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連作短編集『Lの世界~東京編』#2 第ニ章:由梨子

東京に暮らすL(レズビアン)たち。新宿二丁目のバーやクラブで遊び、SNSアプリで交流を広げ、オフ会に通いながら、彼女たちは日々出会いを探す・・・。不定期更新で送る、様々な年代のLたちの恋愛と人生を描いた連作短編集です。

第二章 由梨子

 薄暗いJackの店内にひときわ目立つ綺麗な女の子が立っていた。ウェーブがかった金髪を腰まで伸ばし、黒地に金色の蝶の刺繍が入ったシックなワンピースを着ている。一人で来ているのか、カウンターにもたれかかりながらハイペースで飲み物を飲んでいる。先ほどから次々とボーイッシュにナンパされているようだが、適当に返している。彼女は倦んだ目で周りを見回し、やがて私に目を止めると、しばらく凝視した。知り合いでもなんでもないのに、それはいささか長い凝視だった。瞬時に仲間だと悟る。そう、彼女もきっとフェム好きのフェムだ。私は笑顔を作り、彼女に近づいて行った。彼女は私を歓迎するかのように、身体をずらして隣のスペースを空けてくれる。

「なに飲んでるの?」

 最初の言葉はなんでもよかった。目と目が合った瞬間から、私たちは恋に落ちていた。

「アーリータイムズのロック」

 彼女は短く答えた。いささかぶっきらぼうな女の子のようだ。女の子は麻里絵と名乗った。年齢は20歳だという。私の4歳下だった。私が年齢を告げると、麻里絵は驚いた顔をした。

「24歳ってことは、社会人?」

「そう。バリバリのプログラマー」

 私がそう言うと、麻里絵はまぶしいような顔をして私を見た。彼女の心が私のほうに動いていることは間違いなかった。

「なんか、すごいギャップがあるね。小柄でかわいらしい顔立ちのあなたが、理系だなんて」

「麻里絵ちゃんは文系でしょ?見るからにそうだわ」

「うん。理系なんて全然わからない」

「ギャップといえばもう一つ。こう見えて私はどっちかというとタチなのよ」

 私がこう言うと、麻里絵は憧れの色を隠そうともしなかった。すごく顔に出やすい娘みたいだ。

 私たちは騒がしいJackを早々に出て、『K』という静かなバーに場所を移した。Kはいつもあまり混んでおらずゆっくり飲める上、ママもあまり客に干渉してこないので居心地がよく、私はよく利用していた。

 私たちは互いのセクシュアリティ、いつごろ気づいたか、これまで付き合った人などについて、熱心に語り合った。話せば話すほど、この娘こそが私が探し求めていた相手だ、という気持ちを強くする。麻里絵のほうもそう思っているに違いなかった。

 出会った日からあまりにもスムーズに、私たちは付き合うことになった。私は天にも昇る気持ちだった。

***

 私は藤沢にある会社の寮に暮らしている。寮にはほかの同僚も住んでいるので麻里絵を呼ぶことはできず、都心で一人暮らしをしている麻里絵のもとに私が通うのが常だった。

 平日は朝から晩まで仕事で忙しかった。家に持ち帰る仕事も多々あった。目の前の業務だけでなく、日々進化するプログラミングの知識も得る必要があった。それとは別に英会話の勉強も続けていた。麻里絵と付き合う前までは、土日も家にこもって各種の勉強をしたり仕事をしたりしていた。

 麻里絵に会うのは楽しかった。けれど、会っていてもつねに仕事や勉強のことが頭をよぎっていた。入社三年目にして、重要な仕事をぽつぽつ任されるようになってきていた。今がこの会社でのがんばりどころだ。

 私は、麻里絵を寂しがらせないよう、SNSでつながることを提案した。驚いたことに彼女はLINE以外のSNSを一切やっていなかった。「めんどくさい」というのがその理由だった。私たちは毎日まめにLINEで会話した。でもそれだけではまだ足りなかった。

 私は、レズビアン専用のSNSアプリ『リアン』への登録を麻里絵に勧めた。リアンはTwitterのL版といった感じで、登録しているレズビアンたちのつぶやきを読んだりコメントしたりできるアプリだ。リアンの最大の特徴は、自分と相手との今の距離がわかる点だ。ログインすると今自分がいる位置から近い距離にいる人のつぶやきから順に表示される。

 私は別に麻里絵を監視しようとしていたわけではなかった。ただ、リアンを使うことで、麻里絵にもっと私のことを知ってもらい、コミュニケーションがよりスムーズになることを期待していた。というのは、私はリアン歴が長くフォロワーも多く、しょっちゅうリアンでつぶやいていたからだ。

 私に言われてしぶしぶ登録した麻里絵だが、少しずつ使い方を覚え、やがてたまにつぶやいたりもするようになった。私は麻里絵が自分の彼女だと匂わせるようなつぶやきをするようになっていった。

 将来的には、リアンで知り合ったL友たちに麻里絵を紹介し、カップル同士で交流したりしたかった。私と麻里絵というカップルがL業界で広く認知され、さまざまなカップルと交流し、オフ会に参加する。そのころには私は今よりもっと稼いで、麻里絵と一緒に暮らしているかもしれない。結婚ができない私たちにとっては同棲が結婚のようなものだ。

 あるとき、私はたまたま気づいた。麻里絵の家からリアンにログインすると、いつも近くに表示される「レイ」という人がいることに。ここからわずか60メートルの場所に、私たち以外のLがいる。もしかしたら、レイという人は、麻里絵と同じマンションに住んでいるのかもしれない。私はすぐさまレイをフォローし、そのプロフィールをチェックした。

 リアンは一応出会い系のアプリだ。距離の近い人やつぶやきの内容に興味を持った人がいれば、メッセージを送ってやりとりすることができる。双方が合意すれば実際に会うことも可能だ。リアンを通して知り合ってカップルになった人たちもたくさんいる。

 出会い目的でリアンを利用している人はプロフィールを見ればすぐにわかる。やたらと丁寧な自己紹介と相手に対する詳細な希望が書かれており、自分の写真を掲載している人もいる。しかし、私や麻里絵のように出会い目的ではなく、友達を作りたいとか、暇潰しにたまにつぶやいているだけという人も多い。

 レイのプロフィールには、写真はおろか詳しい自己紹介が一切ない。カラフルなお花をアイコンにしているレイのつぶやきは、ふとした日常の瞬間を丁寧に掬い取ったものが多かった。乗ったバスで隣り合わせた可愛い赤ちゃんと無言の会話を交わしたこと。たまたま入ったカフェで飲んだカプチーノがおいしくて思わずおかわりしてしまったこと。空を見上げたらあまりにも綺麗で涙が出てしまったこと。つぶやきの内容もレイの書く文章も、どこかやさしさが滲み出ている。日々の行動に関する具体的なつぶやきはあまりなく、プロフィールには画家だとあるものの仕事系のつぶやきも滅多にない。レイが何歳でどんな外見なのか、普段どんな生活をしているのか、恋人がいるのかどうかも、プロフィールやつぶやきの内容からは一切わからなかった。

 レイはフォロワーが多く、つぶやきには多くのコメントがついていた。レイはその一つ一つに丁寧に返信していた。恐らくはコメントをくれた相手のつぶやきもきちんと読んだ上で返信しているのだろう、その人個人を気遣った内容になっている。レイの真っ直ぐなつぶやきに魅了された人がやさしいコメントを残し、それに対しレイも気遣い溢れるコメントを返す。レイのつぶやきもコメント欄もやさしさに満ちていて、読んでいるだけで温かい気持ちになる。きっとレイ本人も穏やかで落ち着いた綺麗な人なんだろうと思わせる。

 そして私は見てしまった。レイのつぶやきに、麻里絵がコメントを残しているのを。

「最近近所にできた魚介系のラーメン屋さん。ラーメンを一杯完食できないわたしも、ペロリと食べてしまうほどおいしかったです。並んだ甲斐がありました。」

 最近のレイのつぶやきで言及されている魚介系のラーメン屋には心当たりがあった。おいしいと評判で、最近麻里絵と一緒に行ったばかりだった。麻里絵はこうコメントしていた。

「私も最近行きました。本当においしいですよね。スープも出汁がしっかりしていて日本酒が進みました。」

 レイはそれにすぐさま返信していた。

「日本酒に合うのですか? わたしはお酒を飲まないので、その発想はありませんでした。マリさんはお酒がお好きなんですね。でも、ラーメン屋で日本酒を飲む方も珍しいですね。」

 レイの過去のつぶやきをさかのぼってコメント欄をチェックすると、かなり前から、おそらくはリアンをはじめてすぐあたりから、麻里絵はレイにコメントを送り続けていた。彼女はこのレイという人と知り合いなのだろうか。だとしたらなぜ私に話してくれないのだろうか。いや、ただSNSの上だけでやりとりしているにすぎないから、とくに話さなかったのかもしれない。

 リアンをはじめるよう勧めたのは私なのに、ざわざわが広がっていった。





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