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ショートストーリー「秘密」

俺には秘密がある。
いや、別に隠しているわけじゃないが、この事は誰にも言えない、言ってはいけないようなそんな雰囲気を醸し出している出来事。いや、もはや雰囲気などではない、絶対に言ってはいけない。言えない、口が裂けても、死んでも、生まれ変わっても、絶対に言えない。まぁ、そういうわけでは、必然的に隠しているのだからこれは秘密なのかもしれない。わからない、秘密の定義なんて誰も秘密にして教えてくれないから。だったら、仮に俺の抱えている出来事は秘密としよう。で、その秘密っていうのは。

俺に子どもができた。
帰り道、妻から突然電話かかってきて「赤ちゃんできたよ!」って。
突然過ぎてびっくりしたよ。何しろ子どもができなくて色々と悩んでましたからね。生々しい話ですが、どうやったら子どもができるだろうと嫁と色々試行錯誤して。男の子ができやすい体位とか、女の子ができやすい体位とか色々調べて、ああでもない、こうでもないと言いながら色んな体位に挑戦しましたよ。でも正直苦痛でした。苦行でした。そのうち機械的になっちゃって、もうセックスがなんだかわからなくなっちゃって。でも、全然子どもできないし、妻はいつもイライラしてるし、あまりにも夫婦仲が悪くなったから、近所からも離婚するんじゃないかって勝手に賭けられてたりして。
でも、もうそんな日々もおさらばだ!子どもができたんだから!残念だったなご近所さん!俺たちは離婚なんかしない!ざまあみろ!いや、それにしても本当に良かったと思いました。
女の子だったので名前は美雪と名付けました。心が雪の様に純白で美しくあるようにって、妻が。初めて美雪を抱いた時、そりゃもう感動しました。猿みたいな顔で俺を見つめて、よだれ垂らしながら、少しニコっとして。それで、少し緊張しながら手を触ってみたら、俺の指を掴んできましてね。「ああ、新しい命が、家族が増えたんだな」って実感というよりも、その赤子を、新しい命を受け入れたような、不思議な感覚に陥りました。
でも、子どもの成長はあっという間で、美雪をお風呂に入れてあげてる時にしゃべったんです。ついこの間まで、べぶべぶ言ってた子が、突然しゃべったんです。なんてしゃべったと思います?
パパって言ったんです。パパって。俺はてっきり最初に話す言葉はママだとばかり思ってたからすごい驚いて、その時は慌てて妻を呼びましたよ。「今がしゃべった!パパって呼んだ!俺のことをパパって呼んでくれた!」って。すると美雪は楽しそうに、「パパ、パパ」と何回も俺のことを呼んでくれました。その時、妻も当然喜んでいましたが、最初にしゃべったのがママじゃなくてパパだったから少し悔しがってすねちゃって。今思い出しても少し笑ってしまいます。


それから美雪は、さらにすくすくと成長して小学校1年生になりました。自分の体と同じくらいの大きくてランドセルを背負って、毎日「行ってきます!」と行って、学校に行く。俺は美雪が行った15分後くらいに妻に「行ってきます」と行って、会社に向かった。
そして、俺が仕事から帰ってくると「おかえり!」と美雪が走ってきて俺に抱きついてくる。そのまま美雪を抱き抱えて一緒にお風呂に入るのが日課だった。
湯船に浸かって100まで一緒に数える。けれど、数えているうちにいつも疲れて寝ちゃうんです。それを見ている俺も眠くなって気づいたら眠ってしまう。そうしていると妻が心配して呼びにきていつも怒られました。「何やってるの!危ないでしょう!」って。


美雪が中学2年生になったある日、事件が起きた。イジメです。しかも、複数人で構成された悪質な集団イジメ。「キモい」「汚い」「死ねブス」と罵り、暴力はもちろん、机や椅子には口では言えないような下品な落書きをし、その上に彼岸花を置いて、あまりにも過激な為、今年初めてクラスを持ったという新人の教師はすっかり怯えてしまって、何も注意できなかったそうです。
美雪が、明るくて、誰にでも優しくて、思いやりがある、あの美雪が、イジメグループのリーダーだったんです。
妻から連絡があった時、正直頭の中が真っ白になりました。とりあえず課長に頭下げて会社を無理矢理早退して学校へ向かいました。校長室に案内されました。そこには校長、教頭、担任の先生、被害を受けた男の子とその両親、それに対面して目を赤くした嫁とただ下を向いている美雪が座っていました。その時の事ははっきりと覚えていません。とにかく俺は被害を受けた男の子の両親にひたすら頭を下げたと思います。
家に帰って重い空気のまま、3人で夕食をたべました。俺は未だに現実を受け入れられずまだ呆然としていましたが、美雪が夕食を食べ終わり立ち上がった時、俺は美雪の頬を力一杯叩きました。
なぜ叩いたのかはわかりません。実際、俺は現実を受け入れられていないんだから、美雪が誰かを傷つけたなんて信じれなかったから。けど、父親として何とかしないと思った時には体が勝手に動いていました。
美雪は何も言わず、痛がりもせず、ただ黙って静かに頭を下げました。そしたらなんか心が苦しくなって、俺は何も言わずに寝ました。


俺には秘密がある。
いや、別に隠しているわけじゃないが、この事は誰にも言えない、言ってはいけないようなそんな雰囲気を醸し出している出来事。いや、もはや雰囲気などではない、絶対に言ってはいけない。言えない、口が裂けても、死んでも、生まれ変わっても、絶対に言えない。まぁ、そういうわけでは、必然的に隠しているのだからこれは秘密なのかもしれない。わからない、秘密の定義なんて誰も秘密にして教えてくれないから。だったら、仮に俺の抱えている出来事は秘密としよう。で、その秘密っていうのは。

美雪が高校3年生になって、妻はガンになった。しかも余命2ヶ月。
医者の配慮なのか妻には言ってない。秘密だ。美雪には伝えた。美雪は現実を受け入れられてないのか「なにそれ」と言って笑っていた。けど、美雪の目からは涙が溢れていた。きっと気持ちは受け入れられないが、脳ではしっかりと受け入れてしまったらしい。脳は物事を白黒はっきりと判断できるからとても優れてる。けど、優れてるが故に残酷な一面もある。その残酷さがその時、美雪に襲いかかってるんだろう。
俺と美雪は話し合って特別なことをするのはやめようということになった。「お母さんのことだから特別なことするときっとわかっちゃう」と美雪が言ったから、俺たちはいつも通りに暮らした。妻は当然入院だが「ものすごく治りが悪い悪質な酷く悪い風邪」と伝えた。「ものすごく治りが悪いのは君が疲れてるからだよ。風邪だから入院したらすぐ治るよ。けど、悪質な悪い風邪だから苦しくなるかもしれないけど、風邪だから大丈夫!」そう伝えました。
仕事が終わると美雪を連れて毎日病院に通い、妻に会いに行きました。美雪は大学受験
のこと、俺は上司の愚痴を。特別なことはせずにいつも通りを心がけました。妻は「うんうん」「そうかそうか」「偉い偉い」と美雪や俺の話を聞いて褒めたり、慰めたり、応援してくれたりして、そんなことを毎日やってるとなんだか、もうちょっとしたスナックみたいになっちゃって、病院に行くのが楽しみになっていた。
余命2ヶ月の妻は、それから結局2年ほど生きました。かなり行きました。もちろん、苦しむことは多々ありましたが。美雪が高校の卒業証書を見せた時、妻は美雪の頭を撫でると俺に向かってこんなことを言いました。
「ねぇ、私本当は生きてないんでしょ?もっと早く死ぬはずだってんでしょ?もう隠さないでよ」そう言って笑いました。妻はどうやら気づいていたみたいです。そりゃそうです。風邪だと言って2年も入院するわけないし、最初の段階でかなり無理があったし。なんだよ、「ものすごく治りの悪い悪質な酷く悪い風邪」って。


俺には秘密がある。
いや、別に隠しているわけじゃないが、この事は誰にも言えない、言ってはいけないようなそんな雰囲気を醸し出している出来事。いや、もはや雰囲気などではない、絶対に言ってはいけない。言えない、口が裂けても、死んでも、生まれ変わっても、絶対に言えない。まぁ、そういうわけでは、必然的に隠しているのだからこれは秘密なのかもしれない。わからない、秘密の定義なんて誰も秘密にして教えてくれないから。だったら、仮に俺の抱えている出来事は秘密としよう。で、その秘密っていうのは。


18年経った。
いつか言おう。いつか言おうと思って、もう18年経った。そのうち、そのうちと秘密を引き伸ばせば伸ばすほど言いづらくなった。俺たちがおじいちゃん、おばあちゃんになって何もすることも、話すこともなくなってただぼーっとしてるときに、「そういえばさ」と思い出話をするように打ち明けようと思った。もちろん、俺はお前を責めないし、お前も俺を責めないから、二人ともおじいちゃんとおばあちゃんだから、「そうなんだ」で終わると思ったから、その時に、いつか、いつかその時にと思ったら、結局言えずに死んじゃったな。
結局、こうしてお前の写真を見ながらでしか話せない。気づいたら俺ももうすぐで定年の歳だ。
さっきも言ったけど、俺には秘密がある。
いや、別に隠しているわけじゃないが、この事は誰にも言えない、言ってはいけないようなそんな雰囲気を醸し出している出来事。いや、もはや雰囲気などではない、絶対に言ってはいけない。言えない、口が裂けても、死んでも、生まれ変わっても、絶対に言えない。まぁ、そういうわけでは、なんて、もうそんなことはどうでもよくて、今まで言えなかったんだから、秘密は秘密だ。
で、その秘密っていうのは、俺、種無しなんだ。いや、俺たち子どもができなくてギスギスしてたじゃん?だから、もしやと思って病院で調べてもらったんだ。そしたら、そのもしやが的中しちゃってさ。無精子症ってやつ。だから、子どもができないのは俺のせいだったんだよ。そのことをお前に伝えようと思ったら。お前に子どもができたという電話をもらった。
だから、美雪は、俺の子じゃないんだよ。
「赤ちゃんできたよ!」って電話で言われたときすごいびっくりしたよ。俺は種無しで子どもなんかできるわけないのに、お前の腹の中には新しい命があるだから。でも、その時は驚きの反面、安心もしたんだ。久しぶりにお前の喜んだ声が聞こえたから。子どもができてよかったと思った、本当だよ?けど、やっぱりそのうち俺はずっと腹の中の赤子の本当の父親は誰か考えるようになった。正直辛かった。けど、産まれてきた美雪を抱いたら、そんなことはどうでもよくなった。血が繋がってようが繋がってまいが関係ない。もう可愛くてしょうがなかった。でも、おむつを換えたり、夜泣きが酷かったときは、「俺の子じゃないのに」って美雪を鬱陶しく思ったこともあった。ごめんなさい。けれど、美雪と一緒に過ごしているうちにどんどん深い思いが強くなって。これが親心ってやつかって、どこか実感していた。そりゃもちろん、苦しいことはあった。美雪が同級生の男の子をいじめて、俺が美雪の頬を叩いた時、美雪は黙って頭を下げた。俺さ、あの時すごい美雪が遠く感じたんだ。なんて言うんだろう、俺は殴り返されてもいいと思って叩いたから、なんだか寂しくって、だって親に頭を下げるなんて普通しないだろ?その時はやっぱり美雪は他人なんだなってしみじみと思ったよ。
けど、そんなユキがもう高校卒業して、大学も行って、そして今から婚約者を連れてくる。信じられるか?ちょっと前まで、ベビーベッドの上でおぎゃあ、おぎゃあ、泣いてた子が、婚約者を連れてくるんだよ?不思議だよな。子どもの成長って早いよな。なんでこんなに愛しいんだろう、俺の子じゃないのに。いや、でもそんなことどうでもいいんだよ!血が繋がってるとか繋がってないとか、誰とヤってできた子なのかなんてどうでもいい!だって、俺が育ててきたんだもん!一緒に過ごしてきたんだもん!顔が似てない?それがどうした!俺だって、育てる気なんてさらさらなかったさ!お前に誰の子か問い詰めるつもりだったよ、初めはね!けど、美雪の笑顔を見たらそんな小さなことどうでもよくなった。この子と生きたい。そう思った。可愛いんだもん。
血が繋がってないからなんだ!他人だからなんだ!夫婦だって他人じゃねーか!子どもも他人で何が悪い!今まで濃い時間を過ごしてきたんだ、守ってきたんだ、愛してきたんだ。それだけで十分じゃないか。
もうすぐ、美雪が婚約者を連れてくる。美雪にはこのことは隠しておこうと思ってる。
え、なんでって?
それは秘密だ。

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