なんとなく。 なんとなくですが、これはイタリアと相性が悪いんじゃないか?と思い始めました。 街の人々を見てても、男は女性に常に話しかけて優しくしてます。というかずっとナンパしてるように見えます。 仕事の合間にナンパしてるというより、ナンパの合間に仕事ちょっとしてるって感じです。 めちゃくちゃ楽しそうな生き方ではあります。 しかし僕のような異邦人の男にはめちゃくちゃ冷たいです。 それもまた、めちゃくちゃ分かりやすくて嫌いではないんですが、僕は海外に何しに来たか、自分で
ブログで更新に4ヶ月もかかるってのはアホなんでしょうか? さては面倒で後回しにしてる内に、すっかり忘れてしまってるパターンですね。 はい。本当にすみません。 でも、読んでいただいてる方から続きは?って声をチラホラいただきまして、心を入れ替えて久々に更新です。 さて、ベネチアを後にして、次はフィレンツェに居ました。 旅に出て2週間くらいは経っていましたかね。 朝から晩まで誰とも話をしない日々というのは、人生でこの旅が初の経験でした。 しかも眠るのがあまり得意ではな
ベネチア駅に到着したのは朝だったのか夜だったのか、さっぱり思い出せません。 覚えているのは、駅の横にある案内所で予約した安いホテルがどうしても見つからず、結局適当なホテルに転がりこんだ事です。 窓もないベッドだけの部屋でしたが、何故かラジオが付いていて、何となくイタリア語のそれを聞いていました。 もちろん意味なんてさっぱりですが、異国の地のラジオってのは良いものでした。 音ってのは空間に色を付けるような意味があると思うんですが、それをラジオはその地の独特の色だけでなく
寝台列車に揺られていました。 パリからベネチアへ向かうには、寝台列車で一泊分のホテル代を浮かしつつ、一晩で移動出来るというコスパの良い列車があったのです。 この旅で、僕は度々こういう寝台列車に乗ってヨーロッパを移動しました。 列車の振動が気持ち良かったのと、上下対面に来る人達とのちょっとした距離感のある会話がちょうど良かったのです。 もちろんその夜は人生で初めての寝台列車でしたので、なかなか寝付けずに、子供の頃の事なんかをぼんやり思い出していました。 《こんなとこで
パリに来て、さらに数日が過ぎました。 食べる事も寝る事も、昼間に歩く事、夜の過ごし方も。 何となくですが慣れてきたんです。 初めての外国でしたから、初めは眠る事さえ少し不安だったですし、食べる事もいちいち僅かな不安と期待が交錯していました。 少しずつそれが薄れてきました。慣れてきたんです。 今思えば、それは旅のほんの最初。旅という言葉の範囲にすら入るかどうか怪しいくらいの段階の話での、、、 「慣れ」 だったんです。 それでも、なんて言いますかね。 そのままの
パリに着いてから数日間。 とにかく歩きに歩いてみたんです。 エッフェル塔も見に行ったし、なんとかって城も見に行ったような気がします。 美術館も見に行って、何も知らずに写るんですのフラッシュたいて叱られたり、適当に入ったレストランで頼んだサーモンステーキが40センチくらいの大きさで、日本で塩ジャケ食うのとは全然違うのに驚いたりしてました。 ちなみに塩ジャケの方が美味いなと思いましたし、そんなデカいの食い切れねーよって感じでした。 ただブラブラと歩いて、疲れたら地下鉄に乗
あの朝は10時間は寝てたみたいです。 おお!ついに初の海外に着いた話ですよ。 旅の話って言ってるのに、一向に旅立つ気配がなかったこのブログエッセイですが、ついに! そう。 始めての海外。 それはフランスはパリでした。 何故にパリかと言うと、開高健氏に憧れてたので、氏の回顧録に度々登場するパリでの生活を体験してみたいと思ったのです。 芸術家。いわゆるアーティストを志す若者が跳梁跋扈する。そんな街。 実は当時のバックパッカーの間では、アジア、とりわけタイはバンコク
チャカ持ってけ!!の兄貴分とは旅の間も交流は続いていました。 旅の途中に絵葉書とか送ってたんですよ笑 インターネットがなければ当然メールもない時代の話ですから、手紙や葉書や電話になるのは当たり前なんですが、チンピラ丸出しの男同士でのやり取りにしては可愛いらしいなと今は思います。 色んな国から絵葉書送った記憶があります。 何書いてたかは覚えてませんが、兄貴分の奥さんから僕が帰国した折には、絵葉書の出だしがいつも「俺様は今◯◯にいます。」から始まってたと笑われたので、多分
さて、旅に出る事が決まって。 会社も辞めて。 期待とワクワクが少しずつ不安に変わって行った時期の話なんですけど。 僕はその頃にはまあまあ道を踏み外してたのですが、少しだけ闇社会系のほんの入り口の辺りもウロウロして小銭を稼がせて貰ってたんです。 その頃めちゃくちゃお世話になってた兄貴分的な人が居ました。 ていうか二人共釣りが超好きで、それが縁でとても良くして貰っていました。 闇社会の人だって釣りくらいはするんですよ。 そんで、兄貴分は旅に出る事を快く承諾してくれ、
これは本当に忘れもしないんですけど。 高校を出てから1年程大きな工場で働いてたんですが、合わなくて辞めて、小さな配達兼営業をする会社に転職しました。 その会社は10人も居ない会社だったんですが、小さいせいか、それとも社風のせいかとても楽しく仕事が出来る会社でした。 そこに変なおじさんがいました。 いや、変な人ばっかりだったんですけど、僕の好きな感じで変な人だったんです。 トイレで小を足し終わる時に、口で「ぶるんぶるん」って擬音を言って、「やっぱりワシのはデカイから振
「俺さ、大学行く事に決めたんだよ。」 高校生の台詞なら特に何も言う事はなく、むしろ比較的普通の事かもしれない。 でも、その台詞はもう二十歳になる頃で、ラーメン屋をやってたボーカルから発せられた。 「お?おう!それは凄いな!応援するぜ!」 とりあえず反射的にそんな感じの事を返したと思う。 「それでもうバンドは続けられないんだよね!実際金も大変だし!」 「あ、、、そうね。そしたら、そうか。次のライブを最後にしようか。ラストライブだね。」 当時は練習が出来たミヤコ楽器の前
「その頃も旅をしていた。」 十代にそんな書き出しで始まる小説を読んだ事があります。 馬鹿なので内容は程よく忘れてしまったけど、その一文は自分でも不思議な程に胸の奥の何かをじわじわと溶かして、ずっと奥まで入り込んでしまっていたようで、20代も半ばには自分は旅人になると決めていました。 とは言ったものの、バンドマンとして音楽で生きていくっていう目標も同時にあったりするので、つまりサラリーマンが嫌ってだけの事だったのかもしれないです。 実際に50歳手前になった今、 そう、