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人過於党...人のあやまちは仲間や心の偏りから出る

子曰(のたま)わく、人の過(あやまち)や、
各々其(そ)の黨(とう)に於(おい)てす。
(里仁第四、仮名論語四〇頁)

先師(孔子)が言われた。
「人の過ちは、それぞれの仲間や心の偏りから出るものである」

ピカツドン 一瞬の寂(せき) 目をあけば 
修羅場と化して 凄惨のうめき
 石炭に あらず黒焦の 人間なり 
うづとつみあげ トラツク過ぎぬ
 大き骨は 先生ならむ そのそばに 
小さきあたまの 骨あつまれり
        

正田篠枝『さんげ』より

広島で被爆した歌人の正田篠枝(しょうだしのえ)は、GHQの検閲干渉が危惧されたが、処刑を覚悟してこの『さんげ』を私家版として出版した。
 
昭和二十年八月六日午前八時十五分に広島、
八月九日午前十一時二分に長崎に原子爆弾が落とされた。
が、原爆だとわかる日本人は皆無に等しかった。

トルーマン大統領が発表した
「十六時間前、米国航空機一機が
 日本陸軍の重要基地である広島に
 爆弾一発を投下した。(略)
 それは原子爆弾である。
 宇宙に存在する基本的な力を
 利用したものである」
という声明で、日本の物理学者も原爆と知った。

昭和二十年十二月までの原爆による死者は
広島で約十四万人、長崎で約七万人。
熱線、爆風、放射線による大量、無差別の殺傷であった。

広島への投下がウラン型爆弾、
長崎はプルトニウム型であったことは、
原爆投下が軍事的な判断からではなく、
政治的な決断によって行われ、
かつ実験という要素が有ったことは
まぎれもない事実である。

孔子の言葉に
「人の過(あやまち)や、
 各々其(そ)の黨(とう)に於(おい)てす」
(里仁篇)
とあるが、人の過ちは、
確かに仲間や心の偏りから出ることが多い。
自分や自分達とは違うという違和感から出る差別がそれである。

肌の色、話す言葉、信じる神、
文化や習慣にも、
始めに抱いた何となく違うという違和感が
いつの間にか嫌悪感に膨らみ、
憎悪、排斥、迫害へと止めどもない。
米国による日本での原爆投下にその差別が見え隠れする。

敗戦から七十九年目を迎えた。
戦争体験のない我々団塊の世代は、
戦争の愚かさを語れても、
その悲惨さを語れない。

二〇二一年一月、
あの戦争と昭和という時代を書き続けた
作家、半藤一利(はんどうかずとし)が亡くなった。

四月、綿密な取材と分析で真相に迫る
ジャーナリスト立花隆(たちばなたかし)が亡くなっていた。
立花隆は言う。

「原爆投下直後、広島と長崎は、
 この世の終りと言いますか、
 ほとんど地獄のような状況に置かれたわけです。
 〈言葉もない〉という状況です。
 それでも何とか見聞きしたことを
 日常的な言葉で書けば報告文になる。
 あるいは普通の言語表現の方法を越えた表現をしようとすれば、
 そこに創作文としての文学が生まれるわけです。
 こうした戦争のリアルな実態を
 伝える文学を通してこそ、
 戦争体験者と非体験者のギャップを
 埋めることができるのではないか、と考えています」

立花隆『「戦争」を語る』より

この八月は、半藤一利の
『日本のいちばん長い日』
(昭和二十年八月十四日正午から
 二十四時間のうちに起きた出来事を記す)、
立花隆の『天皇と東大』
(東大を舞台に日本の近現代史と天皇制を語り、
 学生や青年将校に影響を与えた東大教授平泉澄、
 東大出身の陽明学者安岡正篤他についても克明に記す)
を精読し、
日本を守るために戦って亡くなられた英霊や、
銃後にあった多くの無辜(むこ)の人々の犠牲を
しっかりと記憶し、次の世代へ語り伝える八月としたい。

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