ここだけのはなし。

もうアラフォーだよ。いや、有り体に言ったら40代だよ。

それでも、ひとを新たにいいなと思ったりするんだな。

それも、唐突に。

きっかけは分からない。ずっと身近にいて、知っていた人で、今までは何とも思わずにいて。

それどころか知り合った当時は、ぶつかり合って、むしろ苦手な方だった。少なくとも私の方は。

相手はその頃からずっと、今に至るまで変わらず、何とも思ってないのかもしれない。

いつの頃からか、周りに仲良いねーとからかわれるようになっていて、でもそれはもはやネタのようなもので、そう言われたからと言って、何か思ったわけでもなかった。

でも、何かあるときふっと思い返したら、いつも顔を合わせるとなんだかうれしそうで楽しそうで、いいかげんなわりに、私が何げなく言ったことちゃんと覚えていて、よく考えてみたらそんなに感じ悪くないな、と思った。

あ、いいな、と自覚的に思ったのは、ある時同じエレベーターに乗っていて、他にも人がいる中で、ふざけて後ろから押してきたとき。

もーちょっと何するの!と言いながら振り向いたとき、すごく無邪気に楽しそうな表情だったのを見て、あ、この人は私に好感を持ってくれているんだということを認識したような気がする。好感というのは、恋愛とかそういう意味ではなくて、もっと広義の、人として、みたいな意味だけど。

それで、いいなと思ったのかもしれない。

ただそれだけかもしれない。

おもしろいものだよね。そんな些細なことで、気持ちが変わるなんて。

若い頃なら、自分のなかに芽生えた気持ちに動揺して、悩んで、こじらせて、おかしなことになってただろうな。

今まではずっと、そんなことばかりしてきた。

すごく単純で惚れっぽいくせに、その気持ちを取り扱うのが恐ろしく下手で。

でももう、私もいい加減、大人になった。

本質はもちろん変わらないけど、あの頃よりは、肝は座っている。

悩まずとも、心の赴くままに任せればいい。自分が動きたければ動くだろうし、動かなければ、それはそれまでのこと。

私が、ついこのあいだまで好感を持ってもらってることなど認識していなかったように、向こうだってきっと、私の気持ちの変化など感じようもない。

別に鈍感なわけではなくて、ひとなんてそんなものなのだ。

そして人間歳を重ねれば、大切なことや、ものや、時間はたくさんある。

守りたい生活だってある。

それが当たり前だし、自然なこと。

誰かをいいなと思ったからって、そのために全てを変えたり、捨てたりなんてできないし、しなくたっていい。

そんなこと、求めても仕方ないし、求められても応えられない。

いいなと思う人がいて、その気持ちをちょっと持て余しながら、

夏の暮れていく空を、1人で見ている。

今は夏期休暇の真っ最中で、連絡を取ることはもちろんできず、だから、どうしているかなと少しだけ、もどかしいような、切ないような気持ちで。

けれどあと1週間もすればまた仕事が始まり、今はテレワークで毎日会うわけじゃないけれども、また連絡を取ることもできるし、連絡を取らなかったとしても、会社が動いていればいつでもコンタクトできる状態でいられる。

そのうちに、やっぱり錯覚だったと思うかもしれない。そうして何もないまま、フェードアウトしていくかもしれない。

私に恋人がいるように、向こうにも新しいパートナーがいるかもしれない。まだ今は、何も分からないし、何も決められない。

ただ、ただ私は、一緒に話したりくだらないこと言い合ったりしていたいくつかの時間に、すごく楽しくてキラキラした瞬間があったことに気づいて、それってお互いに好意がなければ存在しないものだよね、と気づいただけのことで、結果がどうであれ、その存在の事実は変わらない。

そして、私だってそれに気づいたのがごく最近のことなのだから、相手が感じていなかったとしても何の不思議もないのだ。

お互い気づかないまま通り過ぎて、別な相手を見つけることだってありうる。

それは裏切りでも何でもなく、そんなこと普通に当たり前に、ある。

私だって、たまたまこのタイミングで気がついただけのこと。それまで、あれだけ周りにからかわれていても、何とも思わなかったわけだから。

もしかしたら、ちょっといいかもしれないな。

それ以上でも以下でもなく、過不足なく受け止めておこう。

自分の、正直な気持ち。気づいてしまった変化に。

暴走しないためにも、それが大切。

懐かしい。学生の頃、片思いの相手に会えなくて、夏休みが切なかったことを思い出す。

必死で家を調べて、偶然ばったり会わないかなって、近所や立ち寄りそうなところを、炎天下自転車でぐるぐる回ったりしたな。

あの頃夏休みは40日もあって、それが長くて長くて、途方もなく感じてたっけ。

今、夏休みは長くても10日くらいで、休みはいつも、溶けてしまうかのようにあっという間だった。比喩でなく。

それが、こんなふうにちょっと持て余す気持ちになるなんて、本当になん年ぶりのことだろう。 休みが明けるのが、待ち遠しいような気持ちなんて。

今を、存分に味わおう。

こういう切なさとか、もどかしさとか、そわそわする感じとか。

たぶんもうこの先、何度も味わえるものじゃないよね。

これ自体がすでに特別で、贅沢なものなんだろうな。

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