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「そうだ、これが私の父だった。」

父の勤め先の本社は、私の家から電車で20分くらいの距離のところにある。

先週の水曜日、母から「父さん、出張でそっち行くよ」と連絡が入った。最初はそうなんだとしか思わなかったけど、社会人になってから体調を崩すことか度々あって心配をかけていた (正しく言えば、社会人の自覚が足りないと怒られていた) から、元気な顔くらいは見せておこうと思って、父に連絡を入れようと思った。

とはいえ、素直に「ご飯に行こう」と言うのも、なかなか恥ずかしいもので。最後に父と二人でご飯を食べたのなんて、大学受験で東京までついて来てもらった時以来なので、4年以上も前の話。

世の中の父と娘の距離感なんて知らないけれど、恐らく、父と私は普通よりかはちょっと距離がある(恐れすぎて)。別に険悪な訳ではない。

3人兄弟の真ん中に生まれた私は、唯一の女の子ということもあり、すごく可愛がられたし、だいぶ目をかけてもらった(はず)。母がシンプルな服を着せたがる一方で、父はプリキュアが来るようなフリルが着いた「THE 可愛い」服を着せたがっては、母にぶつぶつと文句を言われていたらしい。可愛い服を着せたがる割には、父自身が学生時代に空手や柔道をしていたので、小学生の時はテコンドーをしていた。おかげ様で、同級生の男の子を泣かせるくらいには逞しくなって、後に県大会優勝の成績を収めるまでになった。また、父は趣味でギターを弾いていたので、その影響を受けてエレクトーンを習っていた。未だに記憶に残っているのは、発表会まで2週間を切っているというのに、通しで弾けない私を見かねて、父が休日の丸2日間つきっきりで指導してくれたこと。父は、ギターは弾けてもエレクトーンは弾けないので、間違ったところを見つけては「違う!!!!!!」と怒鳴るという指導方法。正解の弾き方が分かっていた訳でもないので、今考えれば、すごく理不尽な指導だったなあと思う。

高校生になると反抗期を迎えて、それはもうnoteには綴ることができない形で怒られては、大泣きした。それで反省すればいいのに、当時は反抗こそ正義みたいな感じのひねくれ者だったので、逃げたら負けだと思い再び反抗しては怒られてを繰り返していた。ちなみに大学進学で上京した後も、そして今も、事あるごとに怒られている。

大抵、こんな話を聞いた友人らは「お父さん、とても厳格な人だね」と言うが、全くもってその通りである。でも、厳格なだけじゃない。

父は工業高校を卒業した後、東証プライムの大手電気機器メーカーに就職。そこから順調にキャリアを重ねて管理職にまで成り上がった。父自身は「運が良かっただけだよ」と言っているけど、運だけでどうにかなる世界じゃないのは社会人になった今、一定理解できる。父の姿を思い出す時、決まって出てくるのは朝早くに書斎で資格の勉強をしている姿。それも毎日。仕事から帰ってもそう。ご飯を食べたらすぐに書斎へ行き、黙々と勉強をする。日本人は就職した後に学ぶ姿勢が著しく低下すると言われているけど、父は違った。私にも兄にも弟にも物凄く厳しかったけど、自分にも厳しい人だった。

だから、「お父さんどんな人?」と聞かれたら「厳格は厳格、だけど何よりも自分に厳格な人」と答えると思う。


そんな父に、恥じらいを捨てて「水曜日、ご飯でもどう?」と連絡を入れた。父からは「気持ちだけ貰っておきます。翌日会議だから、遅くまで動き回れるほど若くないから。」と来た。

まさか断られると思っていなかったから拍子抜けした。どこまで厳格なんだと思った。

でも「そうだ、これが私の父だった」と思い出した。






次会う時には焼肉に連れてってもらお。

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