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084「霊歌」

 合唱団と戦闘機が、海岸に打ちあげられる。実用されているはずのない古い時代のものらしく、各分野の専門家がやってきて、調査がおこなわれている。海洋学者や、地質学者もやってきて、しきりに、写真を撮っている。だが、実際に海岸まで来てみると、学者は、どこにもいない。そこには、ただ、男たちが集まって、思いおもいに、遊んでいるだけなのである。


 わたしが、いくら喉がかわいて、飲むものがなくとも、街の喫茶店にゆくわけにはいかないのも、いわば、遊びである。しかし、道中に見える街灯の数を、覚えておかなければならなくなる。通ったことのある道ばかりだが、だからといって、記憶できるほどに、街灯を注視したことはない。注視していたとしても、一度や二度では、数えきれないだろう。楽団で、ティンパニを叩いていた頃も、最後まで、小節数は、数えられず、団長も、団員も、わたしを、疎ましがった。海はない。快晴のように、山ひとつない道路。


 煙がたちのぼる。男たちは、ため息ひとつつかず、ノートと、ならんで座る。砂の中から、小さな虫が顔をだし、柳の葉が、ほとんど揺れていないのを、確認してゆく。緑茶をすすり、鉄筋や、ガードレールが、たくさん格納されるところで、わたしは、眠っている。電子コンロのスイッチが、入ったままになっている。鍋の中の黒豆は、いつまでも、煮詰められる。だが、電子コンロには、そういったときのための機能がついていて、ある時間がたてば、勝手に、電源が切れてしまう。だから、いつまでも、黒豆は、煮詰まりきらない。そもそも、わたしの家に、鍋はない。黒豆はある。歌をうたいたいが、一曲ぜんぶ、覚えている曲がない。男たちは、そろって、呼吸する。合唱が、息を吹きかえす。わずかなユニゾンのあと、ふたたび、分解し、屏風のような形を、徐々につくってゆく。

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