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毎日散文

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2020年6月の記事一覧

086「硝子の子」

 ある硝子職人が、ひどく長引いた梅雨の小屋で、風鈴を作りつづけている。ただれた手で、吹き竿をささえ、彩色するのは、妹にまかせている。安全靴には、落としきれなかった精液がこびりついている。国境沿いの工業地帯に、異様に細い煙が、悪夢のようにのぼりつづけるのを、ひどく、忌みきらう人々がいる。その人々をまた、排除しようとする人々がいて、紛争と工場の対比の写真を撮りにくる写真家はあとをたたない。対立する群衆

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096「聖火」

096「聖火」

 灰皿におとされた聖火を、貪るものはなく、あなたは、わたしの鳥の首を締めている。それが遠い昔からつづく、団欒のひとかけらであるかのように。鳥はオルガンのような声をしぼりだし、床板のしたで、赤い服を着た幼女が、毒のある蛙に変化してゆく。

 磁場に睾丸をくわえこまれたまま、わたしは学童保育所で、氷を食べたことをおもいだす。金色の紙を独楽に貼りつける、回転のうつくしさを、わたしは、薔薇の孤独にすりかえ

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093「かたなと姉」

093「かたなと姉」

 片栗粉をまぶされた姉は、口のまわりの粉をはらってあくびをする。彫刻家ばかりの家で、姉だけは、彫刻刀を持たない。矢が好きで、弓のことはよく知らない。電灯を見かけた昼に、砂のような姉は、あらゆる人の靴によりそっているのだ。フライパンの上に、一匹の海老がいる。これから料理されるのか、ただ単に、そこに置かれているだけなのか。料理されれば、よいのにとおもう。だが、わたしがそれを決めても、仕方のないことなの

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090「老境」

090「老境」

 いつか、貝をひろいに、山をのぼらなければならない日に、わたしは、折れた風見鳥のころがっている木陰をながめながら、生姜焼きを食べる。ならんですわっている老婆は、その腕よりも厚そうな、書類の束に、すばやく、目をとおしてゆく。老婆は、書類の内容を、ほとんど、おぼえていない。ある書類に、黄金比、という言葉が、たくさんでてきたので、黄金比、という漢字だけは、たしかにおぼえている。

 測量士の男が、1枚の

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089「ニヒル・パフェ」

 チョコレート・パフェの頂上から、さらに高く盛られたホイップ・クリームに指をしずめる。まわりに誰もいないとき、わたしは手で物を食べる。一族の風習や、伝統や、食器との確執があるわけではない。舌だけでなく、指でも味を堪能したい、というだけのことだ。舌先で感じるような甘みや苦味とは、まったく別の、唾液を放出させる、痛みや支配、安堵、興奮にも似た、激しい味覚を察知する機能が指にはある。

 クリームをすく

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088「塩の瓶」

088「塩の瓶」

 寝て起きると、いつも、掛布団が左によっている。そしてときどき、めくれあがった布団の下に、塩がちらばっている朝がある。日によっては、量も多く、ちくちくする結晶が、背中にまで、いくらかはりついていたりする。ぼくは、それを、小さな箒ではきあつめ、小さな酒瓶につめて保存している。色とりどりの塩が堆積し、瓶は、色彩にあふれている。

 話すほどでもないことばかりが重なって、午後は、死のように、怠惰である。

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084「霊歌」

084「霊歌」

 合唱団と戦闘機が、海岸に打ちあげられる。実用されているはずのない古い時代のものらしく、各分野の専門家がやってきて、調査がおこなわれている。海洋学者や、地質学者もやってきて、しきりに、写真を撮っている。だが、実際に海岸まで来てみると、学者は、どこにもいない。そこには、ただ、男たちが集まって、思いおもいに、遊んでいるだけなのである。

 わたしが、いくら喉がかわいて、飲むものがなくとも、街の喫茶店に

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083「コガネムシ」

 保育園の屋根を、コガネムシがのぼってゆく。園児らは、瞳のように、せわしなくうごく。滑り台の頂上に、春にしか咲かない花が分解され、捨てられている。空き缶と、トカゲと、白い画用紙は、思いがけない日差しをあびて、ひとつ、またひとつと、よみがえる。

 世紀末の空港に、木の根が、入りこんでゆく。小さく、漢字のように見える場所が、いくつかあるが、木の根は、漢字を作ろうとしているわけではない。明朝の朝礼。社

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082「鬼と縁日」

 数人の鬼とともに、縁日をめぐる。鬼たちは、金魚すくいの出店を眺め、なぜあの紙は破れるのかとわたしに聞く。出目金は、自らの命を弄ぶように、悠々と泳ぎながら、水槽の壁でその身を削っている。神社までつづく提灯の列を、首をかたむけ、避けてゆく鬼がいれば、わたしよりもちいさな鬼もいる。はるか遠くまでつづく出店の、鮮やかな屋根と人々の顔色が、もの悲しい夏の処刑台を照らしている。

 1匹の鬼が、火炙りにされ

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081「人参」

081「人参」

 花瓶のような寝室で、電球を割った夜は、しんしんと、笛の響く、痛ましい、祭りの夜だ。主催者が、老人の集団から、大酒飲みの若い男に変わり、年に一度しかない祭りのはずなのに、もう何ヶ月も繰りかえし開催されている。あらゆる家は、踊りのための太鼓と称して、はげしく殴打される。もはや一切は、誰にも、予測できないのだ。祭りによって、わたしたちは、櫓を組み、笑いつづけなければならなくなる。

 林檎の香りのする

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079「光輪と痣」

079「光輪と痣」

 光輪のようなノイズが響きわたる。巨大な舞台に、痩身の男が立ち、瓦礫の山のような機械を操作している。暗闇のなかに、緑色の閃光が乱射され、ふいに、一匹の虎が、男の横に悠然とあらわれる。男はふりかえり、虎と見つめあう。轟音は、さらに激しさを増してゆく。

 駅前の定食屋に、裸の少年が座っている。向かいに、青いワンピースを着た母親が座り、梅茶漬けをすすりながら、ほほえんでいる。少年の顔は青ざめ、白い膝に

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078「鉈」

078「鉈」

 ひとりの男が、音を奏でることをあきらめる。楽器を捨て、畳の上に、原子爆弾の模型を置いている。窓の大きな和室で、男は、汚れた求人雑誌を持ったまま、眠っている。強烈な日差しが照りつける。男はうすく目をあけ、このまま火に包まれて灰になってしまいたいとおもう。そうして、すぐに、また眠りに落ちる。

 小学校で、運動会がおこなわれている。子どもらの前に、1本の鉈が置かれ、それで、殺しあわなければならないと

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077「薬莢」

 軍事基地をめぐる観光バスが、にぎやかに走ってゆく。わたしも、退屈にまかせて、参加している。帰りがけに、実際に使用されている薬莢を、もらうことができるという。わたしはそれよりも、噂の海軍料理を食べたくて、毛糸の帽子をかぶるのも忘れて、バスに飛びのったのだ。となりの座席には制服を着た女学生が座っていて、彼女の座席の下には、十セント硬貨が二枚、ころがっている。太平洋を、一匹の蜘蛛が飛んでゆく。

 除

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076「ダージリン」

076「ダージリン」

 厳冬の早朝、紅茶屋の女将が、門のまえで、立ったまま死んでいる。質素な生涯に、いかなる矛盾もなく、着物の袖は、朝露に濡れている。女将の立つ場所を、何人もの人々が通りかかるが、女将が、茫然と思索に耽っているようにも見えて、静かに、通り過ぎてゆくばかりだ。ダージリンの香りがする。ついに、運送屋の少女が、女将の、蝋のような肌に気がつく。少女の息は詰まり、女将の雅な香水の奥から、かすかに流れる死の香りを感

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