあった。
私はいそいそとカメラを起動し自撮りをした。正しく着用できているのか確認したい気持ちと案外似合っている気がするから見てほしいという気持ちと半々で……いや、3:7くらいでTwitterに投稿した。
ちょうどその時、散歩から夫が帰ってきた。扉を開けた瞬間、「わーウィッグじゃん!めちゃめちゃウィッグじゃん!」と叫んだ。高揚した私の気持ちは消し飛んだ。やっぱりわかるんだ。このときの私の地毛は、まだこのボブウィッグと同じくらいの長さと量があったが、それでも一瞬で見抜かれてしまった。本当は、「おー!いいじゃん!」と同時に、実は「おー!わかんないじゃん!」とも思ったのだ。そんなことは私の楽観的な贔屓目だったのだ。私は自分の表情筋が困ったような泣きたいような形に震えるのを感じながら、「やっぱわかるかぁ、へへへ」と声だけで笑った。
バカだったな私。舞い上がったりして。苦い重いで先程の写真を乗せた投稿を見ると、まだ数分しか経っていないのに自分の投稿にしては驚くくらいの「いいね」が付いていた。それだけでなく、似合っているとのお褒めの言葉や、美人な女優の名を挙げてその人に似てると言ってくれた人までいた。今にして思えば高校時代のあの時のように大半が……もしくは全部が温かなお世辞だったかもしれないが、バラバラになった自尊心は少しは修復された。

気を良くした私は、もう一度自室に戻り別メーカーのウィッグを持ち出した。実は私は、あれほど憂鬱でセンチメンタルな思いを抱えていたくせに派手髪……いわゆる黒、茶などのベーシックカラー以外の奇抜な色のウィッグも買っていたのである。地毛に強烈なコンプレックスを持っていた私は、あの強情なうねり狂う天然パーマでは到底できない髪型、そして教師という堅実であることが最低条件であるこの職業ではできない髪色をしてみたいと思っていたのである。
そういうわけで、私は紫がかったピンクのショートヘアも買っていたのだ。
こんな色が平平凡凡な顔の自分に似合うわけがない。お遊びだ。ちょっとやってみるだけ。3,000円しない品だ。似合わなければコスプレイヤーの従妹にあげればいい。
そんな誰への言い訳かわからない文句を頭で何度も唱えつつグレープピンクのウィッグを被った。
……鏡の中にいたのは、今まで見たことがない、しかしまるで今までもこうだったかのような、妙にグレープピンクと調和した私だった。
ボブウィッグの時以上に高揚した。それはトキメキだった。こういった奇抜な色はそれこそ、チャラさを売りにしたあの芸人のような整った顔にしか似合わないと思っていたのだ。こんなどこにでもいる顔の私……しかも球団入りすらできない陰キャの私でも、イケてしまうだなんて……。
敢えて大袈裟に言おう。そのとき、道が開けた。
今回はピンクだけど……もしかして金、赤、紫……さらに青なんかもイケるんでは??
何か新しいことが始まるような心地よい緊張感と爽やかな歓喜が私の回りに渦巻いた。
振り返り、皿洗いをする夫のもとにそそくさと近付いた。
「ねぇねぇ、ピンク!どう!」
デート服を見せびらかすような、若き日を思い出すウキウキした気分で夫に声をかける。
夫が手を止め振り向いた。
「わぁ!!クリティカルヒットじゃん!!」
ほーんとにこの男は……

初めてのウィッグ通院は、2日後に迫っていた。




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