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期待はずれについて考えた夜。

「この映画、面白そう。」

予告を観てそう思ったとしても、実際に観たら面白くなかった、なんてケースはよくあること。別に映画に限った話でもない。

「この人いいかも。」

そう思って関係性を築いても、時間が経つにつれて「なんか違う…」と思っちゃうこともよくある話。

こういった状況を「期待はずれ」と言ったりするが、正しくは「自ら期待値の設定を誤った」と表現するのが適切なんじゃないかと思ったりする。期待は自らの尺度で勝手に作り上げられ、無意識下で対象物に照らし合わせられている。それだから「え、まさかのバッドエンド?」ってなったり、「え、こんな一面あったの?」っていう困惑が生まれたりするのだと思っている。

でも、逆の見方をすると「期待はずれ」が起きる状態は、「こうだったらいいな」という理想や可能性を見込んでいる状態でもあって、それはそれで人間らしくて素敵だなと思う。多分、私はこれが圧倒的に苦手。苦手というか、「期待値低め」の設定をしがち。

理由はすごく単純で、想定外のギャップで感情の波を立てたくないから。要は、常にフラットな、平穏な状態を過ごしたいというだけ。こういうところが「ロボットみたい」と言われる要因だと思うが、自分を守る為にも、むやみに人を傷つけない為にも大事にしたいことの1つだったりする。

とはいえ「期待値低め」は「期待していない」という意味で取られることも少なくはなく、こと人間関係においてはすれ違いの種になりやすい。しかし、それに動じることなく、ファイティングポーズを取ってくる人もいる。

「期待してよ」という一言を投げてくる人。

「期待値低め」だと伝えた上でそう断言するなんて、なかなか意味が分からないけど、私はそうやって向き合おうとしてくれる人を大切にしなければいけないのかもしれない。





ほろ酔い気分で書くnoteはあつい。
間違いなく朝読んで冷えるやつ。



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