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「ええ店あったら教えて下さい」は、京都人にとってケチか?

ゴールデンウィークに岐阜県の下呂温泉に夫婦で旅行に行ってきたという友達が「お土産に日本酒買ってきたので今度渡します」と連絡をくれて、先週末に京都駅近くの立ち飲み屋で待ち合わせをすることになった。
この日は朝から雨で、飲みに出るには少し億劫になるくらいの降り方だったが、お土産を何週間も手元に置いておくのも忍びないだろうとこちらが勝手に気を遣って、というか自分が飲みに行きたい口実として彼にその日の昼過ぎに連絡を入れてたまたま予定が空いていた彼と待ち合わせたのが夕方の5時半過ぎ。すでにその立ち飲み屋の店前に置かれた傘立ては濡れた傘で隙間無くびっしりと埋め尽くされていた。

僕が店に到着するのとほぼ同時に彼も現れたのだが、満席状態で隣の客と肩や背中が当たるくらいのピリピリする距離感を保ちながら岐阜旅行の話から上司とストレスの話へ転がり、1時間ほどで互いに瓶ビール2本と酎ハイ2杯のグラスを空にし、傘をさしてもう1軒ハシゴすることになった。

雨のなか七条通を西へと進み、辿り着いたのはカウンターだけの飲み屋がひしめき合う「リド飲食街」だ。僕は1人飲みが好きなほうで、コロナ禍以前にもこのディープスポットにちょくちょく来ていたが彼はリドへ初めて訪れたらしい。そもそも彼は大阪の河内長野の出身で結婚を機に京都市内に移り住んでまだ1年ほどで、酒は好きだが知らない土地で店も知らない、飲み仲間もいないという状態の中、僕とは「飲み仲間がほしい人たち」を集めたLINEのオープンチャットで知り合った。チャット仲間のほとんどが地方出身者で構成され、年齢が近いこともあって意気投合し、知り合って間もない僕を家に招いてもらったこともあった。そんなに深い関係でもないのだが、わざわざ夫婦旅行のお土産に日本酒を買ってきてくれるあたり、彼の人柄の良さに少し照れてしまうのと同時に「これからも飲み仲間でいてほしい」という気持ちの表れなのだろうと受け止めていた。

リドのとある一軒の暖簾をくぐって僕たちはカウンターに着いた。
この店は以前Youtubeで観光客が撮影した動画を視たことがあった店で機会があれば行ってみたいなと思っていた。店内はまるで電車の8人掛けシートのような横並びで、こちらも満席だった。客の顔ぶれは50~60代のおっちゃんばかり。店のママも柔らかい口調で僕たち2人を歓迎してくれて自然とみんなでわいわい話すような空気がすでに出来上がっていた。
「お兄さん達ここよく来るの?」
「いや、僕ら初めてなんです」
「へぇ~ようこんな店入ったね」
「『こんな店』て失礼な!」
そう言ってママが嬉しそうに笑うのを見て客のおっちゃんたちも笑う。
いわゆる常連客と新顔の間で取り交わされる酒場でよくある会話だ。
そこには毎晩のように通い詰める人もいればこの店で知り合った者同士もいる、そこに僕たち新顔の2人は参加させてもらってるような空気で酒と会話が進んだ。
ふと友達が「僕まだ京都来て1年なんです」と言った。
「はぁそうかー」とおっちゃんたちは反応した。
「そうなんです、またええ店あったら教えて下さい」
と、彼なりに酒場の年長者達に敬いを込めて言った。
ややあって、
「そのためにはまずこの店の常連にならなあかんな」
と1人が軽く笑いながら返した。

僕はその一瞬の空気が心地悪かった。その訊き方はまずい。
「売れる商材教えて下さい」「ええ女紹介してください」「金持ちになる方法教えて下さい」では、たとえその方法を知っていたとしても誰も教えてくれない。世の仕組みのようなものだ。それはまずいぞと内心思った。
(なんでそんな訊き方するんや…)と思わずにいられなかった。
当たり前の話だ。初対面の年長者達からすれば「なんでお前にそんなこと教えなあかんねん」と思うのも無理ない。この状況なら僕でもそう思うだろう。

特にこの年代の人たちの懐に飛び込むためには初対面でその訊き方はまずい。ましてやここは彼らのホームグラウンドだ。僕たちはどちらかといえばアウェイゲームだ。いや別にホームもアウェイも関係ないのだが。
彼の訊き方が客の誰かを怒らせた訳でもないし、ママを嫌な気分にさせた訳でもない。彼も何の気なしに素直な気持ちで言ったのだから悪気も嫌味もない。ただ、確実に外した。鈍臭い訊き方になってしまった。

「ええ店」の定義とは何なのか。
ふとそんなことに考えがいってしまって僕は狭い店内で煙草に火を点けた。

おっちゃんたちにとっての「ええ店」が僕の友達にとって「ええ店」になるとは限らない。年代も感覚も普段見ている景色と感性も違うのだ。
「肉が美味い店」「刺身が美味い店」「ポテトサラダがとてつもなく美味い店」「味は大したことないが雰囲気が美味い店」もあるだろう。
「ええ店」とは一体何か。
気が付くとさっき火を点けた煙草に灰が2センチほど滞空していた。
友達は相変わらず機嫌よく喋って焼酎を飲んでいる。
冒頭に書いたように、僕も1人で飲みに行くことが好きで、いろんな酒場のカウンターに着いてきた。そのすべてが違う要素をもった店々であり、酒場という共通項こそあれど何もかもが違うのだ。
そのどれもを「ええ店」で括ることなんてできないとつくづく思う。

「そのためにはまずこの店の常連にならなあかんな」
これは救いの言葉なのだと、僕は思い直した。
もしかしたら「なんでそんなもん教えなあかんねん」と、いやそれ以上の厳しい言葉を返される可能性だってあったはずだ。それは考え過ぎか。
「それを知りたいと思うなら、まずは常連と認識されるまでにこの店に時間と金を使え」というメッセージが暗に込められていることに僕は気付いたが彼はどうだっただろうか。

ここでよく謂われる「京都人は腹黒い、いけずだ」が考えの邪魔をしてくる。おっちゃんは「京都人」だから簡単には「ええ店」を教えたくなかったのだろうか。僕も生まれ育ちは伏見稲荷のなのだが、そうじゃない。
京都人は別に腹黒くもないしいけずでもない。要は人との距離の取り方が独特なだけなのだと思う。

「そのためにはまずこの店の常連にならなあかんな」
と返してくれたおっちゃんはある意味で親切で優しい人なのかもしれない。
年下の若造に対してまったく驕りがなかった。
僕の友達はそのことに気付いただろうか。

込み合っていた店内はやがて客が1人減り2人減り、僕たちも会計をすることにした。「ごちそうさまでした」「ありがとう、また来てね」とママは笑顔で返してくれた。外はまだしつこく雨が降り続いていた。

店を出て歩きながら「美味かったですね」と隣の彼は僕に言った。
「なぁ、美味かったな」と僕は機嫌よく返した。結構飲んだはずなのに頭の中は冷静なままだったので「あの訊き方はまずかったな」と、よっぽど言おうか迷ったが言わなかった。今の彼にその言葉はピンとこないだろうし響かないだろう。

烏丸七条で僕らは「じゃあ、また」と言って解散した。

彼が「ええ店」に辿り着くのは明日かもしれないし、一生辿り着けないかもしれない。そう思いながら京都駅で帰りの電車を待った。

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