rinrin

普段言えないことを書きます。わりとドロドロ。

rinrin

普段言えないことを書きます。わりとドロドロ。

最近の記事

【ブログ】43歳。ゲイの人と結婚しました。

5月に書いてからはや3ヶ月。もっと随時状況を書いていくつもりだったのに、結局全然書けず。 それはネタがなかったからではなくて、むしろありすぎて、何から書いていいのか分からず、自分の感情や状況の変化も目まぐるしすぎて、整理して書けるような感じじゃなかったから。 でもともかく、去る7月7日、予定通りに滞りなく、私たちは婚姻届を提出し、受理され、ほんとうに結婚してしまった。 結婚したことは、する前とは違う安心感や連帯感を確かに生みはした。 けれどもそれだけで、心の距離が急に縮ま

    • ひとりごと

      だよね。薄々、わかってた。ほんとは。 対話すべきは相手とじゃなく、誰か他の人でももちろんなく、自分自身となんだってことは。それを、避けているんだってことは。 誰かと過ごしたかったのは、一人が落ち着かなかったのは、たぶんきっと、そういうことで。 自分と向き合うことから目を逸らしたかった気持ちがあったんだろう。 幸せな気持ちが、ないとは言わない。それが嘘だとは思わない。 でもここまで敢えて、ややこしい関係を選び続ける自分の業的なものが何なんだろうと思う気持ちも心のどこかにはあり。

      • 【ブログ】43歳、ゲイと結婚することにした

        自分で自分のしようとしていることの先が見えないので、ブログというかたちで吐き出しながら記録してみようと思う。 40代の婚活は厳しい。素敵な人になんてそうそう巡り会わないし、それ以前に、結婚はしたいけどそんなに恋愛はもうしたくない。 そんな思いの40代独身女性は、こんにちそんなにめずらしい存在ではないのかなと思う。でもだからといって、私のような選択をする人はきっとそんなに多くはなかろうと思う。色々あって、このたび私はゲイの男性と友情結婚をいうやつをしようとしている。 いや、

        • ヤマトさんのこと

          ヤマトさん。敢えて実名で書く。 私の前の会社での先輩で、ヤマトは名前ではなく苗字で、男性ではなく女性で、年齢は私の2つ上。 一昨年の3月に、ガンで亡くなった。 私が前の会社に採用されたのは、ヤマトさんが私を推したからだとあとになって本人だったか、別な人だったか忘れたけれど教えてもらった。 確かに、ヤマトさんはなぜか、本当になぜか、入社当初から私に色々な話をしたり、色々な場所に誘ったりしてくれた。 それはすごくありがたかったし、私も会社でいちばん歳の近い先輩であるヤマ

        【ブログ】43歳。ゲイの人と結婚しました。

          母親と恋人

          この両者だけが、つねに非常に不愉快な言葉を投げつけてくる。 ほんとうによく似ていると、最近になって気づいた。 「思いやりがない」「感謝がない」とか、あと何だっけ、 ともかくそういう、ぐさりと傷つくことだ。 そんなことを人に言う方がよっぽど、思いやりがないではないかと思ったりもするが、彼らは決まって、決して折れない人たちなので私は言わない。 そもそも、そういった言葉を言ってくる以前から、あれが気に入らない、これがなってないと言われ、それに対して反論するのを諦め、無言でや

          母親と恋人

          屈託のない人に憧れる

          ものすごく屈託があることにかけて、自信がある。 コンプレックスがあり、その裏返しでの承認欲求があり、数々の屈折がある。 意識的に明るく振る舞っているにすぎないだけで、「屈託ない」などという言葉には程遠い人間だという強い自覚がある。 だからこそ、自意識の低い、屈託のないタイプの人にものすごく憧れるし、かなわないという敗北感がある。 ねたましくも、うらやましい。

          屈託のない人に憧れる

          あと10年

          なぜか突然、思ったのだ。 あと10年、悔いのないように生きられたらいいな、と。 仕事も、プライベートも、やりたいことを惜しまずやって、人への好意や気持ちも出来るだけ出し惜しみせずに出して、そうしてあと10年生きられたら、充分に幸せな人生と言えるのじゃないか それなりに精一杯、与えられた命を全うできたことになるのじゃないか、って

          あと10年

          ここだけのはなしのつづき

          恋に恋していた頃から、20年以上の時を経て。 もう十分すぎるほど大人(むしろ中年)だし、経験も積んで、本質は変わらないまでもさすがにあの頃と同じではない、と、思っていたのだけれど。 なかなかどうして、結局同じなんじゃないかという気がしている。 驚くべき進歩のなさ! 今まで何して来たのだろうか。。。 誰かをいいな、と思うと、誰かにその人の話をしたくてたまらなくなって、周りの人がその人をどう評価しているのかを知りたくなってしまったり。 幸い?な、ことに社内の人であるから

          ここだけのはなしのつづき

          ここだけのはなし。

          もうアラフォーだよ。いや、有り体に言ったら40代だよ。 それでも、ひとを新たにいいなと思ったりするんだな。 それも、唐突に。 きっかけは分からない。ずっと身近にいて、知っていた人で、今までは何とも思わずにいて。 それどころか知り合った当時は、ぶつかり合って、むしろ苦手な方だった。少なくとも私の方は。 相手はその頃からずっと、今に至るまで変わらず、何とも思ってないのかもしれない。 いつの頃からか、周りに仲良いねーとからかわれるようになっていて、でもそれはもはやネタの

          ここだけのはなし。

          決して言えないこと

          言えることより、言えないことの方が本当は多いし、 言えないことの方がずっと切実で、リアルで、大切。 例えば今の私の恋人には妻子がいるし、私はかつて子供を堕したことがあり、私の父は母に殺されたかもしれなくて、私はそんな母を決して許さないと思っているし、そんなわけで家族とは断絶している。そんなこと、人には言えない。し、言ったところでどうしようもない。 そのひとつひとつについて、詳しく語ろうと思えばそりゃ、語れる内容はあるにはある。なぜ子供を堕したのか。父がなぜ、死んだのか。

          決して言えないこと

          ひとりごと

          ずっと、心にためてた。 本当に、ずっとずっと。 もう書かないと、心にきめたかのように。 父親が亡くなってさえも、私は何も書かないできたんだった。 でも、本当はずっとずっと、心にたまり続けてたんだと、思う。 書きたい以上に、読みたかった。私は私の言葉を。 父親にも、母親にも、自分自身にも、亡くなってしまった先輩にも、伝えたい言葉が、残したいメッセージがあった。 お父さん。ごめんなさい。 私が、間違ってた。 亡くなられて、そのことに気付きました。 痛恨の極み、

          ひとりごと

          お父さんのこと。

          ごめんなさい。お父さん。ごめんなさい。 あんなふうに、死なせてしまったこと。 私たちが、死に追いやったようなものだよね。 追い詰めてしまった。 死なれるまで、自分のしていることに気づけなかった。 お父さんが死んだことで、まるで霧が晴れるように、全てがクリアになった。 なんという皮肉。 でももう取り返しがつかない。 お父さんはもういない。 いなくなって、5年も経ってしまった。 もう二度と会えない。 あともう少し、生きていてくれたら、和解できたかもしれなかったと思う。 でももう、

          お父さんのこと。