ギター、2023年、自分。
こんなにも自分がギターが好きだったなんて知らなかった。自分がやると決めたらやる性格じゃないってことは誰よりも自分がいちばんよく分かっていて、だからまたすぐに投げ出すと思ってた。
一度ギターから離れた理由を言えばそのせいみたいになってしまうから、あの時は確かに怖かったけれど結局は自分が勝手に離れただけだから言い訳にはしたくなかった。だからもう過ぎたこととして、自分のせいと認めた。
埃をかぶせちゃってごめんね。弦、張りっぱなしでごめんね。また始めようとした時、ふてくされたかのように2夜連続で弦が切れた。そうだよねギターケースの中で寂しい思いをさせていたもんね。(9.9割の事実としては、私のチューニングが下手なだけ。)善処します。
ギターって、始めて1ヶ月で9割がやめる楽器なんだって。楽器屋さんが言っていた。指、痛いしさ、難しいから。だけどね。続けられた人にとっては、一生の友となる楽器なんだって。そうも言っていた。
弾きたい曲が出来たんだ。毎日60分。ギターの練習をしはじめて、1週間が経った。前奏のところだけなんだけれど、ほんのちょっとずつ、指が弾きたいコードの位置に自然といくようになってきたの。ギターに愛着がわいてきた。大切に弾きたいと思う。難しくっても指が痛くっても、そうだよね、一筋縄じゃいかないよねって、話しかけたくなる。嘘みたいに楽しい。
だけど、自分がやると決めたことを毎日やり続けられる性格じゃないってことは、自分がいちばんよく分かっているからこそ、なんでこんなに続いているんだろうって、ちょっと不思議なくらい。変わったのかな、性格。そんなわけないね。
年が明けた。
今年の年越しはさんざんで、ちょっと悲しかった。
だけど、その間によく眠ってちゃんと考えた。
今年は『動』の年にしようって思えたんだ。
2020年から2022年までの3年間は、私にとって、壊滅的に、徹底的に、意識的に、物凄く意思を持って『静』の中を過ごした。極力、人に会わなかった。お誘いを端から断った。上京したての東京の街を1人で歩いた。あんなにも音楽が好きで、ライブに行くことが生き甲斐で、全国駆け回っていたというのに、それも行くのをぴたりとやめた。10代後半から20代前半までの生活と、180度違う時間を過ごした。
静寂の中の3年間だった。
よく考えた。
自分のことを、ちょっとだけ知った。
こうして文章を書いて、自分以外の誰かに読んで貰えるようになって、自分を客観的に見てくれる人からのコメントで知る自分もあった。
この3年間、『静』の中で、自分がやりたいこと、会いたいと思う尊敬する人、行ってみたい場所、奏でたい音、撮りたい風景、残したい言葉、そういうものを、すごく丁寧に、見極めていた。
ちゃんと意味のある、静かな3年間だった。
離れていってしまった人もいる。手放してしまったものもあった。そりゃあそうだ、ほぼ突き放すに近いくらいに、大切にできなかったことも思い出せるから。それも、自分のせい。だけど究極はやっぱり、自分が愛したいものを勝手に愛することしか出来なかった。結局は、見返りを求めない愛に勝るものはないから。
aurora arcの最後のMCで、藤くんが言ってた。
「これから先、今日だけじゃない、明日だけじゃない、お前の未来がどんなものであろうと、どこにいようと俺の歌は、俺たちの音楽は、お前のことを絶対1人にしないから。
気付いてもらえないかもしれないね、その時。俺たちの歌にもさ、俺の歌にも、気付いてくんないかもしれない。だけど、勝手に、勝手にね、お前のそばにいるから。
俺の歌う歌は、俺たちの出す音は、絶対に必ず、お前の未来がどんなものだろうとお前がどこにいようと、必ずそばにいるから。気付いてくれなくても。勝手に。」
「魔法みたいな夜だったよ。
でも別に魔法がかかってたわけじゃねぇんだよ。
俺とお前がさ、音楽を真ん中にしてさ、音楽を目印にしてさ、待ち合わせしてさ、それが上手くいったっていう、それだけの、普通の日なんだ。
そんで、明日は、今日の続きなんだよ。
死ぬまで今日の、続きなんだよ。
I LOVE YOUだぜ。宇宙のどこにいたって抱きしめてやるからな。1人にさせねぇぞ。気付かなくてもな。ツアー終わっちゃった寂しいよ。はやくライブやりてぇな。だけどそう簡単にできるもんじゃねぇからさ、なんか曲とか書くわ。そんでお前に会う口実つくるわ。へへ。ありがとな。風邪、ひかないようにね。
ばいばいまたね、おやすみ。」
“公転周期”を意味するタイトルが付けられた5作目のオリジナルアルバム。地球の公転周期に伴い、28歳の誕生日は誰でも自分が生まれた日の曜日と同じ曜日になるという法則をふまえて、メンバー全員が28歳を迎えた2007年にリリースされた。4畳半の部屋から宇宙へ思いを馳せる「プラネタリウム」、時空を超越して心を飛ばす「時空かくれんぼ」など、いまだ人類が解明できない宇宙のしくみと自分の中にある心を重ね合わせて情景豊かな世界を描く。ビートルズが使用した楽器を使い、至るところにビートルズを思わせるリフを散らした「かさぶたぶたぶ」、初めてエレクトリックシタールを使用した「花の名」など、音楽的な冒険心も随所で感じさせる。
確かに、音楽だけはいつも、人生のどの地点においても、勝手にそばにいてくれた。
本当に、人生に沿って、好きな曲をちゃんと持ちながら生きてきたなぁと気付く。
地球の公転周期に伴い、28歳の誕生日は、誰でも自分の生まれた日と同じ曜日になるらしい。
私は今年、はじめて自分の生まれた日が、日曜日だったということを知った。
28にもなると、この世界にいるほとんどの人が、みんなそれなりに素敵で、みんなそれなりにズルくて、みんなそれなりに真面目で、みんなそれなりに怠惰で、みんなそれなりに思い合っていて、みんなそれなりに自分がいちばん大切で、その中で、偶然出会ったり、待ち合わせをして会ってみたり、会うことを拒んだり、会えばよかったと後悔したり、出会わなければよかったと嘆いたり、やっぱり出会えて幸せだったと思い直したり、そんなことを繰り返しながら、今日という日を、何食わぬ顔をして過ごしているのだということを知る。
誰のことも少しずつ好きで、誰のことも少しずつ嫌いで、誰のことも少しずつ興味があって、誰のことも少しずつどうでもよくて、誰のことも少しずつ想っていて、誰のことも少しずつ忘却していて、誰のこともちゃんと覚えているんだ。思い出せないだけで。
BUMP OF CHICKENが『orbital period』を創った時、彼らは28歳だった。正直、信じられない。天才って、いるんだよなぁって思う。こうして私が28歳になった今もなお、愛くるしい天然天才集団として、その地位を確立し続けているんだ。100年後の未来には、音楽室の壁のベートーヴェンやモーツァルトの横に並んでいるかもしれない。なんてね。
今年はね、自分がしたい『動』を、ちゃんとしようって思う。
ギターも『動』。
ライブも、申し込んじゃった。これも『動』。
当たるか分かんないけど、当たるといいな。
国府津の海に行く。カメラを持って。これも『動』。10代の私の根幹を支えてくれていた場所だから、ありがとうを返しにいくの。
それからちゃんと、自分が会いたいと思った人のところへ、自分で会いにいく。これはそれを、本当に自然な形で教えてくれた人がいて、その人から学んだんだ。それが『動』いてみようかなって思えたきっかけだった。その人の低姿勢さとか、優しさとか、今置かれている場所を幸せだと思えている謙虚さとか、誰のことも敬う話し方とかそういうところを、私も少しは見習わないといけない。学ばさせていただきたい人のところへ、ちゃんと、自分からいくんだ。
『動』のためには身体が資本だから、毎日お味噌汁を作って飲むことにして、これが案外ちゃんと毎日、続けられている。不思議だなぁ。こんなにも、続けることができる性格じゃなかったのに。
『動』く世の中のことを肌感覚で感じていられることの凄さとか、残しておけることの尊さとかを身に染みて感じる出来事もあって、今年から、新聞をとりはじめてみた。毎朝コトッて届くの。それがすごく嬉しい。なんだか世界と「おはよう」ってしているように感じる。ギターを練習するようになってからより一層見なくなってしまったSNSよりも、よっぽど多くの事を教えてくれることを知った。自分とたくさん対峙した3年間だったから、これからは、自分の半径20メートルくらいの場所で起こっていることにも、少しは目を向ける余力を持ちながら過ごせたらなって、思う。
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。私は私。あなたはあなた。もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。