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『宇宙船”練馬号”からの脱出』(全四話+あとがき)

第一話:拾う人、拾われる人

上京してからもう三ヶ月が経とうとしている。僕はすっかりこの街の虜になっていた。道玄坂の冬は、思っていた以上に寒い。クラブとホテルと飲み屋と、男と女とそれ以外。闊歩する人々をぼんやりと眺めていると、ここが地球なのか、はたまた銀河系の果ての中継地点(地球でいうところのシンガポール?)なのか。それにこれがお酒に魅せられた幻覚なのか、それとも僕の妄想の才能なのか。そんなことをぐるぐると考えていたある金曜の夜のお話。

「たてないわぁ〜」横にいるはずの友人にもたれかかろうとする。しかしそこには駐禁の標識を支える鉄の棒がスッくと立っていた。
辺りをキョロキョロと見回すが、友人の姿はどこにもない。「おかしいな」とは思わず、「これでこそ華の金曜日ではないか!」とふんぞりかえり地べたに腰を下ろす。地面は案外冷たい。ストロング缶に結露した水滴がつかないことも相まって、今が冬の夜であることを今更感じる。
この街は年が明けて早々に人混みであった。

それから一人で何軒か飲み歩いた。一軒目はアジアン居酒屋で生春巻き片手にパクチーサワーを飲んだ。二軒目はなんてことのないパブ。ここでは何人かのなんてことのない中年の男女と話した。三軒目はアイリッシュパブ。ここではぼーっと店内のモニターでサッカーの試合を消費した。左手にはジントニック、右手には確かアメリカンスピリットの黒。
この三軒目を境に僕の記憶は曖昧だ。正直に言おう。そこからの記憶はない。

「お兄さん大丈夫?」聞き覚えのない女性の声が鼓膜を叩く。声の主が誰なのかなど気にはならない。僕は「ううん」と返す。声というよりかは、吐息に音を載せただけの代物だった。「多分帰れないでしょ?」彼女が呟く。
僕に尋ねたのか、それとも独り言なのかは定かではないが、僕は返事を返すことさえ諦めていた。「わかった。タクシー呼んだげようか。」彼女はそう言うと僕の側から離れていった。朦朧とする意識の中に、彼女の後ろ姿と、綺麗な白髪が見えた。フードの縁にファーが付いた黒いダウンコート。手には小さめのバッグ。スマホを反対の手に持って、黒いヒールを履いていた。
僕はまるで”師匠と家族を殺された男が組織に復讐をする香港映画の主人公が、序盤に組織にボコボコにされた時”のように、ゆっくりと目を閉じた。文字通りゆっくりとだ。

それから主人公(僕)は、サイゼリアから練馬にワープすることになった。
なんて東京らしい夜明けじゃないか。
明け方四時半にみっともなく素敵に僕は拾われた。

第二話:あの部屋、その部屋

彼女の家に着いた時、僕は半目を開けて眠っていたらしい。タクシー運転手のおじさんと彼女に担がれて、僕は玄関まで物みたいに運ばれたようだ。正月早々、なんとも縁起の悪い米俵である。
それからベッドまで引っ張って持って行かれて、僕はふかふかもふもふの彼女のベッドに横たわった。その後僕はしばらく眠ったらしい。

次に目を覚ました時僕は現実と、違う現実の間にいた。”夢と現実の間”とはよく言うが、見知らぬ天井と、他人の家の匂い、壁際に置かれたキャビネットの上に整然と並べられた写真立て、背の低いガラステーブルの上に積み重なった大小さまざまな封筒、それらがどうも夢らしからぬ香りを漂わせていた。これが夢なのかはたまた”違う現実”なのか。僕は後者を選んだ。
そんな訳で僕は”僕の現実と誰か違う現実の間”にいたのだ。この現実の谷に迷い込んだ僕に彼女はこう言った。
「目が覚めたらシャワー浴びていいからね、あそこにタオル、冷蔵庫の物は飲んでいいよ、それからテレビも見ていいし、充電も。まあなんでも使ってくれていいや笑」そして間髪を入れず彼女はこうも言った。
「ただし、あの部屋だけは入らないで。絶対。」彼女の言う”あの部屋”とは、ベッドの横にある扉の奥だと言うことはすぐにわかった。そう言うと彼女は支度をさっと済ませてから仕事に出かける。「私が出たら鍵閉めてね。今日はお客さんが迎えにくるから早出なんだよね。申し訳ないけど。」
どうやら彼女は接客業で、出勤する時間を考えると恐らく水商売なのだろう。他人を詮索する文化は東京にはないことは知っていたので、従順な僕はこれに従い、特になにも尋ねなかった。

彼女の言葉がまるで”一般人に扮して潜入した捜査官たちが、カフェで犯人を確保するために申し合わせた「飛びかかれ!」を意味する合言葉「暑すぎる!(店内は寒いのに)」”かの如くインターホンが鳴り響く。どうやら客が迎えに来たらしい。
「客に家を知られてるのってどうなの」と思ったものの、言葉にする隙もなく彼女は足早に出ていった。

彼女が家を出ると、家の中は静寂に包まれた。静かになった知らない家の中で、僕はぼーっと惚けた顔をして初めて見る玄関を眺めた。僕の靴ときちんと揃えて置かれたサンダル、傘立ての横にスニーカーが置かれていた。扉の内側は鉄製で、100円均一で売られている様なマグネットタイプのフックが三つ。合鍵らしい鍵がまだ少し揺れている。
それからシャワーを済まし、テレビをつけてみた。「テレビってやっぱつまんないよなぁ〜」そう言ってテレビを消すと、ふと”あの部屋”が視界に入ってきた。「絶対に入らないでね」彼女の言葉が脳内で反芻されている。「絶対」とはなんとも悪魔的な言葉である。そんなの入りたくならないわけがないのだ。入りたい。そう考えると「「薬物!ダメ!ゼッタイ!」というポスターを出して以降薬物使用に伴う逮捕が激減したのです。」と豪語していた中学校の歴史の教師の顔を思い出した。言葉には不思議な力がある。

絶対入ってはいけない部屋、扉一枚隔てた部屋、引き戸を開けて入るタイプの部屋。”あの部屋”が僕に波の様に押し寄せてくる。これが恐怖なのか、好奇心なのか、それとも両方か、僕はあることわざを思い出した。「可愛い子には旅をさせよ」である。僕はこの先人たちからの教訓に従うことにした。「バレなきゃ大丈夫か」僕は心の中で呟き電気を一応念のため消した。四つん這いになってハイハイしながら部屋の方へ進む。じわっじわっと部屋に近づく度に僕の額からは汗がツラツラと流れていた。とうとう部屋の引き戸が目の前に聳え立った。僕は唾を飲んで扉をスーっと開け放った。

第三章:せめる者、せめられる者

思わず「スマホのライトはこの時の為に開発されたのか」と口からこぼれた。部屋の中を照らしてみる。ざっと1.5畳ほどの小さな空間に何者かの死体がなくてひとまず安堵した僕は、ぐるりと部屋の中を観察した。「この類の間取りは、楽器を練習したりする人向けに防音仕様になっているんですよ〜」内見に行く日の道中、車内でちらっと後部座席に座る僕を見ながら、ニヤニヤとこれから見に行く物件について語る30代の不動産会社の社員の声が脳内に過る。高くも低くもない重みのない軽い声。「あの時内見した下北沢の物件に住んでいたら、僕はどんな人生だったのだろうか。」ふとそう思った。回想や妄想が好きな訳ではないが、よく脳内でそうした記憶の断片が再生されることがある。そしてそうした回想には妄想がセットでついてくる。

そんな妄想を掻き消す様に、僕の目には不思議な光景が映っていた。1.5畳ほどの部屋には当たり前に4面の壁がある。一つはドアが付いている壁。しかし問題は残りの三つだった。三つの壁にはそれぞれ鉄製の金網が貼られており、それぞれの金網には壁ごとにジャンル分けされた”物”が掛けてあった。

まずは第一の壁は正面左の壁。この壁には大量の”道具”が陳列されてあった。綺麗に並べられている様子は、まるでスパイ映画に出てくる隠し部屋の壁にかけられた銃火器の様である。道具の色はピンクや赤、白、肌色などさまざまであった。大きい物、電動なのかコンセントプラグ付きの物、見たこともない様な形の物、色々あった。アクセントにピンクと白の手錠もあった。

第二の壁は正面右の壁。この壁には四着の衣服が掛けてあった。それぞれ違う職業の制服だった。看護師、警察官、サンタクロース、女王様。しかし制服にしては少し派手な気もした。まあいい。

最後の壁は正面の壁。ここには大量のチェキが貼られている。チェキに映るのは制服をきて道具を使う彼女と、それぞれ違う男性の姿である。彼女が攻めている写真もあれば、その逆もある。中には流血した様子が収められている物もあった。一気に血の気が引いた。

そうこうしていると、床に置かれているノートPCに右足の親指が当たる。「冒険好きの視聴者の皆さんのために!」がモットーのYoutuberの如く僕はそのPCを開く。パスワードはあまりにも容易に入手できた。彼女が付箋にパスワードを書き記すタイプの人間でよかった。パスワードは[chukiusagi2245]。読者諸君はこう思うだろう。「そんなのよく覚えてんな作り話か?お?」と。しかし僕の記憶力を舐めてもらっては困るのだ。特に今回の様な死線を綱渡する最中なんかに起こることや、見た言葉、風景、音、匂いなどはほとんど記憶される仕様だ。
パスワードを入力して開いた瞬間に、僕は「深追いに死は付きものであること」と、「開けずに終わった宝箱が一つあったら冒険は深い物語になるのだ」と言う二つの教訓を思い出した。誰に言われたのか、本で読んだのかは定かではないが、僕はPCを強制終了させ、部屋から出た。

暗闇の中部屋からベッドに最短ルートで向かい、布団にダイブすると当たり前になんだか眠くなった。それから深夜の二時に彼女に起こされるまで、僕は熟睡した。

第四話:奇襲、起床

夢は見ていない。夢の様な現実から帰還し、ベッドで熟睡した僕は文字通り熟睡できたせいか夢などは見なかった。もちろん僕がうなされたことなど誰も知らないだろうが。
起きたきっかけは彼女がどうやら帰宅し、そのまま布団に入ってきたからであったらしい。もぞもぞっと誰かが布団に入り、ベッドが揺れた。それが彼女であろうことはすぐに気がつき、僕はコードブルー(リラックス)からコードレッド(エマージェンシー)に切り替わる。数分間様子を伺ったがどうやら手錠をかけてくる様子はない。恐らく疲れて寝ているのだろう。僕はこの城の主人の存在をすっかりと忘れていたが、「ここでの秩序は彼女であり僕はあくまで晩餐の一品なのだ。」そう自分を奮い立たせた。それから一度冷静になろうとトイレに行く。ふりをしてトイレに朝までトイレに立て篭もろう。陽が昇ればこちらのものだ。とトイレに立つ決意を固めた。
布団をゆっくりとめくり、太ももまでめくった時事件は起きた。いや事件はすでに起きていた。というのが正しいだろう。めくられた布団の中にいた彼女はなんと素裸だったのだ。脱出案を巡らせていたあの一瞬一瞬に僕は晩餐としての準備をされていたに違いない。

急いでベッドから出て一路トイレへ逃げ込む。道中脱いだ服の山脈と、ブランドバッグの肩紐、ブラジャーの紐から成る大河を飛び越える。トイレに不時着した僕は世界中の安堵を寄せ集めてぎゅっと潰した様な表情で便器に座り鍵をかけた。それからスマホを取り出し、万が一不審に思った彼女が起きてきて、トイレに様子を伺いにきた時のためにお腹が壊れたふりをしたりしたがどうやら彼女は来ない様だった。しかし不思議なもので、人間とはこんな状況でもだんだんと眠くなるようだ。僕の視界はふわり、ふわりと揺れ霞んでゆく。数秒とも数時間ともわからぬ黄昏時を本名も知らない主人の家で過ごし、僕は再び目を覚ました。今度は朝だったし、素裸の主人も横にいない。あるのは1畳に満たない個室と便器、トイレットペーパーと僕。なんとも窮屈な体験である。脱出どころか自ら独房に収監されたのだ。「ここは陸のアルカトラズか、、、」嘆きも虚しく覚悟を決め外に出た。

「大丈夫?」カレーの香りが立ち込める1LDKのキッチンの奥から聞き慣れてはいないが聞いたことのある声が響く。「う、うん、、、お腹壊れてトイレにこもってたら寝ちゃったみたいだわ。」僕が返す。「そっか、寒かったら暖房入れてよかったのに笑」彼女が言う。僕が返す。彼女が言う。そうして嘘を嘘で固める会話が続く。僕はついに確信に触れる質問を投げかけた。「そういえば昨日裸で寝てた?」数秒の沈黙があり、彼女はこう言った。「疲れてなかったらねぇ〜」僕は返すことをやめた。もし彼女が昨晩疲れてなかったならどうなっていたのか。もし僕がお腹を壊すふりをしていなかったらどうなっていたのか。西部開拓時代のネイティブアメリカンの様に侵略され、文化を剥奪され、土地を奪われ、居留区に住むことになっていたのではないか。想像は妄想に変わり、飛躍した後に考えることさえやめてしまった。

「スーパー行こうか」唐突に彼女が言う。「うん、、、」僕が返す。
今日は三連休の二日目の朝。練馬の宇宙船からは当分逃げられそうにない。

あとがき

長文お疲れ様でした。
読者諸君には初めに言っておきたい。これは全て事実であり、僕が上京後に体験した実話である。「んなことあるかいっ」と思う人もいるであろうが歴とした事実であり、練馬の宇宙船は確かに存在したのだ。

その後どうなったか?なんと僕は宇宙船で三連休を過ごし、「このまま住む?」という彼女からのインビテーションカードを履き捨てて自分の城へと帰還したのだ。

その間僕が晩餐になることはなく、あの恐ろしい夜以降彼女は服を着て寝ていた。「一体なんだったんだろう」そう思った日も少なからずあるが、今では立派な洗礼だったのだろうという着地点に到達している。こんな経験買うことはできないからである。そうした経験一つ一つが今の僕を作り、人生を歩ませていることを胸にこれからも生きていきたい。そう思った経験であった。
それでは皆さん。ごきげんよう。


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