risa kuroda

「これまでも、これからも、愛をこめて」 essay & narrative 随…

risa kuroda

「これまでも、これからも、愛をこめて」 essay & narrative 随想と物語とそれから…。写真と詩はInstagram(@risa_kuroda_xoxo)へ。

マガジン

  • 「生活」

    日々を生きる・私を生きる「生活」からみえたものを、朴訥と丁寧に映しかえる、ある世界のある日の読み物、謹製の随想です。

  • 「月と太陽、太陽と月」

    物語のような詩集です。詩かもしれないし物語かもしれないです。もしかしたらどちらでもないかもしれません。ひっそりと、ご自由に、お好きな様に。

最近の記事

「たましいたち」

本当はこのことについて書こうというつもりは無かったのだが、記憶が薄れてしまう前に書き残しておきたくなってしまった。 こういった後日談のような、はたまた解説文か感想文のようなものは、作品とは切り離しておきたいなどと思ってしまうのだが。 なんだか今回は言葉にしてもいいかな、と思い至ったのだ。 それほどに心が震えることの、連続だった。 だからこそ終わった後は揺り戻しのようにぐわんぐわんとしていて少々気持ちがわるい。 身体も少し不調だ。 こういう反動は、自分を曝け出して注ぎ込み生

    • 「おかしな話」

      とある画材屋のオンライン登録情報が、漏洩したと連絡のメールが入った。 画材を定期的に必要としていた時代もあったのだが、それも置き去られていたある日に届いた突然の一報だった。 完全なことなどそうそうない。 絶対大丈夫も、絶対安全もありそうでない。 絶対なんて心許ないただの約束にすぎないのだ。 インターネットが当たり前にある、生活を侵食して早何年経つのだろう。割と早いタイミングでデスクトップPCを所有していたと思うのだが、その当時と今では当たり前もだいぶ変わってしまった気がす

      • 「みんなここにいるよ」

        遠く北の空から、今年も白鳥がやってきた。 ネットニュースも新聞も知らないであろう鳥たちは、野生のアンテナで感知した温暖化に従って南下するのを遅めている。 しかも渡って来たはずなのに、滞在中に一度も姿を見せないという日もあったらしい。 一方で他の河川には大軍でいたという情報もあるが、どうしたことだろう。 鳥たちのざわめき。 電波の外側では、囁かれているのかもしれない、今本当はどうなっているのか。 私たちときたらそれにちゃんと耳を傾けているだろうか。 変なものにばかり取り憑

        • 「先生」

          髪をばっさり切った。 頬をすり抜けていく風は冴え、あっという間に冬の形相だが、しかし髪が触れ耳と首に少しかかるだけで思いのほか温かい。 冬はなんだか少し寂しい。 さびしいし寂しい記憶が多い気がする。 だからほんのちょっとでも温もりが欲しくなる。 冷たい指先で来た道をなぞりながら思い出を掘り起こして探してみると、結局のところ温もりも寂しさも同じところにあのだったと、気がついしてしまった。 ・ 唐突だが、これまで出会った先生のはなしをしようと思う。 と、言うのも、先生という存

        「たましいたち」

        マガジン

        • 「生活」
          27本
        • 「月と太陽、太陽と月」
          17本

        記事

          「長い夢」

          悲しみは僕の中に。 愛はあなたとの間に。 だからいつも夢はあなたがいるのに 悲しい。 勝手にやってきて、 勝手に笑うなんて。 目覚めたばかりなのに、昨日の続きの雨が降る。 朝が来るのが とてもこわい。 夜が終わるのが とてもさびしい。 でも勝手に先へ、進まされる。 置いてきぼりのまま。 理不尽な昨日までの積み重ねを 僕と共に 夢に投げ捨てる。 その手が、にくい。 ただ疲れてしまった。 外側も内側も、擦り切れている。 まるでぼろぼろのテント。 溢れすぎて溺れた。 見たくないも

          「長い夢」

          「美しい花」

          大好きだったアナザースカイが再開してもうすぐ一年が経つ。あの時はどんな数字や偉い人の話より、本当に世界が少し前進したんだ、と感じた。 同時に本当にこんなに、私たちは囲われた世界から出られなかった日々を過ごしてきたのだな、というざらりとした実感もあった。 とはいえそれから先だってまた、止まったり、進んだり、勝手にいったり、するのだろうけど…それはそれでそれでもちゃんと本物の今が動き出した、そんな瞬間だったと思う。 思い出を巡る旅番組というより、過去に繋がった場所と歩んできた心

          「美しい花」

          「ムクドリの子」

          灼熱の日暮れに ぱちぱちぴちぴち、と 小さな鳴き声が窓の外から聞こえてくる。 熱射を避けて ゆらゆら 列から外れて ゆわゆわ 怯える瞳は うらるら。 半分ともう少しの月に淡いベールがかかる。 隣の屋根に 震える焦茶色の 毛玉。 飛べないこいつは不安げにこちらに振り向き、助けを求めて見つめてくる。 どうしてだろう。 手は貸せないが大丈夫だ、と声が出る。 向かいの屋根に 尾の長い立派な鳥が 見据えている。 飛べないこいつに羽を広げて近づいて、また少し離れて見つめている。 みてご

          「ムクドリの子」

          「それは僕らの名前じゃない」

          君は色んな名前をつけて 呼びたがる。 あるいは区切って 何かと便利にしたがる。 しるしをつけて わかりやすくしたがる。 そりゃ わかりやすかろう 納得しやすかろう 説得しやすかろう。 申し出る時には必要か。 違う、そちら側の話じゃない。 どちら側でも同じ事だけど。 でもね、 君たちの目に触れているもののその 殆どが未知で、 殆どが神秘であることを、 忘れちゃいけない。 何が大事なんだろう。 必死になって見えなくなっては 元も子もない。 何を恐れているんだろう。 言葉を汚い武器

          「それは僕らの名前じゃない」

          「大嵐」

          ことばの矢 ことばの森 ことばの刃 ことばの城 守れるのだろうか まだ戦っているだけ 外は大嵐 穏やかな世界は 遠ざかっていく 君の声はうそをつく 僕の石は本物を知らせる みんな本当を知らない その世界にぼくはいらない 外は大嵐 静かな世界は 死んでいく 顔のない 透明な敵 力がうばわれていく 傷のない 無表情な痛み 力がうばわれていく かろうじて 怒りと 悲しみの炎で いきている この深い呪いに また 矢を放つ

          「忘れらない食卓」

          田圃に水がはられ、蛙の声が夜辺に響き始める頃、今年のトマトが終わりを迎えようとしていた。 近所のハウス団地でトマト農家の手伝いをしていたことがあり、そのご縁で今も直接ハウスへ買いに行く。ハウスで買う新鮮なトマトはとても美味しい。 もぎたてはヘタも元気で可愛い産毛もうっすら感じ、手におさめた時どこか温もりを感じる。 でも農家の仕事をしてみて、もっともうまい!と思ったのは、暑いハウスの中で作業中、つまみ食いをするミニトマトだった。 カートにコンテナを積み低い作業用の椅子をカラカ

          「忘れらない食卓」

          「重心」

          自分の言葉がある それがちっぽけだと感じた時 私はとても小さな人間になっている 自分の心が 機械のように感じる時がある 心自体が機械なのかもしれないと ぎしぎしと 鼓膜の奥で聞こえる 言葉は私そのものでなどない その辺に生えている 草花のようなものである 言葉は 誰のものだろうか きっと本当は誰のものでもないのだ 人々は言葉を持っている 感情を持っている そして感情を言葉で伝えようともがく 何も知らないのだ 人々はこの小さな宝物を 自分たちだけのものだと思っている 他の動植

          「語られるのを嫌う彼らのはなし。」

          ほんとうはね、 何も見たくない、 そんな夜だって、何度もある。 付着しすぎた感情の 最深部までまさぐって、疲れて。 開けすぎた心の扉を 必死に閉めようとして、痺れて。 そんなことをして いつも 真夜中になって。 いつの頃からか 遊び場だった闇の中は 怖い場所に思えた。 行き過ぎると、 その 闇の向こうの崖みたいな、 ドブみたいな、 黒い穴みたいな、 何もかもを引きずり出して攫って 呆気なく 落としてしまう。 みたいな。 そんな闇が あの夜にはあった。 あなたはあの闇を、 本当

          「語られるのを嫌う彼らのはなし。」

          「アンテナ」

          寝静まる 夜。 目を閉じる頃、 遠くの海に 大きなざわめきがやってくる。 ここへ到達する頃には、 その波紋は糸よりも細く 微かな寝息に 阻まれてしまう。 夢は深く。 明日は短く。 気が付かない方がいいのかもしれない。 そこでいつも通りにしていろ。 寝静まる 朝。 馬鹿みたいに大声で、 疲れた瞳に 大きなざわめきがやってくる。 ここがどこでもかまわず、 暢気な顔で笑い、 お金があるとかないとか、 想像を捨ててしまった、 化け物が、 刹那を駆ける、 もしかして、他所の人

          「アンテナ」

          「落日」

          君はもう行ってしまった あの線の向こう側へ 瞼の裏にも 脳裏にも どこにもいない 君の背中が ひしゃげた午後の陽に 逃げていった 戻ってこいとは言えず 震えていたのは僕の手の方で 折れた骨が 元に戻ってしまう前に なんとか思い出したかったんだ まるで あの日の僕のような もうどこにもいない 君の ひしゃげた痛い叫びに 躊躇したはずなのに僕は 僕の足は あの遮断機をへし折って 秒速で飛び込んで 吐き気を蹴飛ばして 手を伸ばした 残

          「ここにあるシアター」

          思えば、桜が咲き始めるのと同じ頃、同じように、毎年必ず訪れていたのが高崎映画祭だということに、当たり前だが気がついた。 未曽有の出来事により足止めを食いながらも、直向きに丁寧に重ねていくこの祭りごとに映し出された誠実さが、ただ好きなのかもしれない。 だが、ただここにあることが、どれだけ偉大なことか。 映画祭に赴く頃はなんだかまだ少し肌寒く、春なのに、雨が降る。桜はいつも少し濡れているような気がする。 咲くことと散ることは当たり前であり、そして特別である。それを恐れずに残せ

          「ここにあるシアター」

          「ひとりパレード」

          ある日 足をなくした。 それは突然の 出来事のようで けれどどこかに繋がっていた。 真夜中の 網の向こうを 目を凝らして 見つめていた。 朝が来る頃疲れ果てていた。 真昼の 白い月は 少しのうたた寝を ひどく怒られた。 遠くへ行こうと決めて歩いていた。 ひとりで歩いていた。 休む暇もなく 歩いていた。 大事なものを 落としながら歩いた。 それなのに 悲しみではなく ここに残ったのは なにもない喜びだった。 理解されなかった。

          「ひとりパレード」