BiSH解散から1年。生き方を変えてくれたアイドルとの思い出を振り返る。
2023年6月29日から1年
正直、1年も経っている気がしない
どうも。悠です。
いや、今日だけは言わせてもらいます。
どうも、清掃員の悠です。よろ。
2023年6月29日(木)
BiSHが東京ドームで解散ライブ『Bye-Bye Show for Never』を実施した。
そして今日。丸1年が経過した。
驚くべきことに、1年経っても「解散した」という実感が湧いていない。
解散しても6者6様の活動をしていることが大きいであろう。
解散後、一般に姿を現さなくなるアイドルは多いが、彼女たちは活動を続け、発信している。
ライブシーンが観たければ大抵のBlu-rayは持っている。
変わったこと=解散を実感したことといえば
・ライブが行われないこと
・グッズを買わなくなったこと(展開されないので当たり前)
・FCコンテンツが無いこと
くらいだろうか。
まぁ、ライブに行く、グッズを爆買いする、FCを楽しむ、という行為がそれだけ日常的だったということだが。
折角の機会なので、私とBiSHの思い出をダイジェスト的に振り返ってみる。
出逢い~ハマるまで
初参戦ライブ「IDOL is SHiT」
2016年1月19日。
本公演は2015年10月から始まった
BiSHの初ワンマンツアー『BiSH Eden of Sorrow Tour』のツアーファイナルである。
元々、私はバンドが好きだった。
小学生の頃からSOL(スクールオブロック)を聴き漁っていた。
特に女性ボーカルのバンドが好きで、SCANDAL・チャットモンチー・東京事変・相対性理論・FLiP・GO!GO!7188…キリがないのでこの辺にしておくが『かっこいい女性がゴリゴリのメロディに乗せて力強く歌う』のが本当に好きだった。今もだが。
一方、アイドルも好きだった。
まずモーニング娘。が好きになり、ももクロが好きになり、AKBが好きになり、でんぱが好きになった。あと時系列関係なくずっと好きなのがperfumeとBABYMETALだ。(2組ともアイドルに属しているのかわからんが)
勿論それ以外のグループもライブに行くことは無かったが曲は知っている。アンジュルムとかJuice=JuiceとかアイドリングとかDream5とか9nineとかぱすぽとかスパガとか…これもキリがないのでこの辺にしておく。
で。
当然そんな私は、旧BiSの存在を知っていた。随分と過激なアイドルだなぁ…という印象だったし、現場には1度も行けなかった。
というかぶっちゃけると、今でこそ大人になり、どうということはないが、地方の高校生にとって旧BiSの現場は怖かった。話を聞くに、熱意が溢れかえっており、恐れ多いというか、敷居が高いなぁという印象を抱いていた。今でこそ行けばよかったなぁと後悔しているが。
ようやく本筋に戻ってきたが、この旧BiS解散後「BiSをもう一度始める」ということで始動したグループ、それがBiSHなのだ。
なので、BiSHというグループが出来たよ~ってことは知っていたが、ライブに行こうとまでは思っていなかった。
しかし。
とあるアイドルオタクの友人から『BiSHが凄いぞ、これは絶対に来る!』となにかのフェスだかライブで言われた。
彼の『絶対に来る』の信頼がどの程度のものなのかは、今でこそ彼が推していたグループの現状をみるに首をかしげるところがあるのだが…まぁ折角上京したし行ってみるか、と行ったのがはじまりである。
結果としては、ご覧の通りハマったので大成功だった。
しかし、この初参戦からずっと高い熱意で応援していたわけではないのだ。
まぁ都合がつけばライブに行ってみるか、ちょっとグッズ買うか、くらいの熱意だった。
世間的には「それは既にハマっているのでは?」と言われるかもしれないが、個人的には「注目しているアイドルグループの1つ」くらいの認識だ。
ハマる~解散決定まで
きっかけはコロナ
そんなこんなで、初参戦から約4年間、ダラダラと応援してきた。
メインどころのライブには基本的に参加していたが、サークル運営やら海外研修やら就活やら新社会人やらと何かと忙しかったので、BiSHのライブに行くことがいい息抜き、気分転換みたいな気持ちであった。
が。
そんな「ライブに好きな時にいつでも行ける」という日常は、コロナにより当たり前ではなくなる。
BiSHに関わらず、世の中の有観客開催イベントはほとんど中止となった。
そして約1年の時を経て
2020年12月24日 有観客ワンマン「REBOOT BiSH」が開催された。
個人的には当たり前に行けていたライブに行けなくなったストレスがとんでもない1年だった。
と同時に気づいたのだ。
「あれ?私の中のBiSHって存在、デカくね?」
今時の鈍感男主人公だって、想いに気づくのに5年もかからないだろう。
あのニセコイですら5年あれば連載が終了している。
もうほんと何を今更…ということに気づいた私は、ヒソカのごとく「そろそろ狩るか…♠」と本腰を入れてBiSHを応援することに決めたのであった。
そこから解散までは、行けるライブに全て行った。
北は北海道、南は沖縄まで行った。
ちょっとでも欲しいグッズは全て買った。
未開封品が部屋中に散乱しており、当時の彼女に「アンタの家、バックヤードみたい」と言われた。
マジで引っ越しが大変だった。
よくこの家にこんな荷物が入ってたなと言われたし、ハイエース1台分がBiSH関連のグッズで埋まった。でもそれもいい思い出さ。
解散決定~解散日決定まで
始まりがあれば終わりもある
2021年12月24日。
朝8時からYouTubeでの緊急ライブ「THiS is FOR BiSH」があった。
一部、スッキリ番組内(日テレ系)でも生中継された。
無理やりテレワークにして家で観ていた記憶がある。
ライブ内で、2023年で解散することを発表した。
まあ、正直嫌な予感はあった。ファン間ではライブ前から「解散じゃね?」という話が出ていた。
個人的には、そりゃいつかは解散するだろうし、その時期が来てしまっただけで、要するに仕方ないかなという感情であった。
寧ろ、解散までの期間が長いことにホッとした。
数々の好きだったバンド、お笑いコンビが解散してきたが、どれもみなお別れの時間を十分にくれたわけじゃない。
「今日を持って解散します」というパターンも多々あった。
そのため、解散のその日までより応援しよう、と強く思った。
(2023年のいつなんだよ…とは思っていたが)
解散日決定~解散前日まで
1番楽しかったライブ、1番辛かったライブ
2022年12月22日。
世界で一番綺麗なBiSHがあった。
BiSHのライブに何十回行ったかわからないし、彼女たち以外を含めたら何百回とライブに行ったことがあるが、その中でも1番好きなライブだ。
というのも、普段のバンド演奏だけでなく、大所帯のオーケストラまで引っ提げた「その日限りの」ステージだったからだ。
当日は(10万円チケットで)アリーナ前列2番目の席だったのだが、もうとにかく音圧が凄い。クラシックアレンジがヤバい。
恐らく人生でこれ以上のライブに出会うことはもうないであろう。
だが2023年まであと9日。
ひいてはBiSHの解散年まであと9日。
未だに解散日がわからない状況であった。
そんな中、アンコールで
6月29日に東京ドームで解散することが発表された。
会場では、東京ドームでやるなんてすごい!という気持ちと
解散日と場所が本決まりしてしまって、もう解散まであと何日かわかる、逃げようのない事実を突きつけられた悲しみが蔓延していた。
私は、かつてないライブの充足感と、解散まであと約半年かぁという現実と、死ぬ気で解散ライブ及びこの半年間の行けるライブのチケット全部取ろうという気持ちとで、グッチャグチャになっていた。
そしてかつてない頻度でライブに行った。
上司にも「この半年間はBiSHが最優先です」と言った。
解散ライブのチケットも無事確保した。(10万円^^)
解散ライブと、その前後は全て有給にした。
あの頃の気持ちを思い出すべく、髪を染めた。
準備は整った。あとは暴れるだけ。
喉が潰れるまでコールしろ。
腕が取れるまで突き上げろ。
解散当日
開演まで
2023年6月29日。
解散ライブ「Bye-Bye Show for Never」当日。
私は始発で東京ドームへと向かっていた。
グッズ購入列に並ぶためだ。
購入予約枠は速攻で埋まり、当日午後までは事後通販のお知らせもなかったため、向かうしかなかったのだ。
6時前には着いたと思うが、それでも50人くらい並んでいた。はえーよ。
グッズ購入開始まで数時間待たなくてはならないのだが、これがクソ暑かったのを覚えている。熱中症になりかけるレベルで。
無事爆買い終了。とかく大荷物なので、昼過ぎに一旦家に引き上げた。
エアコンを最低温度の強風に、風呂に水を溜め、冷凍庫から全てのアイスノンをぶち込んで氷風呂を作った。それくらい危ない気温だった。
夕方、ヒエッヒエになった私は食事をとり、またも東京ドームへ向かった。
一旦後にした時も相当数の人がいたが、それをゆうに超える人の数だった。
会場は、もうそれは壮観だった。
BiSHライブ最初にして最後、そして最大のキャパシティの東京ドーム。
アリーナ前列3番目であった私は、最後方や3階席がとてつもなく遠くに見えた。それでも会場外にいる人々を思えば、曲と雰囲気を楽しむならば十分だろう。
開演~終演
ダイジェスト的にはこんな感じ。
・ウサギの着ぐるみが出てくる
・メンバーがせり上がりで出てくる
・とんでもない爆発音とともに1曲目「BiSH-星が瞬く夜に-」スタート
・席によっては山の風景を眺めるだけの「My landscape」
・コントと神輿「ぴょ」「ぴらぴろ」「DA DANCE!!」
・「GiANT KiLLERS」「MONSTERS」で息もつかせない
・「ALL YOU NEED IS LOVE」で一旦退出
・アンコール「オーケストラ」「beautifulさ」「BiSH-星が瞬く夜に-」
・再アンコール「Bye-Bye Show」こちらもバルログ持ちで応戦。
・終了。スクリーンには「ばいばい」の文字と、6人のサイン。
という感じだった。
とにかくあっという間という言葉がぴったりだったし、これで最後なんだ…という気持ちより、最後まで楽しかったな、とハッピーな解散ライブだった。清掃員たちも「やりきったな、俺ら」と充足感が溢れる顔をしていた。
会場を出ると土砂降りだった。ずぶ濡れで帰った。
もう本当にやりきった。
恐らく、今後の人生でこんなにオタクをすることは無いだろう。
「もっとライブ行きたかったな」みたいな後悔が無いといえば嘘になる。
でも、もう充分すぎるほどやった。マジで楽しかった。
解散後の私の変化
触発された
あの日、ライブハウスで観たBiSH。
約7年半後、東京ドームで観たBiSH。
『東京ドームでライブをする』という目標を掲げて、突っ走ってきたBiSH。清掃員の誰もが「絶対できる!」とは正直言えなかったかもしれない。
しかしどうだ?
徐々に「もしかしたらできるんじゃね?」という気持ちに変わった。
そして「絶対できる!」という気持ちに変わった。
本当にめっちゃくちゃかっこよかった。
一番かっこいい人たちが、一番かっこいい場所で、一番かっこいい散り方をした。
触発された。
私は今までなんとなく生きてきた。
本当はやりたいことや、なりたいものがたくさんあった。
小さい頃、小説家になりたかった。
実際に書いて賞に応募したこともある。
でも書かなくなった。
実力を知ったから、食えるのは一握りだから、そんな理由で無理やり自分を納得させて、諦めた。
諦めたといえば聞こえはいいが、貫き通せる自信が無かったから、ただ逃げただけだ。
いつの間にか、安定的に固く生きることこそが『正解』だと思うようになった。
みんなやっているから、就職活動をした。
本当はやりたい仕事じゃないのに。
みんな知っているから、大手を受けまくった。
本当は入りたくもないのに。
運よく何社からも内定を貰った。
自分に嘘をついて自身を無理やり納得させる人間にとって、就活は余裕だった。
就活終了後、大学から就活セミナー講師を依頼されて、何度もやった。
本当に自身が行く業界で、業種で、会社で働きたい後輩たちが集まった。
心が痛んだ。
こんな人間が採用枠を1つ奪ってしまって、自分のせいでお祈りされた人がいると思うとやるせなかった。
社会人になった。
やっぱり自分がやりたいことじゃなかった。
でも、人生こんなもんかと、無理やり自分を納得させていた。
しかし慣れとは恐ろしいもので、半年も経てば「まぁこれも悪くないな」と思うようになった。
多忙すぎて考える暇もなかった気はするが、そんなこんなで、騙し騙し社会人をやってきた。
BiSH最優先の半年間も、ライブ前後の有給も、髪染めも、どうせこれからもつまらないサラリーマン人生なんだからと、せめてもの悪あがきだった。BiSHを思い出の一つにして、ダラダラとやっていけばいいやと思っていた。
だが、BiSH解散の瞬間を目の当たりにして、気持ちが変わった。
夢を叶えた彼女たち。
挑戦すらしていない自分。
ステージと客席の距離も、年齢も、然程離れていないのに、そこには天と地の差があった。
いつから私はこんなにつまらない人間になった?
世間の正解などどうでもいいじゃないか。
世間が自分を助けてくれるわけでも、楽しい人生を送らせてくれるわけでもない。
向いてないとか、やっても無駄とか、どうせできないとか、言い訳を考えるのはもうやめた。
BiSH解散から1年。
この1年間で、環境もマインドも変えた。
退路も断った。ガン攻めあるのみ。ただやるだけ。
逃げ続けちゃダメよね
逃げグセがつきそう
できうる自分の限りは
なんとかしてみせよう
行かなくちゃ
攻めなくちゃ
腰が引けちゃうけど
Fight For Right
答えがないのは
ほら ないで燃えるじゃん
難しければ
難しいほどいいね
理解不能じゃない
そうわかってる そうさわかってるけど
立ち向かう用意をしよう
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