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「ここにあるシアター」

思えば、桜が咲き始めるのと同じ頃、同じように、毎年必ず訪れていたのが高崎映画祭だということに、当たり前だが気がついた。
未曽有の出来事により足止めを食いながらも、直向きに丁寧に重ねていくこの祭りごとに映し出された誠実さが、ただ好きなのかもしれない。

だが、ただここにあることが、どれだけ偉大なことか。

映画祭に赴く頃はなんだかまだ少し肌寒く、春なのに、雨が降る。桜はいつも少し濡れているような気がする。
咲くことと散ることは当たり前であり、そして特別である。それを恐れずに残せるのが作品なのだとしたら、これほどの財産はないではなか。それを手放してまで欲するものなんかあるだろうか。
わかりやすい方に逃げてばかりいると、本当になにもなくなってしまいそうでこわいと思うのは私だけなのだろうか。
冷たい夜風に揺れる、小さな白い旗に目をやりながら、いつも心して劇場へ向かうのだ。

最近見た映画はなんだろうか?
好みの映画を羅列するのは、自分の内面を曝け出すようで気恥しく感じる。

映画サブスクのお気に入りボタンは簡単におせるが、いつでも見られるというのは逆にいつまでも見ないでいられる言い訳でもあって、なんだか気まずい。それに、積み上げた雑誌やシュリンクのかかった漫画本のように、開くタイミングを逃すとまるで鮮度が変わってしまうようで、さらに気まずい。
公開される映画は、作品に主導権があっていいなと思う。見るためには、あなたに合わせなければいけない、日にちも、時間も、場所も、心持も。
私があなたに会いに行く、そういうものが映画の本来の力だと思っている。
だが商業的にはその主導権は作品ではなく数字の方かもしれないが。
それでも私が会いに行くには、限られ決められた、その場所へ、この身を携えて向かわなければいけないのだから。そうした経験の中で、映画は息をし続けている。

この街には今、シネコンとミニシアターがいくつも共存している。
昔は映画常設館という映画館が都市の中心に点在していた。シネコンが出てくるまでは映画を見に行く、となればだいたいその場所を思い浮かべる。
さらにそれ以前、私が生まれるよりもっと前は、山間の田舎町などにもいくつもの映画館が存在していたらしい。祖母の若い頃はそういった映画館やビリヤード場、ダンスホールが各町にあり、仲間と集まって出かけたりデートをしていたらしい。
遊び場が多くないからこそ確かに輝いていた頃の話だろう。あまり規模が大きくないであろうことを想像すると、逆に今のミニシアターに近いのだろうか。

映画常設館にはそれぞれ素敵な名前があり、オリオン座やスカラ座などといってそれがなんとも美しく響いて、子供ながらに洒落て聞こえた。
建造物としてはレトロという表現ともどこか違う、古びて朽ちていきそうな静寂と物憂げな冷たさが入り混じり、それがまた緊張と興奮を生む。建物に入り込むのはもうそれ自体が体験となって、映画を見ることをより一層特別なものにした。
それらの建物の中は異様に暗かった記憶がある。それは床や椅子や天井が濃い色をしていたからな気がする。座席シートは別珍の光沢が使いこまれた緑やワインレッドでそれだけで酔ってしまいそうだし、触れる金属部とどこからともなく滑り込む風はやたら冷たく、入ってはいけない異世界の様だった。
館内にある硝子ケースにはポップコーンではなくピックアップが並んでいたような気がする。
お菓子も映画館も今はもう無い。
あるのはあやふやな記憶だけだけれど、鮮明なのはやはりこれが体験や経験となって存在しているからだろう。

こわいと、不思議と、もっと知りたいが、上手くハマったのだとしたら、その先に未知の物語が果てしなく広がるという構図は、あまりにもできすぎているようにも思えてくる。

電気館という古い映画館は、今また現役で上映をしている。
夜の街の細い路地を入り込む。切符切りの硝子の窓口を抜け、緑色の階段を上がる、差し込む淡い光が掠れた「御法度」のポスターを照らす。
この建物、昔の公民館のようなどこか身近で素朴な出で立ちながら、ロビーから館内まで全てまるでセピア色のまま色褪せず生き続けているから、魅力的でそれなのに懐かしい。
スクリーンにある小さな影や掠れ、それがここにしかない画を生み出す。確か35ミリフィルムで1955年の映画「ここに泉あり」を上映してい事があった。タイムスリップ、まさにそんな感じが、目の前のスクリーンからも館内の空気感からも伝わってきたのを覚えている。
その真っ白なスクリーンが降りる、壇上に続く階段はその形状が板張りで向こうが見えるのだが、昔の体育館のもののようにも見え、養蚕をやっている屋根裏へ続く階段にも似ている。
飾られた古い映写機、床や壁の独特の模様、背もたれの低い硬い椅子、冷たい空気と冷たいだけではない暗闇。
常設映画館のその様相をありのまま残すこの姿に、どれだけの尽力があるのだろうか。ただそこにあるだけではない、何か特別なエネルギーを孕んでいるようで訪れる度に不思議な時間を体感する。

昨年の映画祭に、ここで上映された「いつくしみふかき」がこの電気館にあまりにもハマっていた。痺れる映画作品だったが、さらにその閉塞感と畏怖と純真性がこの場所で観ることでより高まり、鳥肌がたった。
一方で「shari」や「名付けようのない踊り」は真新しい機材も性能が良い芸術劇場で鑑賞したのだが、音の鮮明さや機材トラブルの数奇な展開から、これもまたここでしか味わえない唯一無二の時間となった。
新しいものには新しいものの感度の良さがあり、そして古いものには新しいものが適わない趣と思慮深さがある。
それを見せつけられた記憶に残る映画祭だった。2022年、まだ人々が恐れと不安の中にあり、その幕を勇気を持って上げていく春の狼煙だったのかもしれない。

・・

映画祭に初めて行ったのは高校生の時だった。

15歳のある特別な出会いは、それまでの私とそこからの私に大きな変化をもたらした。
ターニングポイントと言える出会いだったと今でも思う。
高校時代はとにかくそういうもので溢れていて、次々と飛び込んできたのだが、そのひとつが日本映画だった。それまで見ていた映画とは違う知らない世界、いやもっと映画の世界が広かったことを知ったのだ。
それを知ることができたのはこの街に映画祭があったからだ。
あの頃は映画館ではない施設で開催をしていた。会館やホールといった場所で何十作品もの選りすぐりの日本映画が上映される、まさに特別な体験が映画を見ることに付随する。
深夜に並んで授賞式の整理券を待ったことも独特な思い出だろう。なにもないこんな田舎で有名人や作り手たちを目の当たりにできたことも、多感な時期にはとてつもなく刺激的だった。
この記憶たちは時々ひっそりと沸き上がる。
あの会館の裏にあった桜の木が新芽をつけ、通ううちのわずかな間に散っていく。その春風の中で出会い、感情ひとつひとつに向き合ったあの日々は、今もう遠い昔のはずなのにやけに鮮明だ。
もう、あの場所に行く機会もほとんどないし、あの頃の友人たちと会うこともなくなってしまったが。

もう触れることができないから、だから鮮明なのかもしれない。
どんな過去も記憶の中では、セピア色ではない。

・・・

ところで映画常設館はいつまで現役だったのだろう。
高校生くらいの時にシネコンができ始めた気がするが、近未来感の強い施設がどこだかの夢の国みたいだなと思った。キャラメルポップコーンの匂いが立ち込め、沢山の音ががちゃがちゃと響いた、それはそれでわくわくした。けれどそれまでの映画とはなんだか大きく違って思えた。エンターテインメントに寄りかかり始めた瞬間なのだろうかと、今になって思う。

最後に常設映画館で観たのは「バトルロワイヤル」だ。部活のクリスマス会が午後からあるので、午前中の回を見に行ったのだが、映画館の雰囲気も相まってあまりの恐怖に帰り道は友人と二人、震えるその身を何かから守りながら学校へと向かった。
そんなことあるわけないのに、学生服を着た自分たちも殺されるんじゃないかと、没入感がすごかった。その後のクリスマス会は賑やかだった分、なぜこのタイミングで観たのかと後悔を笑いあった冬だった。

その時と同じスカラ座という映画館は、パチンコ屋と民家の脇の細い細い路地の、奥まったところにあった。そこはもう取り壊されてなくなってしまったが、まるで秘密の場所で、映画館までの道すがらすら物語の一部のようだった。
中学生の頃にそこで見た「もののけ姫」の英語版の観客は、私とおじさんだけだった。My name is ASHITAKA.に対して、「去れ」という台詞をGo a way.と訳していた。英語のテストに出たら完璧だな、なんて思いながら初めての一人の映画時間を楽しんだ。
がらんとした広い館内に二人だけ、なんという贅沢な上映なのだろうと感動した。が、よく考えたらそれは 映画常設館の衰退の一片だったのかもしれない。

子供の頃はよくアニメ映画を見に連れて行ってもらった。
劇場版の「幽遊白書」や「スラムダンク」のポスターを綺麗なスチールフレームに飾っていたのは父の趣味だが、「セーラームーン」「ドラゴンボール」「ドラえもん」子供時代を象徴する作品の映画を大きなスクリーンで見せてくれた親には感謝している。
今となっては父親を連れ出せる口実にもなっている。今年の秋に「シティーハンター」の新作映画が公開されるらしいから、久しぶりに誘ってみようか。

スカラ座とは逆側に建っていたオリオン座は最後、何作目かのハリーポッターの映画ポスターが掲げられたまま沈黙が続いた。今は跡地が名前や外観をそのまま残して、カフェとして息を吹き返しているらしい。
新しい時間を刻み始めたその場所を、何よりも大切にしようとしてくれた人がいる事が、嬉しい。失くなったものはもう取り戻せないけれど、触れられるなら、温もりを絶やさずいてほしい。

・・・・

2023年最初の金曜日、あれやこれやを済ませてせわしなく支度を整える。5分前に滑り込みでテレビの前に辿り着き、いそいそとチャンネルを変える。
そういえばドラマ「トリック」の冒頭、主人公山田の母が営む書道教室に通う子供が、(何度目だナウシカ)と書いていたのを思い出した。十数年前の金曜の夜、その日の金曜ロードショーは何度目かの「風の谷のナウシカ」だった。
粋な遊びを思い出しながら、21時を待った。

確かな記憶ではないが、辿ってみると5歳の年のこと。
祖母の家の方に、コロッケみたいなコロ助みたいな名前と、キンカンみたいなキンセンカみたいな名前を持つデパートがあった。どっちが本物なのか、どっちも本物なのか、幼心にはよくわからずへんなビルだなぁと思っていた。(決して変なビルではない。)
その上層階に、小さな映画館があった。
朧げながら、確かに覚えている景色。
断片的でそれでいて鮮明なのは、私の中の最も古い色付きのアーカイブだからかもしれない。とにかく、すぐそこにあるような映像なのだ。
劇場の入り口へ続く道には布団売り場があった。その頃のデパートなんて、きっと少し高級だ。高く積まれた布団と布団の間の道。幼い私は欲望のままに、ふかふかの布団の隙間に手を入れながら歩いている。前を行く両親には気づかれなかったようだ。
ふかふかを辿り、目の前に、大きくて真っ赤な扉が現れる。
布団も扉も親の背中も、どこかとても大きく映る。やはり私史上最古の映像だ。
その小さな視線いっぱいに広がった、赤い扉の向こうには、生まれて初めての映画館があるのだ。
その日見た映画は「魔女の宅急便」。
だが鮮明なのはそこまでで後はもうぼやけてしまっている。記憶に残っているのは、その布団の谷と、赤い扉と、それから突き抜けるような青、青い色だ。
それはキキが箒に乗って列車から飛び立つ時の、空と海だろうか。
室内だから、風が吹いていたわけはないのに、その青に続く記憶の道には追い風を感じてしまう。
赤い扉までのワクワクとした道のりと目の前にそびえる大きな入り口、その向こうにある非現実のせかい。
これが私が、一番最初に映画館へ行った話、生まれて初めての「映画」という体験だ。
映画というリアリティと映画を見るまでのリアルとそれらに触れて生まれた感情と感覚が、ひと繋ぎの物語として記憶に残る。これはおそらく私にとって重要な経験だった。想像することと創造することが地続きである、私を育んだものの一つだ。

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今年の夏、宮崎駿監督の映画が十年振りに劇場公開されるらしい。あと何回この人の映画を劇場で見られるのだろうか、そう思うのも何度目だ、という話ではあるが何度やってきても胸に詰まるものがある。
ナウシカ公開と共に生きてきた私にとって、ジブリと宮崎駿は特別すぎる。
それらを映画館で見た一つ一つの記憶と感情が、物語と共に深く記されて消えることはない。時代が移り変わり、淘汰されて価値観や常識が変わってしまおうとも、深淵にある大切なものは何も変わらない。心が、人間にあるうちは。
すべての映画から与えられた、その目に見えないものをあらわにする意味は、描くものの宿命のように私に刻みつけられている。

何年か前に、あの古い電気館で「一生に一度は映画館でジブリを」という上映会期があった。
「風の谷のナウシカ」を生まれて初めて映画館で見ることができた。
そんなことが起こるなんて思っていなくて、泣きそうになった。
最近は映画を映画館で公開するまでに、時間がかかることもあるみたいだ。奔走し、尽力してようやくあの空間で見せてもらえる。そのために情熱の炎を燃やして生まれてくる作品のひとつひとつが秘めるエネルギーというのは、きっととてつもなく大きい。

ここに映画館があり、映画があり、見に行くことができる。これがどんなにすごいことなのか。
映画に対するその敬意は、足を運び観に行くことでしか表せない。選ぶのだ、大きな音とスクリーンで、この目で、見たいものを。そんなにもパーソナルな行為が、映画だとするならば、私が感じた気恥しさも納得がいく。
親密に対面する。
知る前には戻れない。
覚悟と責任をもって、飛び込む。そこにはここにしかない世界がある。
やはり映画は経験だ。そして心の形をした自分自身だ。

・ ・

数年前に市内のミニシアターで観た「blank13」という作品がある。
小さな映画館を出てからも永遠に涙が止まらず、まるで物語と私のいる世界が地続きでいてもたってもいられなかった。
父と母が浮かんでは消える。後悔が、混じってこぼれ落ちる、少しだけ救われて、少しだけまた、後悔する。
薄暗い街灯が淡い黄緑色に光って、無関係にすれ違う街の人にどうにか現実へ連れ戻される。
エンディングで流れた(家族の風景)が耳にこびりついたまま、足早に夜道を駆けた。

この街が映画の街だからこそ見れた景色がいくつもある。
姿を消したもの、名を残したもの、形を変えて生き続けているもの。どれも記憶からは失われることはないだろう。
出会うことを求める限り、そこにいつまでも良い風が吹くことを願っている。

果たしてこれは、映画の話なのか、はたまた思い出の話か。
すくなくとも、ただの消費ではなく、穴埋めの娯楽でもなく、映画がちゃんと思い出と私の一部になるように私はこれからも映画館に行く。


2016年、春。映画「恋人たち」の帰路にて、水辺光に潤む桜。