クロスボール#30
前回(第29回 スポットライト)のあらすじ…
帰り道、ユイとばったり会ったケイシ。ユイに頭を下げると、ハルトのことを素直にすごいと思うようになったと話す。そんなケイシに、ユイは、ハルトもケイシのことを羨ましいと思っているのだと伝える。驚いたケイシは、ユイにお礼を言うとその場から駆け出し…
第30回 クロス
息を切らして校門をくぐると、グラウンドでは、片づけを始めようとしているハルトが見えた。ケイシは、フッと大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせるように、手を胸にあてた。大丈夫だと確かめるように頷くと、ハルトに向かって走り出した。
「ハルト!」
声をかけると、ハルトは、手を止めて振り向いた。声をかけたのがケイシだと分かると、その場に立ち尽くしていた。
「ハルト、勝負しろ」
ケイシは、転がっているボールを拾うと、ハルトに向かって蹴り出した。まだ状況をつかめないのか、ハルトは、戸惑った表情をしている。ボールが届くと、迷っているようで、足元でボールを遊ばせていた。
「こい!」
ケイシは、勝負を挑んだあの日と同じように、ハーフコートの中央に立った。ハルトは、ケイシの様子をうかがうようにして俯いている。
「びびってるんだろ?」
挑発するように笑ってみせると、ハルトの顔から緊張がとけていく。
「びびってねぇよ」
「勝負だ!」
ケイシの声に、ハルトは決心したのか、重心を前にして走り始めた。ボールは、ハルトの足に磁石のように吸い込まれていく。ケイシも、負けるものかとハルトに体を寄せた。
あの日と同じように、先に仕掛けたのはケイシだった。足元を狙って動いた瞬間、ハルトは体を右に動かした。フェイントにつられた形でケイシも右に動いていく。ハルトが抜け出そうとして、ケイシは遅れを取りながらも、体を強引に左に起こすと、ボールに足を伸ばした。あの時は、ここでハルトが力を抜いた。だが、今回は違う。ハルトは、軽々とケイシをかわして突破していった。
「くそ!」
そのまま抜け出したハルトは、ケイシを置き去りにして、勢いよくゴールを決めた。ボールのバウンド音が聞こえる。ケイシは、実力の差を見せつけられたことを噛みしめるように、天を仰いだ。
「もう一回、勝負だ!」
何回続けても、ケイシはハルトのボールを奪えなかった。ハルトは、どこか楽しんでいるようだ。幼い頃と同じように、ただがむしゃらにボールを追いかける。あの頃と変わったのは、ボールを取れずに悔しがるのが、ハルトではなく、ケイシだということだ。
ボールに足を伸ばした瞬間、つま先に感触があった。いけるかもしれない。そう思った時には、もう、ハルトがケイシの足をかわして走り抜けていた。
5回目のゴールが決まったと同時に、ケイシはその場に倒れ込んだ。右腕を額にのせたまま、空を見る。鼓動は、ずっと早いままだ。ふと、目の前に広がる星空が、きれいだと感じた。
「やっぱり、お前はすごいな」
ハルトと、ただ、こんな風に思い切りプレーしたかった。何も考えず、あの頃と同じように、真っ直ぐにボールを追いかけていたかった。
ハルトとの力の差は歴然で、認めるしかない。複雑な感情がよぎるような気もしていたが、何だか心はとても軽いままだった。
ケイシの顔を、ハルトが覗き込む。
「おい、お前はそんなものなのかよ、違うだろ!まだ、やれるだろう!」
ハルトは、そう言って笑った。その言葉は、ケイシが南稜高校の練習で、疲れ果てたハルトにかけたものと同じものだ。
「お前、あの時の声、聞こえていたのかよ」
恥ずかしそうにケイシは、手で顔を覆う。ハルトは、ろくに返事もせず、リフティングを楽しんでいた。それはまるで、倒れ込んでいるケイシのことを、からかっているかのようだった。
「あぁ、もう。お前ってヤツは」
ケイシは、両手を大きく広げた。息は少しずつ整っていく。大きく吸って吐き出すと、思い切り吸った息が、全身に行き渡っていくようだった。
「ごめん!」
ケイシは、大声を出した。精いっぱいの想いをその言葉に込めて、空に向かって叫んでいた。
ハルトは、リフティングしていたボールを、足元に落とすと、そのままボールを高く上げ、ゴールに向かって力強く蹴飛ばした。ボールが、ゴールネットに吸い込まれたのを確認すると、ハルトは振り返る。
「何のことだ?」
茶化すような顔をするハルトに、ケイシは笑みを浮かべるしかなかった。
「ひどいこと、沢山言っただろう」
「さぁ、覚えてないよ」
ハルトはそう返事をすると、ボールを拾い上げ、ケイシの頭を目掛けて転がした。頭の近くまで転がったボールに、ケイシは手を伸ばす。ボールを胸に抱きかかえると、ケイシはハルトに仕返しするように言った。
「お前が俺のこと、羨ましがっていたなんて知らなかったよ」
ケイシの言葉に、ハルトの顔色が変わる。
「おい。誰から聞いたんだよ」
慌てたハルトを見て、ケイシはボールを抱えたまま、笑い転げていた。
「なぁ、俺たちもまぜろよ」
声のする方へ振り向くと、そこには、ユウマとダイチが呆れているような、安心したような顔をして立っていた。
「あれ、お前たち何で?」
「まったく、いつになったら気付くのかと思ったら」
ダイチが、いつものように腕組みをしながら、ふくれっ面をしていた。
「ランニングの帰りに、ちょうどここを通ったんだ。そしたら、ハルトとケイシが見えたからさ」
ユウマが、優しく付け加える。
「また、ケンカでもしてるかと思ったぜ」
ダイチはそう言うと、倒れ込んでいるケイシに駆け寄り、腹をくすぐり出した。
「あははっ。やめてくれよ」
「そうだ!」
突然、ダイチが思いついたように叫び出した。その顔は、悪い顔をしている。
「ケイシ、ハルト、勝負しろ」
ダイチに応戦するように、ユウマも続ける。
「俺ら二人に勝てると思うなよ」
ユウマは、ケイシのボールを奪うと、指をさして挑発してきた。
「いくぞ!」
ダイチの掛け声に、ユウマは了解と、合図を送った。ケイシも起き上がると、ハルトと目を合わせた。その瞳は、捨て猫なんかじゃない。幼い頃と変わらない、真っ直ぐな瞳に見えた。
「負けるもんか!」
そう叫ぶと、グラウンドの中央へと走り出す。ダイチが、ボールをセンターマークにセットすると、ケイシが来るのを待たずに、ユウマにパスを出した。
「あ、汚ねぇぞ」
ダイチは、お構いなしに駆け出していく。パスを受けたユウマは、ハルトと一対一の勝負に挑もうとしていた。真正面から突破しようとして、ユウマはハルトの動きを見て、左に体を倒した。上手くかわして前に進もうとしたところで、ハルトの長い足が、ユウマのボールを奪っていく。
「待て!」
悔しそうな表情のユウマが、すぐにハルトを追いかけていく。
「ケイシ!」
抜け出したハルトのパスに、ケイシは全力でボールを追いかけた。ダイチもユウマも、負けまいと後を追ってくる。ボールに足をかけると、やっとの思いで追いついたダイチが、スライディングをかけた。それをなんとかかわすと、ケイシは、そのままコーナーまで一気に駆け上がった。
ハルトが、両手を広げて呼んでいる。俺に任せろ、そう言っているような気がした。ユウマが、そうはさせないと、ハルトを抑えるために体を一気に寄せていく。
「ハルト!」
追いかけてくるダイチのディフェンスをかわし、体勢を崩しながら蹴り上げたボールは、綺麗な放物線を描いてハルト目掛けて飛んでいく。あの時と同じように、ハルトは、高く、高く飛んだ。
「いけ!」
ケイシの声が、ボールに込められていくようだった。真っ直ぐ、そのまま真っ直ぐ飛んで行けと、ケイシは願った。
わずかの差で、ユウマに競り勝ったハルトのヘディングシュートが、勢いよくゴールネットを揺らしていく。
「ゴール!」
ハルトは、子どものようにはしゃぎまわる。胸に拳をあてて、空を指差すと、グラウンド中を駆け回っていた。幼い頃にやっていたケイシのパフォーマンスを、ハルトは覚えていた。ケイシも同じく、胸に拳をあてて、空を指差す。ケイシに駆け寄ってきたハルトは、喜びを全身で表現しているようだった。
「俺がやった方が、かっこいいだろう」
得意気に笑うハルトの顔は、憎らしいくらい無邪気だ。
「うるせぇよ」
その日は、あの頃のように、ただ思う存分ボールだけを追いかけた。
「ぷふぁ」
ケイシは今日も、プールの中だ。駐輪場には、ケイシと同じく元気を取り戻した自転車が、太陽の光に照らされている。プールは相変わらず貸し切りで、杉山は、管理室に座り込んでこちらを眺めている。ハルトはいつも通りサッカーに夢中で、ユウマはいつも通り優等生だ。ダイチも決まって、ちょっかいを出してくる。
地区予選は、もうすぐそこまで迫っていた。
「そこ、どいてくれない?」
振り返ると、目の前にはユイがいた。ケイシは慌ててコースを譲る。ユイは、また、綺麗なフォームで飛び込んでいった。水しぶきが上がると、一気に50メートルを泳ぎ切る。水面から顔を出すと、ユイは、満足したのか何も言わずプールサイドへと上がっていった。
「あの!」
ケイシは咄嗟に、ユイを呼び止めた。ユイは、不思議そうな顔をして立ち止まる。
「今度の試合、見にきてよ。きっとハルトも、また活躍すると思うからさ」
出てきた言葉が、こんな言葉かとケイシは慌てていた。
「そうね。でも、次は、あなたの応援に」
ユイは、そう言うと微笑んで、更衣室へと去っていく。ケイシは、ユイの言葉に全身の力が抜けていくようだった。倒れ込むように水面に浮かぶ。天井は、いつもと変わらず古びていて、電球は切れかかったままだ。
杉山が、ケイシを覗き込む。
「おい、小僧、時間だ」
ケイシはまた、一度深く潜って、浮き上がった。
「がんばれ!」
観客達の大きな声援が聞こえていた。
「俺たち、負けないから」
差し出されたマコトの手を、ハルトがしっかりと握り返す。
「あいにく、こっちも負けられないんでね」
マコトが、ハルトの言葉に笑みを浮かべる。
「それでは、地区大会決勝戦をはじめます」
「いくぞ!」
ユウマの掛け声に、皆、大きく声を出した。
「下手なクロス上げるなよ。まぁ、俺なら決めてやるけどな」
ハルトが、ケイシの肩を叩く。緊張がスッと抜けていくような気がした。
「何言ってんだか」
ふざけたように肩を強く叩き返すと、ハルトは笑った後、真剣な表情をした。
「絶対に勝つぞ」
その言葉は、力強い。
「当たり前だ」
ケイシは、ハルトとハイタッチをして歩き出す。
会場には、手を振る父と母の姿が見えた。そして、その奥には、ユイがいる。
ケイシは、目を瞑って深呼吸する。
「やれるか?」
「あぁ、やれるさ」
心の中で自分に返事をすると、目を開けた。
審判が、試合開始のホイッスルを鳴らす。会場からは、大きな声援が飛んだ。
完
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