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「マイペース、マイペース」

「2023年のまとめでも綴ろう」と意気込んだ年末は気付いたら過ぎ去っていて、2024年が始まっていた。完全に出遅れた。

年末年始は地元に帰省した。11月下旬辺りからコントロールが効かなくなった体調も「母が作るご飯」で随分と回復した。ただ、母はとてもせっかちなので、それにはちょっと疲れた。

例えば、朝ごはんを食べている最中に「昼ごはんはどうする?」と聞いてきたり、ご飯を食べ終わって満腹でうとうとしてしまう、何なら1日で1番心地のいい時に「夜ごはんは魚にする?おばあちゃんに貰った良い牛肉もあるのよ」と、予期せぬタイミングで質問を投げつけては、答えようと思う時にはもう姿はない。きっと母は私が過ごす時間の5倍速で生きていた。母よ、日々お疲れ様。ありがとう。

そんなこんなでのんびりと、また、少々急かされながら過ごした帰省を終えて、帰路につくために駅の構内を歩いていた時のこと。これをずっとnoteに書きたかった。のんびりしちゃって、やっと本題。

ちなみに、駅は嫌いな場所ベスト3に入るくらい苦手。人が多いだけじゃなくて、時間に追われ、生き急いでいる人が多い気がする。

あの日の駅もそうだった。いわゆる、帰省ラッシュに被ってしまったこともあり、改札に向かう人で溢れかえり、その多くが競歩のようなスピードで目的地へと向かう。私の目の前には手を繋いで歩く子供と父親。子供の方はきっと最近歩き始めたばかりの「よちよち歩き」で、1歩がとにかく小さい。ゆっくりで、危なっかしくて、支えてあげたくなるような、そんな歩き方。そして、それに合わせて歩く父親。

この子が上手に歩けるようになった頃には、気になるものを手に取っては、家の中を散らかす怪獣へと化すんだろうなあと、幼かった頃の弟の姿を思い浮かべる。

そんなことを考え、2人の横を通り過ぎようとした時、装着していたイヤフォンが外れかけ、付け直すため耳から離す。すると、途端に入ってくる駅員のアナウンス、人々の話し声、キャリーケースを引っ張るガラガラ音。把握しきれない色んな音が弾かれる中で、それらを消し去るかのように「マイペース、マイペース」と鮮烈に、そして際立って聴こえる。

父から子へと、諭すように伝えられた言葉。私は、意図せず耳に入ってきたそれに面を食らった。同時に、十分過ぎるくらいの安堵感を貰った。

話は遡って、体調を崩した11月下旬。そして、社会から離れて過ごした12月。この期間で分かったのは、社会という大きな枠組、そして、それに付随する時間軸に逆らって生きるのは、やってみるは容易くも、従うは難いということだった。

今の私は、忙しなく動く母、競歩のようなスピードで歩く人々とは程遠い。どちらかといえば、歩き始めの子供と同じ類なのかもしれない。そうでなければ、「マイペース、マイペース」なんて言葉は響くはずもない。

行き帰りの人々でごった返す新幹線口の改札を通るなり、高校時代に恩師から貰った手紙に書いてあった一文をふと思い出す。

「強い意志を持っていることは素敵ですが、人の声に耳を傾けられる大人になってください。」



たまにはイヤフォン外して歩いてみよう。




2024年の抱負は「マイペース」
元々のマイペースに上乗せです。
本年もよろしくお願いします。

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