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連作短編集『Lの世界~東京編』#3 第三章:志織

東京に暮らすL(レズビアン)たち。新宿二丁目のバーやクラブで遊び、SNSアプリで交流を広げ、オフ会に通いながら、彼女たちは日々出会いを探す・・・。不定期更新で送る、様々な年代のLたちの恋愛と人生を描いた連作短編集です。

第三章 志織

 麻里絵にLINEしようとスマホの画面を開く。文章を入力しているうちに、やっぱり電話をかけてみようと思い直し、書きかけた文章を消した。もうお昼だし、さすがに起きているだろう。麻里絵の声が聞きたかった。

 電話に出た麻里絵は眠そうな声を出した。まだ寝てたんかい、と心の中で突っ込む。

「寝てたの? ごめんね」

「ううん、大丈夫。どうしたの?」

「いや、今度の土曜日って暇? 『COLLET』に行きたいなと思って」

「あ、今度の土曜ってCOLLETの日だったっけ。いいね、行こう」

 COLLETは、六本木のクラブで毎月最終土曜日に開催されている女性オンリーのイベントだ。軽く答える麻里絵が少し心配になり、つい余計なことを言ってしまう。

「あんたさあ、今春休みでしょ? 宮城の実家に帰らなくていいの? お父さんもお母さんも心配してるんじゃない?」

「実家には年末に帰ったばかりだし、そんなにしょっちゅう帰る必要はないよ。帰ったところで田舎だから遊ぶ場所もなにもないし」

「じゃあ、大学の友達と遊んだりとかは?」

「遊びに行くような友達がいないんで」

「麻里絵は私以外友達いないからなあ。仕方ないから遊んであげるわ」

「はいはい」

「『はい』は一回。COLLET行く前に、いつもの新宿の居酒屋で食事しよ。19時でいい?」

 麻里絵の都合も聞かないまま、てきぱきと決めていく。麻里絵はいつも私の決めたことにぼんやり従うのだった。

 土曜日は店の前で待ち合わせした。今日の麻里絵は、袖の膨らんだ濃い紫色のワンピースを着ている。裾にピンク色の薔薇の模様があしらってある。麻里絵はいつもおしゃれだが、ほかの人とは一風変わった服装を好んでいるようだ。そのワンピースは彼女の持つどこかミステリアスな雰囲気によく合っていた。

「今日も怪しい格好してるね。そういう服着るとますます魔女みたいに見える」

 いつものように軽口を叩く。それは毎回必ず交わされる挨拶のようなものだ。私の服装はいつものようにセーターにジーパン。イベントだからといって特段張り切っておしゃれなんてしない。

「今日はCOLLETにいい女いるかな」

 ビールを飲みながらのんびりと言うと、麻里絵がすかさず突っ込む。

「それよりも、先月Jackで知り合った娘といい感じになったって言ってなかった?」

「さおりちゃんのこと? 先週デートして落したよ」

「付き合うの?」

「いや、付き合ったりはしない。まあ、向こうは付き合いたいみたいだったけど」

「向こうは真剣なんじゃない? 駄目だよ、そういう娘と遊んじゃ。そういう娘は、エッチした人とは付き合いたいと思うものだから」

「そうなの? でも、エッチした女の子といちいち付き合ってたら、私、すごい数の女の子と付き合わなきゃいけないことになるよ」

 そう言い、指を折りながらぶつぶつと数を数えはじめると、麻里絵は呆れて言った。

「もう、わざわざ数えなくてもいいよ」

 私はクラブのイベントなどへ行くと、必ず何人かの女の子に声をかけ、連絡先やSNSアカウントを訊き出すことにしていた。そして数日後に実際に連絡し、会う約束を取りつける。会ってからはとにかくハイテンションで口説きまくる。ときどきはクラブで会ったその日に女の子を「お持ち帰り」することもあった。これと決めた女の子は必ず落とすというのが、私の信条だった。

「うーん、30人くらいまではなんとか思い出せるんだけど……」

 そんなことを呟くと、麻里絵は言った。

「呆れるわね、本当に。いつまでそんなこと続けてるつもり?」

「まあ、そう言わないでよ。こういうのも結構しんどいんだから」

「じゃあ、やめればいいのに」

「まあね。私も本当はもう落ち着きたいんだよ。今26だけど、こうしてるうちにあっという間に30になっちゃうからね。でも、本気になるのが怖いんだよね。遊びで付き合ったほうが楽だもん」

 それは半分は本心ではあったが、半分はそうじゃなかった。私の心の中にはもうずっと、一人の人しかいない。私の気持ちはまったく届いていないけれど。

「人の心配するより自分の心配したほうがいいんじゃない? 私と違って麻里絵はもてないんだから」

 わざと話題を変える。

「失礼ね、もてないことないわよ。これでも結構声かかるんだから」

「本当? 麻里絵に声かける人って一体どういう趣味してるんだろう。魔女っぽい人が好きだとか? あ、きっとなんか悩みを抱えてる人とかなんだろうな」

「どうしてよ」

「いや、麻里絵になにかを占ってほしいとか、誰かに呪いをかけてほしいとか思ってるんじゃない? そうじゃなければ、なんで麻里絵なんかに声かけるのかどうしてもわからないよ」

「なによそれ。私がオカルト好きだからって、そうやってからかうのやめてよね」

「本当は嬉しいくせに」

 ニヤリと笑いながら言う。麻里絵はなにも答えなかった。

「もう21時か。今から行けばちょうどオープンする頃だね」

 麻里絵がそう言って時計を見る。COLEETは21時スタートだったが、いつも30分ほど遅れて始まる。

「そういえば、実花さんも今日行くって言ってたよ。彼女さんと一緒に」

「本当? 実花さんに会うの久しぶりだなあ」

「なに嬉しそうな顔してるの? 本当に麻里絵は実花さんみたいな綺麗な人が好きなんだね」

 少しムッとしてしまう。

 実花は、私が二丁目の中で本名を明かしている数少ない友人の一人だ。周りの人間すべてを圧倒するほどの美しさで、どこに行ってもよく目立つ。二丁目で彼女を知らなければモグリだと言われるほどだ。クールな外見とは裏腹にきっぷが良く、姉御的な貫禄がある。すべてを見透かすような鋭い光を放つ瞳、口角がわずかに上がった上品そうな赤い唇、透けるような白い肌、背中までフワフワと纏わりつく漆黒の髪。一目で彼女に好意を抱いたが、「実花さんは結婚してる上に子供もいるんだから、本気にはならないように」と周囲から忠告されていた。実花が自分から夫や子供の話をすることはなかったが、彼女が結婚していて小さな子供もいるということはなぜか皆知っていた。それなのに彼女の本当の年齢は誰も知らなかった。

「まあ、実花さんは超絶美人だから、麻里絵が憧れる気持ちもわかるけど。でもフェムタチなんだよね、惜しいよなあ」

 私も最初は口説き落そうとして実花に声をかけたのだった。だが、実花が自分と同じタチで、外見とは違う男らしい気性であることを知り、あっさり諦めた。どんなに美人でも決して落せないとわかると、私は簡単に引き下がる。私にとって女を口説くのはただのゲームであり、相手が落ちればそれで終わりだ。ゲームを面白くするために、ちょっとハイスペックな女やほかに相手がいる女に手を出すこともあったが、これは絶対に勝てない、というゲームは本能的にわかる。そういう場合は最初からゲームに参加しないのが私のやり方だった。

「私はフェムタチの人が理想だな。まあ、実花さんはさすがに高嶺の花すぎるけど」

「ちょっと妥協してボイや中性にも目を向けてみれば? そうしたら彼女なんてすぐできるんじゃないの。だいたいあんたは理想が高すぎるんだよ」

「別に理想が高いってわけじゃないと思うけど。普通に女らしい綺麗な感じの人であればOKなんだけどね」

「なんでボイだと駄目なの?」

「全く駄目、ってわけでもないよ。ボイでも顔立ちが綺麗だったり、どこかに女らしいところがあればいいと思う」

 麻里絵がなにかを考えながらゆっくり応える。

「そっか、ボイでも女らしければいいんだ。そういう意味では、私だって女らしいよ」

「どこがよ」

「だって、ちゃんと脱毛もしてるし、眉だって抜いてるし」

「え、そうだったの?」

「当たり前だよ。脱毛しなかったら女の子に嫌われるじゃん。それに、私の眉毛よく見てみなよ。実際はこれの倍の太さなんだよ」

「そうなんだ。でもしいちゃんはどこからどう見ても男の子よ、外見は」

 確かに麻里絵の言う通りだった。以前、二人で歩いていたとき、街頭で化粧水の試供品が配られていたことがあった。麻里絵に差し出された試供品を見て、自分にもくれ、と頼んだところ、キャンペーンガールは困惑しながら「すみませんが、女性にしかお配りしていませんので……」と言ったのだった。もちろん私は真剣に自分が女だということを説明し、試供品をゲットしたが、麻里絵には笑われてしまった。

「外見は男っぽくしてても、別に男になりたいわけじゃないんだよ、私は。むしろ、好きな人には女としての自分を見てほしいと思うし」

「女としてのしいちゃんって、どんなの?」

「それは私と付き合った人じゃないとわからないよ」

 私はそう言って軽く笑った。

 私たちがCOLLETの会場に着いたのは22時を回った頃だったが、すでに多くの人で賑わっていた。入口で料金を払い、ドリンクチケットをもらう。空いているロッカーを探して二人分の荷物を入れ、入口付近にたむろしている女たちをかき分けながら中へ入る。ドリンクチケットを渡して飲み物と引き換える。私も麻里絵もビールを頼んだ。

 それほど広くない店内は薄暗く、ライトが当たっている部分だけがぼんやりと光っている。入口近くのカウンター席は外国人のグループが陣取り、英語で盛り上がっている。ラウンジフロアを取り囲むように配置されたソファーは埋まっていたが、ちょうど二席空いたので腰を下ろした。ラウンジフロアに続くダンスフロアでは、数人の女たちが音楽に合わせて体を揺すぶっているのが見える。

 COLLETには毎回いろいろな女性たちが集まる。年齢やセクシュアリティも様々だ。女性であればレズビアンでなくとも誰でも入れるので、バイセクシュアルやストレートの女性も多い。セクシュアリティにこだわらず女性だけの空間で楽しんでもらおうというのが主催者の狙いらしい。六本木という場所柄もあるのか、おしゃれで綺麗な人が多い。普段二丁目では見かけない人もたくさん来ているので、それだけ出会いのチャンスが広がる。タイプだと思って声をかけてみたらノンケだった、という失敗談もよくある話だったが。

 入口のほうから、光沢のある深紅のチャイナドレスを身に纏った女が歩いてきた。大胆に入ったスリットから覗く太腿が、暗い中に艶かしく浮かび上がる。その場にいる女たちの称賛の視線を全身に浴びながら、実花はゆっくりと私たちのほうへ近づいてきた。

「久しぶりじゃない、しいちゃん。それに麻里絵ちゃんも」

「本当に久しぶりだね。実花さん彼女できたら全然二丁目に来なくなっちゃってさ。『二丁目の女王』の名が泣くよ」

「今は彼女とのデートが忙しくてね」

 実花が艶然と笑う。

「その彼女はどうしたの?」

「来てるわよ。今踊ってる」

 そう言って実花はダンスフロアを示した。だが、ダンスフロアにはいつの間にかたくさんの人が集まっており、どこに実花の彼女がいるのかわからない。

 こうしてちょっとしゃべっている間にもどんどん人が入ってくる。カウンターの辺りにも人が詰めかけ、何人かのグループでわいわい騒いでいる者や、小突き合いのケンカをしている者までいる。

「ねえ、踊らないの?」

 実花がダンスフロアのほうを見やる。

「私たちはさっき来たばかりだから。後で行くから、実花さん躍ってくれば?」

 こう言うと私はビールに口をつけた。

「じゃあちょっと踊ってくるわね」

 実花はそう言い残し、悠然とした足取りで人の群れの中へ入って行った。私と麻里絵はまったりと飲みながら、時折知り合いとしゃべったりしていた。

 ダンスフロアへ目をやると、実花が激しく体を揺らせているのが見えた。実花の周りだけスポットライトが当てられているかのように目立っている。見事な踊りだった。頭を振ってリズムを取りながら、体全体をうねらせる。四方八方に動く手や足が、美しい曲線を描いている。太腿まで入ったスリットから足がはみ出るのもいとわず、大胆に腰を揺らしている。隣で踊っていた彼女らしき女に手を取られ、フロアの奥にあるお立ち台へ上る。台の上で、二人は絡み合いながら体を揺らし続けている。

 ふと麻里絵のほうを見ると、彼女もダンスフロアを凝視していた。が、実花を見ているわけではなかった。麻里絵の視線の先を追うと、端のほうで一人で踊っている女が見えた。女はとても奇妙な踊り方をしていた。わざとリズムを外し、小刻みに肩を揺らせている。時々不意打ちのように高く足を上げ、ターンしてみせる。両手を真上に伸ばし、顔をのけぞらせて陶酔したように目を閉じたかと思えば、次の瞬間にはサッと手を振り下ろし、その勢いでジャンプする。上手いのか下手なのかわからない、そんな踊りだった。麻里絵は吸いかけたタバコを咥えもせず、女に見入っていた。女は髪が短くひどく痩せていた。ガリガリに痩せた体に恐らく男物と思われるだぶだぶのスーツを着て、ネクタイまで締めている。顎がとがっていてシャープな顔立ちなのだが、伏し目がちなので大人しそうな印象を与える。どう見てもボーイッシュなその女に、麻里絵が関心を抱いたようなのが気に入らない。

「なに見てるの?」

 わざと知らないフリをして聞く。

「あの人」と麻里絵は女を指差した。「すごい面白い踊り方してる」

 私も再び女のほうに目をやる。女は片手を伸ばし、誰にともなく流し目を送っている。

「あはは、気障な女だね。傑作だよ」

 素っ気なく応える。

 曲が変わり、女が踊るのをやめてこちらのほうへ歩いてきた。麻里絵が私を肘で小突いた。

「なに?」

「ねえ、あの人に話しかけて」

「なんで? あんなのがタイプなの? ばりばりボイじゃん。男物のスーツ着てるし。どこがいいわけ?」

 思わず激しい口調で言い返してしまった。麻里絵は驚いた顔をしながら、たどたどしく女を弁護する。

「ボイかもしれないけど、顔は整ってるし、綺麗だよ」

 私は顔をしかめて立ち上がった。

「話しかけるくらい自分ですれば? なんで私があんたに協力しなきゃいけないのさ」

「だって、気に入った人がいたら声かけてくれるって前に言ってたじゃない」

 麻里絵の抗議の声に耳を傾けもせず、そのままカウンターのほうへ向かう。ビールのお代わりを注文する。が、麻里絵の隣には戻らず、そのすぐ近くに立っていた女の子に話しかけた。私はヤケになっていた。誰でもいいから麻里絵の見ている前で女の子を口説いてやろうと思った。

 わざと麻里絵まで届くほどの大声でしゃべる。女の子の腰に腕を回して「踊ろうよ」と誘った。女の子はぎこちない様子で私に従い、一緒にダンスフロアへ向かった。

 私たちと入れ違いに実花とその彼女がダンスフロアから出てくる。あんなに激しく踊っていた実花だが、汗一つかいておらず、呼吸も乱れていない。唐草模様の扇子を持った実花の彼女が、自分と実花の顔を交互にあおいでいる。彼女は実花より小柄で驚くほど顔が小さい。私に向けられた大きな目は長い睫毛で縁取られ、口元には艶やかな笑みを浮かべている。美しすぎるカップルを目の前にして脳が痺れそうになった。

「実花さん、こんな綺麗な彼女さん、どこで見つけたの?」

「先々月のCOLLETでナンパしたのよ」

「さすが実花さん」

「しいちゃんこそ、麻里絵ちゃんとはどう?」
 
 私の隣にはさっきナンパした女の子がいるのに、実花はわざとらしくそんなことを言ってにこりと笑う。

「さあ。なんか変な踊り方をするボーイッシュが気に入ったみたい」

 私は短く答え、女の子を連れてその場を去る。ダンスフロアで踊りながらも、麻里絵がどうしているか気になって目で探してしまう。だめだめ、今は目の前にいるこの娘に集中しなきゃ。それにしてもこの娘、よく見るとちょっとぽっちゃりしすぎている。

 曲が終わり、中央で踊っていた人たちが一斉に引き上げていく。同時にラウンジフロアにいた人たちが続々とダンスフロアに集まってきた。ダンスフロアはたちまちすし詰め状態になる。これからここでショーが始まるのだ。

 COLLETは毎回テーマが決まっており、それに則したショーをやっている。夏には『ビキニナイト』や『浴衣ナイト』があり、その夜はビキニ姿や浴衣姿の女の子たちで溢れ返る。テーマに則した格好をして来れば入場料がいくらかディスカウントされるのだ。12月の『クリスマスナイト』では、赤、白、緑の服を着た女の子が多かった。サンタクロースの格好をした者や、体中に豆電球を巻きつけてきた者もいた。

 今月のテーマはなぜか『SM』である。ボンテージファッションの女の子もちらほらいる。

 サイケデリックな音楽がかかり、お立ち台の中央に黒いマントをつけ鞭を持った女が立った。女は音楽に合わせて体をうねらせながら鞭を振り上げる。その瞬間黒いマントが翻り、女の豊満な肉体が露わになる。やがてもう一人、露出の多い黒革のミニドレスを纏った小柄な女が現れ、鞭を持った女と絡み始めた。二人は激しく唇を合わせ、豊満な女が小柄な女のドレスに手をかけた。小柄な女の胸元が開かれ、紫色の照明の中に白く浮かび上がると、一斉に歓声が上がった。

 そのとき、ダンスフロアにいる麻里絵の姿が見えた。どうやら誰かに絡まれているようだ。よく見ると、絡んでいるのはリョウだった。素行が悪く、二丁目のあちこちの店で出禁になっているやばい奴だ。

「ちょっとごめん」

 私は女の子に謝り、人をかき分けながら麻里絵のいるほうに向かった。リョウは強引に麻里絵に触ろうとしている。麻里絵は逃げようとしているようだが、混雑の中動けないようだ。

 ステージでは豊満な女が強引な手つきで抵抗する小柄な女の胸を揉んでいる。いつしか小柄な女のドレスは剥ぎ取られ、黒のブラジャーとパンティだけの姿になった。大歓声の中、豊満な女が小柄な女に向かって鞭を振り上げる。実際に当てているわけではないのだが、小柄な女は逃げ惑う。

 リョウが人混みに乗じて麻里絵の首筋に唇を押し付けている。麻里絵は首を激しく振って抵抗している。私はリョウへの怒りに震えながら、人々を押しのけて一目散に二人の元へ向かった。

 麻里絵が「やめて」と叫んだ気がした。が、その声は、割れんばかりに響き渡る拍手と音楽の中にかき消された。ステージでは豊満な女が小柄な女を捕らえ、ロープを取り出して後ろ手に縛っている。

 私は後ろからリョウに近づき、思いきり顔を殴りつけた。次の瞬間、ワッという声が上がり、リョウの体が麻里絵から離れた。リョウは顔を押さえてなにかを叫んでいる。

「この娘に手を出すんじゃないよ。嫌がってるのがわからないのかよ」

 麻里絵を庇うように前に立ち、リョウに向かって叫ぶ。リョウはすごい目でこちらを睨んでいる。周囲の人々の好奇の視線を浴びながら、私は麻里絵をぐいぐいと引っ張って歩いた。私の気迫にたじろいだ人々がさっと道を空ける。

「ちょっと目を離すとこれだからな。なに変な女に捕まってんだよ、バカ」

 と言いながら、空いていたソファーに麻里絵を座らせた。

「ありがとう、どうなることかと思った。しいちゃん、近くにいたの?」

「麻里絵からちょっと離れたとこでショーを見てた。なんとなく気になって麻里絵の様子を見てたら、リョウに絡まれてるみたいだったから、やばいと思って人をかき分けて近づいた」

「あの人のこと知ってるの?」

「あいつ、リョウは、女が自分の思い通りにならないとすぐ暴力振るうって悪い評判が立ってるから、気をつけたほうがいい。二丁目でもしょっちゅうトラブル起こしてる奴だから」

 私も麻里絵の隣に座る。

「大丈夫? あいつになんかされた?」

「私は大丈夫、しいちゃんが助けてくれたから。しいちゃんこそ、あの人殴ったりしちゃって大丈夫?」

「ふん、あんな奴。私のほうが強いよ」

 私は強がって不敵に笑った。

「しいちゃん、今までどこにいたの?」

「別に。あちこちぶらぶらしてた」

「じゃあさ、私がさっきタイプだって言ってた人見なかった? あの面白い踊り方してた人。ずっと探してたんだけどなかなか見つからなくって」
 
 絶望が広がっていく。どうして麻里絵は私を見てくれないのか。

 私は無愛想に一言「知らない」とだけ言った。

 ダンスフロアから人がわさわさと溢れ出てきた。ショーが終わったのだ。リョウが出てくるかと身構えたが、その姿は見当たらなかった。

「もうダンスフロアには近づかないほうがいいな。リョウに殴り返されたらたまらないからね。今度リョウに絡まれたら一人でなんとかしてよね」

 そう言い残して席を立つ。麻里絵が慌てて後を追ってきた。

 私に恐れをなしたのか、リョウはそれ以上絡んではこなかった。ホッとした私は再びビールを頼んで飲む。麻里絵や実花たちと一緒に始発で帰る頃には、飲みすぎてぐったりしていた。

 家に着いてからも悶々とした気持ちは収まらなかった。もう寝ているだろうとは思ったが、つい麻里絵に電話をかけてしまった。

「もしもし、麻里絵? もう寝てた?」

「しいちゃん? どうしたの? ちょうど寝ようと思ってたとこだけど」

「いや、すごい酔っ払ってたから、ちゃんと帰れたかどうか心配で」

「大丈夫よ。すごい酔っ払ってたのはしいちゃんのほうでしょ。大丈夫だったの?」

「大丈夫だよ」

 そう言ったきり言葉が出てこず、しばらく黙っていた。やがて私の口が勝手に動いた。

「あの人、彼女いるよ」

「え、あの人って?」

「あの変な踊りしてた人。しかも外専で、今の彼女も外人らしいよ。どっちにしろ、あんたの出る幕じゃないみたいだね」

「そうか、彼女いるのか、それは残念。諦めるよ。まあ、もう会う機会もないと思うけど。ていうか、こんなこと言うためにわざわざ電話してきたの?」

 麻里絵が珍しく少し苛立ったような声を出す。

「いや、ごめん、嘘だよ」

「嘘って、なにが?」

「あの人が外専とか、彼女がいるとか、嘘だから。私あの人のこと知らないし」

「なんでそんな嘘を」

「ごめん」

「まあ別にいいけど。私のことよりしいちゃんは? 今日は珍しくお持ち帰りもしなかったじゃない」

 麻里絵がちょっと皮肉っぽく言う。

「うん。今日は特にタイプの娘はいなかったかな。なんかね、ちょっと。自分に自信なくしたかも」

「どうしたの?」

「なんでもない。じゃあまたね」

 そう言って一方的に電話を切る。自分がどうしたいのか、さっぱり見当がつかなかった。


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