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駅のホームで綴る。

気付いたら、1ヶ月半もnoteを投稿できていなかった。

書いてみようかなあと、ふわっとした入りで綴り始めては、途中で「何か違う」と思って、下書きに保存する。これを彼此5~6回繰り返した。

そんなことをしていると「なんて生産性が低いんだろう」と思ってしまうわけで。もっと言えば、「生産性」なんて堅苦しい言葉が、無意識に出てくる自分の思考回路にも呆れてしまうわけで。

ほんとはもっと、noteの出来栄えなんて気にせずに、感じたことを気ままに綴れることが本望なのに。

たとえば、仕事終わりで疲れてるはずなのに、同期が「バースデーのご飯行こ」と連れ出してくれて嬉しかったこととか、4年間仲良くしていた親友が感謝の言葉1つもなく姿を消して腹が立ったこととか、言葉にしたいことは沢山あるはずなのに、全然出来ていない。

そして、今日。

「とりあえず書いてみよう」という気分に乗じて、仕事帰りの電車の中で書き始めたのはいいけど、具体のエピソードまで振り返る気力はなく、終わり方も浮かばず。でも、また下書きに保存するのも気に食わなくて、結局、最寄り駅のホームの椅子に座って書く始末。

早く帰って仕事の続きをせねばという気持ちと、もう少しnoteを書いてみようかなあという気持ちと、いやでも、流石にお腹も空いたし帰りたいという気持ちと、色んな感情が拮抗している。

結局、何が何だか分からない文章になってしまったけど、1つ分かったことは、駅のホームでも言語化はできるということ。場所なんて関係ない。

大事なのはきっとどれだけ内容が拙くても、腑に落ちる言葉を見つけられなくても、とりあえず、カタチにしてみること。

ボロボロでも書いただけえらい。きっとえらい。




寒いし、お腹も空いたから
早く帰ろう。

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