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愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じることよ。-Rina side-


「愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じることよ。」
マリリン・モンロー


私は数えきれないくらいの恋をしてきた。

でもまだ人を愛したことはない。



恋は自分のため、愛は相手のため。

恋は下に"心"があるから下心
愛は真ん中に"心"があるから真心



なんてよくいわれている。




大人になるにつれて相手にしてあげたいことは増えたとはいえ、

私はまだ自分が可愛い。


まぁ愛は相手ありきだから相手がいなかったら
そりゃあ自分を可愛がるしかないだろう。


しかし今回のテーマは「愛とは信頼」だ。

冒頭で述べた"相手のため"とはまた少し角度が違う見方である。


この観点からいえば、私が今までお付き合いしてきた人たちのことは完全に信じきっていた。

というか私は信じれる人を好きになるんだと思う。


本当に信じれる人かどうかは別として。

" 自分が信じたい人がどうか "が大事だと思ってるのかもしれない。


遠距離でも浮気してるのかなんて疑ったことがない。

周りの友達に「絶対浮気してるよ。」と言われ続けたときも、私は信じていた。
信じたかっただけかもしれないけど。

実際大人になってから考えてみると、
浮気していた可能性は確かに高い。

これが「恋は盲目」ということだろうか。


でも私は相手を信じれなくなってしまったら
その恋愛は終わりだと思っている。



その彼とはその後、新潟から大阪まで高速バスで
「数ヶ月ぶりにやっと会える!」
と思って半日くらいかけて会いに行ったのに
連絡がとれずドタキャンされて
梅田のネカフェで4日間過ごすというイベントが起こった。

そのときはさすがに愛想をつかして
私はこの恋に終わりを告げた。


ドタキャンの連続、連絡が何日かごとに1回などの積み重ねもあり、もう信じられなくなったから。

浮気とかではなく、その人自身を。


今考えると酷い恋だなと自分でも思うけど、
それでもその時の好きだった気持ちは否定しない。

私しか知らないその人の素敵な一面があったし、
それは2人にしかわからない。


友達に彼氏を否定されてよくありがちな理由だけど、事実その恋愛はその2人にしかわからない。

周りは関係ない。



恋はきっと友達と恋バナしてきゃーきゃー言うのが楽しくなるもので、

愛はきっと誰かに話したくなるというより
自分たちの世界を誰にも知られないところで永遠に。
的な感じではないだろうか。


夢見すぎ?


でもマリリン・モンロー的にいえば
私は今までちゃんと人を愛せてきたのかもしれない。


私が思うのは、一般的に"信用できるか、できないか"ではなく、
その人を"信用するか、しないか"が愛なのではないかということ。

それはその人の欠けている部分も全部含めて
愛で包み込む覚悟があるかどうかということ。


んー、やっぱりまだ自分が可愛い。


アイワナビーアー 君のすべーて!!!!

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