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078「鉈」

 ひとりの男が、音を奏でることをあきらめる。楽器を捨て、畳の上に、原子爆弾の模型を置いている。窓の大きな和室で、男は、汚れた求人雑誌を持ったまま、眠っている。強烈な日差しが照りつける。男はうすく目をあけ、このまま火に包まれて灰になってしまいたいとおもう。そうして、すぐに、また眠りに落ちる。


 小学校で、運動会がおこなわれている。子どもらの前に、1本の鉈が置かれ、それで、殺しあわなければならないという。誰かが死ぬまで、鉈で、斬りあわなければ、ならないという。紅白の旗は豪快に振られ、声援は、あたたかく感じる。4人の少年が、鉈の前に、木のように立ちすくむ。上空を、轟音とともに、米軍基地を離陸した戦闘機が通りかかる。少年のひとりは、鉈で教師に斬りかかろうとし、射殺される。どこか愉しげなどよめきが、保護者席からわきあがる。


 少年は、誰かを、殺しただろうか。少年は、誰かに、自分を殺させただろうか。


 彼らの血球と血漿だけが、砂地の校庭に、重ねられてゆく。文房具屋の扉がひらかれる。ひとりの男が、漆塗りの万年筆に感心している。古い香りが、あらゆる商品に染みている。文具屋の店主は、客など、誰も来なくてよいとひとりごちる。くらい室内で、文具とともに、生活し、何も買われないことが、往生への最善の道であると、店主は、最近になって、考えはじめている。


 ひとりの少年が、隣の少年に、黙って、鉈を手わたし、腰を折って首を差し出す。鉈を持った少年は、安堵した表情で、わらいながら、その首を斬りおとす。血が吹き出し、少年だったものが水の入った皮袋のように、地面に倒れる。はじめて、鉈を持った少年は、笑顔を引きつらせ、黙りこむ。歓声が次第に耳のなかで膨張し、強烈なハウリングをひきおこす。

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