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自律神経失調症になるまで

今私は23歳で、夫は28歳。

ここ最近何があったかというと、

夫が去年の9月頃潰瘍性大腸炎になった。

いわゆる難病。

その診断を受けた直前には、私の両親への結婚挨拶を済ませていた。

心配症な両親には言い出し辛くて、

いざ母に言い出す時、すでに夫は入院していた。

夫は何かを口にすればそのまま大腸に激痛が走り、血と膿の便が出ていたらしい。

入院してからもずっと絶食で、高熱と闘いながら2週間くらい経ったところでようやく重湯に口をつけた感じだったと思う。そのうちお粥も食べられるようになって、なんとか退院した。

そのころ私は将来が不安で出勤するなり泣き出したりする不安定さではあった。また、ずっと使い慣れたこのありきたりな苗字を失うことが思いの外辛くて1週間くらい私の姓にしようかと悩んだりもした。

2020年1月29日。3年記念日の日に入籍をして、神楽坂でそれぞれ1万円する美味しいディナーを食べた。本当に本当に美味しかったなあ。美味しかったねえ。

2月に入って、コロナの話題が大きく広がってきた。4月に結婚式をするつもりで、ドレスも買ってお花も選んで、手作りした招待状も全て送って準備は着々と進んでいた。

だけど、私には透析をしているおじいちゃんと臨月のいとこがいて、その命の方が大切だったから結婚式は諦めた。

春になってアパートの更新が迫ってきたころ、流石にもう1Kに2人は住めないからということで物件探しを始めた。あと家賃が高かったからね…

難病を抱えた夫のことを考えると、私が養っていくことになるんだろうなあと薄々認めながら、固定費がとにかく安く済む物件を探し始めた。

その頃コロナの影響で休校措置が出され、児童デイサービスである私の職場は大混乱となる。休校の学校、休校しない学校、分散登校、送迎を行う私達の仕事は本当にてんやわんやだった。

そして3月末。

夫の病気が再燃した。

また夫は入院して、いろいろな薬を試した。

難病の中でも難治性で、ステロイドが効かなかった。2週間入院しても治療方針が決まらなかった。

もしかしたら夫は死ぬのかな、って思ったりもした。結婚したばかりなのに、これから一緒にやりたいことたくさんあるのに。

私は毎日仕事に出かけてはコロナの影響で残業して、いつもとは別線の電車に乗り換え、夫と面会もできず看護師さんを介してただ洗濯物の受け渡しを行い、帰宅して家事をして、シャワーを浴びて、物件を探して、無心で翌日のお弁当を作った。

そんな生活を送る中で、仕事で大きな出来事があった。

仕事柄私は車を運転する。

基本的には子供たちを家に送り届けたあと、添乗員として乗車している他のスタッフと車を運転して雑談しながら施設に帰る。で、この日はおそらく35歳くらいの女性パートさんと同乗していた。

その、私が運転している途中で。

(要約すると)

「あなたのことが出会った時から大嫌いで大嫌いで仕方ない。あなたが他の職員の個人情報調べてLINEとかで私の知らないところで繋がってるのはどうかと思う。あなたがいるから私は仕事に来るのが嫌で嫌で仕方ない。あと遅刻したり休んだりさ、甘いよ、甘えてるよ。結婚するのとかさ、みんな一生懸命頑張ってるのにさ、お願いだからもう引っ掻き回さないでください」

というようなことを言われたわけだ。

支離滅裂である。

「自分の知らないところで私と他の職員が繋がっている」っていうのを聞いて、「あ、これは妄想で自他の認識ができない状態になってるな」ってことは判断ができたから、私はクソ真面目にそれを受け止めて落ち込んで交通事故を起こしたりはしないで済んだんだけど…

後から知った話、この女性は統合失調症とのことだった。どんな病気かは一言じゃ言えないので調べてもらえると幸いです。

とはいえ、自他の認識が出来てないってことは「個人情報を調べて」私のことを検索したりしてるのはその女性自身なんだろうなあということも推測できるし、私が体調不良や夫の病気関連で仕事をお休みしたり遅刻したりしたことは本当だから、それに怒っているのは事実かもしれないし、私の不安とショックは消えなかった。

これを機に自分が周りからどう思われているかをすごく考えるようになってしまって、職場にいるのがすごく緊張するようになった。

それと同時に、家では

「もしかしたら夫はこれからも半年に一度はこうして入院する生活になるんじゃないか」とか、

「夫が先に逝っちゃって、私、数十年は独りで生きることになるんじゃないか」とか、

「私が持ち帰ったコロナで抵抗力の落ちた夫を殺してしまうんじゃないか」とか、

そういうことが頭をよぎったり、頭をいっぱいにしたりして、泣いたり叫んだりしていた。

そう、とりあえず家のことも仕事のことも引越しのこともなにもかも精神的に負荷がかかっていたんだよね。

この頃唐突に私が電話をかけて話を聞いてくれた友人は本当にありがとう。

5月、夫はいざ退院が決まって、コロナ予防のために別居を決め、私は実家に帰った。

6月現在、コロナも多少は落ち着いてきたように見えるし、広めの安い部屋にお引っ越しを済ませ、夫婦仲良く暮らしている。

でも、これまでの私の精神的なダメージはまだ強く残っていて、すっかり私は仕事への意欲を失ってしまった。夫の入退院、未来への不安、コロナ、仕事の多忙化、職場の人間関係、全て1人で手配した引越し。

一通り終えたところで無理していた体からアラートが出て、心療内科の先生が診断書を書き、半ば強制的に休みをとった。

アラートは、それまでなかった飲酒の習慣、出勤前の胃痛、食後の腹痛、軟便、悪夢、物忘れ、常時不安感、怒りの頻度の高さ、破壊欲、無気力、「仕事辞めたい」の口癖、

などなど

でも結局夫も休職中だから私も早く治して働かなくちゃならないんだけどね…

夫婦そろって休職って…やばすぎる。

そういう生活送っている人いたら教えてほしい。とうやってやりくりするの?

次は、休職中の私たち夫婦がどうやって生活していくつもりか…みたいな話を書いてみようか。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

この記事読んでちょっとでも何か思ったことあったら、いいことでもわるいことでもコメントをもらえたらうれしいな。

あなたのこと忘れない