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なるようになる

社会人1年目が終わった。

とは言っても、体調を崩して4ヶ月ほどお休みを貰っていたので、厳密に言えば、社会に足を踏み入れて8ヶ月。

赤ちゃんでいうと、おすわりがほぼ完成して、はいはいが始まる時期らしい。ちなみに、1歳になると大人の手を借りながら歩き始める子が増えるそう。つまり、世間一般的には、私は「歩く」という成長フェーズのちょっと手前にいるわけで、「歩く」に至るまでの4ヶ月という時間を、いかにして短くできるかが鍵になってくる。

ここで「あれ?」と思った貴方とは、気が合うかもしれない。きっと朝早くに集合して、日が沈むまで、何を食べ何を飲むでもなく、ただただ歩きながら語れる間柄になれそう、な気がしなくもない。

「なぜ時間軸を短くしたいと思うのか」の背景には、社会を前に進めるであろう情報が集中的に集まってくる特殊な環境はもちろんのこと、ぐんぐん前に進んでいく周りの存在と自分とを無意識に比較しているからだろう。そればっかりは意識的にやめようと思っても、だいぶ難しい。

じゃあ、比較する意識よりも強く「自分が望むペース」を決めて、それに没頭してしまえばいい。でも、それも出来そうで出来ないのが、とても厄介。

そこには「自分が望むペース」と「他人が望むペース」は必ずしも一致するとは限らないという問題がある。それに、後者が「組織」いわば「営利を目的とした企業」である場合、主語が「自分」のみでは許されない。こういう書き方をすると、なぜだか「自分を押し殺している」と感じなくもないけれど、決してそうではなく、あくまでも大局的に物事を見た上で「自分が望むペース」を決めることが適切なのではないか、というだけのこと。

ここまで綴ってみて、違う、こんな堅苦しいものを書きたかったんじゃないと気づいたので、ちょっと軌道修正。

きっとこのnoteを読んでくれる人の中には、休んだ事情を事細かに知っている友人もいれば、そもそも休んでいたことを知らない大学や中高の知り合いもいるのだろう。もっと言えば、noteというプラットフォームは、どこの誰かも分からない人が読む可能性もある。

締めくくりが分からないまま綴り続けてしまったけれど、結局のところ言葉にしたかったのは、「休んでも大丈夫だった」ということであって、伝えたいのは「なるようになる」ということ。

明日から社会人という先輩や後輩、同級生、あるいは、知らない誰かが見るかもしれない中で「タイミングが悪い」と思う人もいるのかもしれないけど、このnoteの題名こそが正真正銘、自らの身を以てして得た言葉なのです。




とはいえ、元気がいちばん。
皆さん、明日からも健やかにお過ごしくださいませ。




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