見出し画像

野田洋次郎とあいみょんを足して2で割った人間になりたい。

言葉とか文章とかが割と好きな方だと思う。

沢山の語彙を知っている人に出会うとすごくワクワクするし、「え、会話でそんな言葉使うの?」とか、「何故そんな言い回しになるの?」とか、疑問を生じさせてくれる、独特な言葉の羅列をする人にはすごく興味が湧く。

もちろん、興味が湧くからと言って、全てを受け入れられる訳ではない。言葉の裏にある背景を聞いた上で、良し悪しの判断している。

そもそも、何がきっかけで言葉に執着するようになったかを振り返ると、正直あまり特定できていない。多少なりとも影響を及ぼしていると思うのは、中高6年間聖書を読んでいたこと。キリスト教の学校だったので、授業前に毎朝20分、そして、週1回1時間の礼拝があった。信者でもなく、キリスト教の知識もなかった入学当初はもう意味が分からなさすぎて、礼拝の時間といえば、読まれた聖句の上をいかに真っ直ぐ線を引けるかに力を注いで、ろくに説教も聞かず、ぼーっとしていた。

そんな状態も5年も経てば人は変わるもので、高校3年になって大学受験を控えた時期になると、焦りと緊張で心に余裕が無くなり、神にも縋る思いで真面目に礼拝を聞くようになった。(人間って身勝手だなって心底思う。)それでようやく気づいたのは、案外聖書は心強い言葉が多いということだった。偉人の格言のような、沁みるやつ。

ちなみに当時1番のお気に入りはこれ。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。

マタイによる福音書6:34

そんなこんなで、中高6年間色んな聖句を読み続けた結果、スクリーニングをかけるための基準となる言葉が蓄積されていったのでは?というのが1つの仮説。あくまでも現在を起点とした時の過去の咀嚼なので、都合よく捉えることができるが、それなりに自分の中で筋が通せたら何でもいいなあと最近しみじみと感じる。

話を戻すと、やっぱり言葉や文章が好きなので、そこにアテンションが高い人と出会うとときめく。手フェチや筋肉フェチならぬ、言葉フェチ。

理想はRADWIMPSの野田洋次郎とあいみょん。彼らの言葉のチョイスといい、表現の仕方といい、本当に衝撃が走るものばかりである。生まれ変わったら彼らを足して2で割った人間になりたいと、本気で思っていたりする。割と真面目に。でも、未だに「それな」と共感を得たことがないから、そんな人に1人でも出会うことが人生の密かな目標。

ここまで書いておいて、今回のnoteの出来はイマイチだなあと思ったりする今日だから、おすすめの曲を載せて締めることにする。終わり良ければ全てよし。


2つとも素敵な曲なので是非。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?