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推していたカップルが別れて考えたこと。

推していたカップルが別れた。

仕事から帰宅して、ご飯を食べて、いつものように何気なくYoutubeを開いた時だった。真っ先に飛び込んできたのは、涙目の女の子の姿と「これからのことと皆さんへのメッセージ」という題名。

恐る恐る動画をタップする。

案の定だった。別れた旨を涙しながら話す女の子の姿が琴線に触れる。悲しいはずなのに前を向く言葉が多くて、自分が失恋したわけではないのに物凄く切なくなった。最近、仕事で情緒が足りないと言われていたから「こんなに人の感情に触れられるなんてすごいなあ」と感心する一方で、切なさを増大させるかのごとく、呼んでもいないのに過去の「別れ」がぽんぽん登場してきた。

誰とどんな別れがあったかという観点で整理していた時、数々の別れを差し置いて出てきたのは「おばあちゃんとの別れ」だった。

中学3年生の時だった。

部活を終えて家に帰ると、母から「ついさっき亡くなったんよ」と伝えられた。不思議なことに、訃報を受けた瞬間からおばあちゃんに会いに行くまでの記憶が綺麗に飛んでしまっていて、今考えれば、予期しない言葉に頭と心が追いついていなかったのだと思う。実際に亡くなったおばあちゃんを前にしても、悲しいという気持ちより、目の前で起こっていることに対する懐疑心の方が強かった。そんな状態のまま葬式を終えて、あっという間に火葬を迎えた。火葬が終わるまでの間は父と散歩をした。どんな言葉をかけたらいいか分からなくて、黙って横を歩いていると「呆気ないなあ」と父が呟いた。葬式でも火葬でも、全く泣いていなかった父から出たその言葉は悲しさを物語るには十分すぎるくらいだった。終了の報告を受けて火葬場に戻ると、そこに見慣れたおばあちゃんの姿はなかった。何度瞬きをしてもいなくて、私はそこでようやく「別れ」を理解した。「いやいやいや、遅いよ」と今の私は思うけど、当時の私にはそれが全力だったんだろう思う。

あれから8年経ったなんて、時の流れは本当に早い。当時は理解できなかったことも、今では当時の状況を俯瞰できるまでになった。不足があるとすれば、当時の感情。今はもう悲しいという感情はなく、悲しかったという事実として残っているだけ。とはいえ、それは立ち直れたということであるから、時間のおかげだなあと思う、時間様様である。

時間といえば、どんな悲しみにも効く薬だとよく言われる。「結局、時間が解決してくれる」そう言ったことも、言われたこともある。でも、冷静に考えて思うのは、悲しみの渦中にある人からすれば「解決してくれるその時が来るまで、苦しむ他ない」と言われているようなもの。案外、酷な言葉だということ。だから、安易に言わないようにしたいし、言われそうになったら瞬時に聴力の機能をシャットダウンしたい。申し訳ないけど、全力で無視したい。

今回は、たまたま「おばあちゃんとの別れ」を思い出したけれど、他の「別れ」も何かのタイミングで振り返られたらと思う。もちろん、中にはnoteに書けないものもあるかもしれないけど、覚えている内になるべく言葉として残したい。きっと言葉として残す人は、もう会えない、会わない人。そう考えると、どこか寂しいなあとも思うけど、これもまた時間が経ったということ。どんな過去も美化されるものだし、都合よくフィルターをかけられるし、何なら綺麗な言葉でまとめるのは得意だから、いい思い出としてまとめられそうだと思ったりもする。

でも、きっと思い出したら思い出したで、感傷的になるんだろうなあと思うから、物凄く天気がいい日に言葉にしたい。





夜じゃなくて、朝にしよう。
しんみりする音楽も避けなきゃ。









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