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新人賞は楽しいもの

草野球という言葉がありますよね。いわゆるアマチュアの方が集まって、楽しみとして行う野球のことです。

僕は野球をあんまりやらないんですが、草野球終わりのおじさんたちを居酒屋とかで見ると楽しそうですよね。

スポーツってだいたいそうですよね。プロを目指してスポーツをする人って、プレイヤー人口的にはごくごく少数です。

なぜこんなことを考えたかというと、Mー1のスタッフと話していたのを思い出したんですよ。

昔一緒に番組を作っていたスタッフで、Mー1のスタッフが何人かいるんですよ。いわばかつての仕事仲間ですね。

彼曰く、Mー1にはプロの漫才師たちの真剣勝負を見る楽しさと、実際に自分たちも漫才をやって、Mー1に参加する楽しさがあると言っていたんですね。

「Mー1を通して草漫才がもっと広まったらいいと思っているんですよ」と彼は語っていました。

漫才を見るだけでなく、漫才を自分たちでやって楽しむ文化を作りたいというわけですね。

プロの漫才師として優勝を目指すわけではなく、一回戦、二回戦突破を目指してMー1に参加するというものです。

今回の2021年のMー1は、応募総数が過去最多の6000組以上ですが、すべてがプロの芸人というわけではないです。アマチュアで参加されている方もたくさんおられます。

アマチュア漫才師がこれほど増えてきたのかと驚きました。仲のいい友達とか会社の同僚同士で、「ちょっとMー1出ようよ」と気軽にみなさん参加されているんです。

次第にそのMー1スタッフが目指す草漫才の楽しさが根付いてきた証拠じゃないでしょうか。

それと同じことが小説にも言えるなあと。知り合いが小説を書きはじめたので、新人賞に応募してみると言ってたんですね。

「新人賞に応募するって目標があると生活にハリができるじゃないですか」と。

その考え方って自由で素敵だなと思ったんですよね。僕にとって小説の新人賞って、受賞してプロの作家になるための通過点という考え方しかなかったんですよね。

でもそういう思考だと、純粋に小説を書くのが楽しめなくなるわけです。プロになるってそのマイナスがあるんですよね。

よくプロが言う、仕事になると楽しみでなくなるというやつですね。

人気漫画家がコミケで漫画を描いて売っているみたいな話を昔聞いたことがあります。当時はその感覚がピンとこなかったんですが、プロの作家になった今だとその気持ちは理解できます。

noteでも新人賞に応募して一次とか二次までしか届かず落ち込んでいる記事を書いている方を見かけたんですが、その気持ちも痛いほどわかりますね。

やはりプロデビューを目指していると、受賞以外の結果だと落ち込んでしまいますよね。

でもこれっておかしくないですか。楽しみで小説を書いているのに、結果凹んで終わってしまうんですから。何か本末転倒のような感じがしないですか。

けれどMー1に参加するアマチュア漫才師のように、新人賞自体を発表の場にすると考えが変わります。

別にプロになるとか考えず、楽しみで小説を書いて応募する。

新人賞に応募すれば少なくとも絶対誰か読んでくれるわけです。下読みと呼ばれる方達ですね。

一次にうかるかどうかというドキドキも体験できます。お金をかけてその感覚を楽しむギャンブルよりも、こっちの方がさらにドキドキできますよ。何せ自分が参加者なんですからね。

普段の生活でこういう感覚はなかなか味わえないです。僕の知り合いが言っていた『生活のハリ』というのはこれを指すんでしょう。

一次で落ちても何もプロを目指しているわけではないんです。落ち込む必要はありません。

「じゃあ一次通過が目標だな」という感じでとらえ、また楽しんでチャレンジすればいい。

こんな感じで新人賞というものを自分の楽しみの場に変えてしまう。この考え方って自由でいいなあと思います。



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