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受け継がれるもの

『パンの袋を舐めていた
 子供を見たお母さんが
 棚の奥から同じ物と取り替えた
 衝撃的な出来事
 何も言えなかった』

とあるSNSでの投稿

これに対する意見は
・驚いて何も言えないかも
・許せない
・親の神経を疑う
・店員に注意してもらう
・店員に現状説明して
 パンを棚から下げてもらい
 あとは、お店に任せる
・お菓子を蹴ってる子を見た
・将来が心配
などなど様々な意見

しかし何かがおかしい

本来の日本人の感性であれば
・親が子供を厳しく叱る
・居合わせた人が親を叱る
・居合わせた人が子を叱る
・店員が親子を注意する
これくらいは
道端に転がる石の如く
よく目にした風景である

しかし今はどうだ?
上記のように接すれば
本来は間違っていないはずの
注意した側が『変な人』と
思われる文化が根付いている

たしかに
触らぬ神に祟りなし
かもしれない

しかし 上記のような
コミュニティの中で
日本の親子は少なからず
社会性を獲得してきた
もしくは誰彼なしに
感情をあらわにする
『変わった人』を嗅ぎ分ける
嗅覚を身に付けてきた

だが あらゆる様式が
外国式に塗り替わって
久しい世論や一般常識

けれど替わったのは表装のみ
中身は皆 生粋の日本人

Mr.Childrenではないが
『東洋人の顔して
 西洋人のフリしてる』

こういった出来事は
この親子の問題といえば
確かにそうだが すべからく
言えるのは その家系に
脈々と受け継がれている
価値観がそうさせるのでは
ないだろうか

いかにネット社会で情報過多と
言える現代の環境で
育児の手法やしつけなど
最新のものがタッチパネルの
中にあるとはいえ
親というものは自分が
育てられたようにしか
育てられないのが現実
そして
子供は親の背中を見て育つ
これは人類史が始まって以来
変わらない歴然とした事実

中には反面教師にして
『自分は親のようにはならない』
と自ら襟を正す子供もいるので
一概には言えないのも事実だが
受け継がれた価値観から
逃れられないのも事実

家族というコミュニティは
一種の宗教に近いものがある
その家族に潜在する独特の
文化は少なからず確かに在り
社会的に非常識もしくは
是が非かも別として
家族の中では当然のように
『正義』として君臨するもの
それに現代の風潮が加わり
他者の介入に嫌悪感が
さらに生まれやすくなった

2021年現在
SNSや生活様式の在り方や
世論も社会的見解も
決して正しいとは言えない
方向に向かっている部分も
決して皆無とは言えない

こういった場面に遭遇した時に
気を付けなければならないのは
この出来事に対して抱いた
喜怒哀楽などの感情より
自分に当てはまる
非常識な部分はないか改めて
自分に問う姿勢が問われる
そして『人として』を
家族と話す機会が必要である

しかし 悲しいかな
意図されてか否か意見が別れるが
この10年で家族や他者との距離は
ずいぶん遠くなった
今一度 横行する個人主義を
見つめ直さなければならない
時期が来ているのかもしれない

未来の大人を育てるのは
現在の大人である

私は決して西洋化を
否定しているのではない

しかし
大人達が いつまでも
見聞きしたものや
タッチパネルやTVで得た情報を
鵜呑みにし没頭し続ける
子供のままの思考では
日本人の未来は前途多難では
済まないであろう

政治・経済・医療・演者
あらゆる情報提供の背後には
スポンサーが付いている事も
脳裏の片隅に留め置いた
思考性が不可欠である

事象の表と裏を
見ているだけでは
子供達に示す事もできない

そう 未来への道標すら

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