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20時を待つまで

いつもだったら、18時に仕事終わって、何も予定がなくてもそそくさと駅に向かって、帰宅ラッシュに呑まれながら帰路につく。  けど、今日はいつもとは違う。 20時から前職の同期と飲みに行く約束をしているので、スタバで時間を潰している。本来なら、予定の時間まで仕事をするのがいいんだろうけど、入ったばかりのペーペーには「絶対に今日やらなきゃいけない」という業務もなく(いや、本当はあるのかもしれないけど)気が向かないと書かないnoteに手をつけている。18時49分。 スタバだって

    • おわりはじまり

      退職届を書いた。 書いたと言っても、黄色の線で囲われた欄をクリックして、文字を打ち込むだけ。メールで送られてきた数枚の書類の記入はあっという間に終わった。 入社前の課題だった「寿司打 / 1万円コース」で鍛えられたタイピングが、こんなところで役に立つなんて、虚しい以外の言葉がなかった。 にしても、こんなに早く転職する日が来るなんて、と未だに思う。いつもより早いスピードで、且つ思い浮かぶ言葉だけをなんとなく綴っているのに「〜なんて」が続くのだから、きっとまだ現実味がないの

      • 禍か否か

        朝、サラダをぶち撒けた。 オリーブオイルと粉チーズを纏ったリーフレタスと生ハム、いつもとは違う皿に盛り付けられたそれを運ぼうとした時だった。私の左手をするっと通り抜けて、見事に床一面を彩った。あと数分で胃の中に入るはずだった。 同日の夜、ゴマだれをぶち撒けた。 ざるうどんに使う分を器へ流し込んだ後、底に沈んだゴマが気になって振ってしまった。微妙に蓋が閉まっていなかったそれは、床と壁のみならず、お気に入りのTシャツに新たな模様をつけた。あと数分で冷蔵庫に戻るはずだった。

        • 21と23

          「今から来れる?」という友人からの1本の電話。 お風呂に入り終わって、就寝の準備をしていたというのに、気付いたら終電に乗っていた、なんてことが日常茶飯事だった21歳。 あの頃は、社会人になったらできない「今」しかできないことをする、というのが全ての行動の起点だった。 今思えば、集まったとて話すのは支離滅裂なテーマばかりで、何が生まれるでもないしょうもない話ばかりだったけど、「語り明かす」ことは必然だった。集合した時は真っ暗だった空も、解散する時には明るくなっていて、その

        20時を待つまで

          異彩

          「自分のハンカチ」が「誰かに噛まれる」という経験を持つ人は、一体どれくらいいるのだろう。 その「誰か」は、上下の歯が揃い始めた1歳の子供かもしれないし、ペットとして飼っている犬や猫かもしれない。 しかし、私の経験上、どれも当てはまらない。 私のハンカチを噛んだのは、赤ちゃんでも犬でも猫でもない。当時9歳、私の同級生の「友だち」だった。 その「友だち」は、皆んなから「あっくん」と呼ばれていた。あまり記憶が定かではないけれど、好きなものは「アンパンマン」で、とてもよく笑う

          なるようになる

          社会人1年目が終わった。 とは言っても、体調を崩して4ヶ月ほどお休みを貰っていたので、厳密に言えば、社会に足を踏み入れて8ヶ月。 赤ちゃんでいうと、おすわりがほぼ完成して、はいはいが始まる時期らしい。ちなみに、1歳になると大人の手を借りながら歩き始める子が増えるそう。つまり、世間一般的には、私は「歩く」という成長フェーズのちょっと手前にいるわけで、「歩く」に至るまでの4ヶ月という時間を、いかにして短くできるかが鍵になってくる。 ここで「あれ?」と思った貴方とは、気が合う

          なるようになる

          23歳、5ヶ月と1日目の気づき。

          何か書けそうなんだけどなあ、でも、わざわざ言葉にするほどのものか、と問われたらそうでもない。 そうやって、この世に生まれ出ることなく「自分の中で死んでいく言葉たち」が一定数ある。そもそも、言葉が「生と死」と釣り合うような「いきもの」足るかは知らない。でも、物事は考え方次第、十人十色なので、反論があれど知ったこっちゃない。 誰と言い争っている訳でもないのに、喧嘩腰になっているのは、きっと暖房をつけているのに一向に暖まらない部屋で、日が沈んでいく空の明かりだけを頼りにして、悴

          23歳、5ヶ月と1日目の気づき。

          「マイペース、マイペース」

          「2023年のまとめでも綴ろう」と意気込んだ年末は気付いたら過ぎ去っていて、2024年が始まっていた。完全に出遅れた。 年末年始は地元に帰省した。11月下旬辺りからコントロールが効かなくなった体調も「母が作るご飯」で随分と回復した。ただ、母はとてもせっかちなので、それにはちょっと疲れた。 例えば、朝ごはんを食べている最中に「昼ごはんはどうする?」と聞いてきたり、ご飯を食べ終わって満腹でうとうとしてしまう、何なら1日で1番心地のいい時に「夜ごはんは魚にする?おばあちゃんに貰

          「マイペース、マイペース」

          駅のホームで綴る。

          気付いたら、1ヶ月半もnoteを投稿できていなかった。 書いてみようかなあと、ふわっとした入りで綴り始めては、途中で「何か違う」と思って、下書きに保存する。これを彼此5~6回繰り返した。 そんなことをしていると「なんて生産性が低いんだろう」と思ってしまうわけで。もっと言えば、「生産性」なんて堅苦しい言葉が、無意識に出てくる自分の思考回路にも呆れてしまうわけで。 ほんとはもっと、noteの出来栄えなんて気にせずに、感じたことを気ままに綴れることが本望なのに。 たとえば、

          駅のホームで綴る。

          割れ目があるお皿でもいい。

          土曜日、蔦屋書店で「メメンとモリ」を読んだ。 モリ(弟)は、メメン(姉)が作ったお皿を割ってしまい、「世界にひとつしかないお皿なのに…」といつまでもクヨクヨしてしまう。そんなモリを見て、メメンは「大丈夫よ、また作ればいいんだから」と励ます、そんなお話。 記憶が定かではないけど、メメンは壊れたお皿に対して「物はいつか壊れてしまう」と割り切っていて、その上で、壊れるまでの過程で「どんな意味をもたらしてくれたのか」ということに目を向けられたらいいよね、と言っていた。そして、壊れ

          割れ目があるお皿でもいい。

          げんきです。

          気づいたらもう1ヶ月ほどnoteを書いてませんでした。 びっくり。 言葉にして残しておきたい出来事もあったけど、その力が生まれなくて、そんな日々がただ連なってしまったなあという感じ。それだけ。これを人は「げんきがない」と言うのかもしれないけど、決してそんなことはない。 会社でBBQをした時は、パリピの大学生が飲むような“ちっちゃい瓶のリキュール”を飲んだし。同期とリアル脱出ゲームのお化け屋敷版に行った時は、しっかり1人だけ叫んだし。友人の家にお邪魔した時なんかは、作業机

          げんきです。

          「そうだ、これが私の父だった。」

          父の勤め先の本社は、私の家から電車で20分くらいの距離のところにある。 先週の水曜日、母から「父さん、出張でそっち行くよ」と連絡が入った。最初はそうなんだとしか思わなかったけど、社会人になってから体調を崩すことか度々あって心配をかけていた (正しく言えば、社会人の自覚が足りないと怒られていた) から、元気な顔くらいは見せておこうと思って、父に連絡を入れようと思った。 とはいえ、素直に「ご飯に行こう」と言うのも、なかなか恥ずかしいもので。最後に父と二人でご飯を食べたのなんて

          「そうだ、これが私の父だった。」

          「私は私でしかない」という諦観を原点として生きる。

          先日、メタ認知の為にインスタのストーリで問いを投げた。 「私という人間を一言で表すと?」 ありがたいことに、各方面から色んな言葉をもらった。(協力してくださった方々、ありがとうございました。) ちょっと笑ってしまったのは、一言と書いているのに、二言三言とくれる人が大半だったこと。何ならエピソード付きで送ってくれる人もいて「次会う時にはアンパンマンチョコでも買ってあげよう」って思った。(愛おしい) 返信をくれた人で言うと、「大学生時代、周りが引くほど泣きながら大喧嘩した人

          「私は私でしかない」という諦観を原点として生きる。

          期待はずれについて考えた夜。

          「この映画、面白そう。」 予告を観てそう思ったとしても、実際に観たら面白くなかった、なんてケースはよくあること。別に映画に限った話でもない。 「この人いいかも。」 そう思って関係性を築いても、時間が経つにつれて「なんか違う…」と思っちゃうこともよくある話。 こういった状況を「期待はずれ」と言ったりするが、正しくは「自ら期待値の設定を誤った」と表現するのが適切なんじゃないかと思ったりする。期待は自らの尺度で勝手に作り上げられ、無意識下で対象物に照らし合わせられている。そ

          期待はずれについて考えた夜。

          野田洋次郎とあいみょんを足して2で割った人間になりたい。

          言葉とか文章とかが割と好きな方だと思う。 沢山の語彙を知っている人に出会うとすごくワクワクするし、「え、会話でそんな言葉使うの?」とか、「何故そんな言い回しになるの?」とか、疑問を生じさせてくれる、独特な言葉の羅列をする人にはすごく興味が湧く。 もちろん、興味が湧くからと言って、全てを受け入れられる訳ではない。言葉の裏にある背景を聞いた上で、良し悪しの判断している。 そもそも、何がきっかけで言葉に執着するようになったかを振り返ると、正直あまり特定できていない。多少なりと

          野田洋次郎とあいみょんを足して2で割った人間になりたい。

          推していたカップルが別れて考えたこと。

          推していたカップルが別れた。 仕事から帰宅して、ご飯を食べて、いつものように何気なくYoutubeを開いた時だった。真っ先に飛び込んできたのは、涙目の女の子の姿と「これからのことと皆さんへのメッセージ」という題名。 恐る恐る動画をタップする。 案の定だった。別れた旨を涙しながら話す女の子の姿が琴線に触れる。悲しいはずなのに前を向く言葉が多くて、自分が失恋したわけではないのに物凄く切なくなった。最近、仕事で情緒が足りないと言われていたから「こんなに人の感情に触れられるなん

          推していたカップルが別れて考えたこと。