無(ナーダ)
ブログで更新に4ヶ月もかかるってのはアホなんでしょうか?
さては面倒で後回しにしてる内に、すっかり忘れてしまってるパターンですね。
はい。本当にすみません。
でも、読んでいただいてる方から続きは?って声をチラホラいただきまして、心を入れ替えて久々に更新です。
さて、ベネチアを後にして、次はフィレンツェに居ました。
旅に出て2週間くらいは経っていましたかね。
朝から晩まで誰とも話をしない日々というのは、人生でこの旅が初の経験でした。
しかも眠るのがあまり得意ではないタイプでしたし、昼間はなんとなく街をブラブラしてるだけの、旅というか散歩してる程度の日々だったので大して疲れてもないので、夜が凄え長かったんです。
その夜の長さはこれ以降もそれ以前も、旅に出ても家にいても、あれから25年くらい経った今もそんなに変わりません。
なんとなく、旅に出たら何かしら変わるんじゃないかと思っていたんですが、夜の長さと重さは一切変わりませんでした。
でも本当はそれこそが優しい時間でもあるって気付くのは随分と後になります。
現在はインターネットとスマホがある分、孤独感はないかもですね。いや、だからこその孤独感も酷いかもしれませんね。
じっとりと、ねっとりと、何か苦いような重いような、形はない煙のような気持ちが心を酸のように痛く溶かすんです。
イタリアの街の石畳や石で出来たような建物は、とても美しく一々美術的だったのに、それすらただ冷たく感じていました。
まあ、実際のところ、そもそもそういう美術にまるっきり興味がない粗野な人間だったってだけですけどね。
あてなんか何もなく、ただ彷徨っていたんです。
今考えると、せっかくあんなとこまで行ってたんだから、アレしてコレ食ってヒャッホー!!って思うんですが、やはり若さってのは厄介で無駄で邪魔で面倒で馬鹿で矮小でとても美しいですね。
ヘミングウェイの短編に清潔でとても明るい場所ってのがあります。
不眠症の男が真夜中に開いているカフェへ行くお話です。ざっくり笑
その男が1人、言葉遊びをしながらカフェへ入って行きます。
「無にましますわれらの無よ、願わくは御名の無ならんことを、御国の無ならんことを、御心の無におけるがごとく、無において無ならんことを。われらにこの無を、われらが日常の無を与えたまえ。われらを無の中に無にすることなく、無より救いたまえ。かくして無。無に満てる無を祝福したまえ。無はなんじのものなればなり。」
彼は微笑して、ピカピカのエスプレッソ・マシーンのある酒場のカウンターの前に立った。
「何にします」バーテンが訊いた。
「無」
「オトロ・ロコ・マス(また気の触れたやつがきた)」バーテンは言って、背中を向けた。
(アーネスト・ヘミングウェイ「清潔で、とても明るいところ」高見浩 訳)
なんかもうちょっと独白が長かったような気がするんですが、何故か本棚に見当たらないので適当にネットで拾ってきました笑。
これは無を(ナーダ)と読みます。スペイン語だったと思います。
ナーダ、ナーダ、ナーダ。
足りない物は何だったのか、そもそも何も持っていなくて、やってきた全部「ナーダ」であるのか。これから目にするもの、触れるもの、全てが無(ナーダ)であるのか。
遠くまで行って、アホほど膨大な時間を、そんな事を考えて、でも求める心はあくまで強く。
次の街へ一歩を踏み出すんです。
ちょっとだけ旅人っぼくなってきた気がする頃です。
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