ここだけのはなしのつづき

恋に恋していた頃から、20年以上の時を経て。

もう十分すぎるほど大人(むしろ中年)だし、経験も積んで、本質は変わらないまでもさすがにあの頃と同じではない、と、思っていたのだけれど。

なかなかどうして、結局同じなんじゃないかという気がしている。

驚くべき進歩のなさ! 今まで何して来たのだろうか。。。

誰かをいいな、と思うと、誰かにその人の話をしたくてたまらなくなって、周りの人がその人をどう評価しているのかを知りたくなってしまったり。

幸い?な、ことに社内の人であるから、共通の知人には事欠かない。

同性からの評判はともあれ、彼をよく知る社内の女性からの評価は、

圧倒的に「チャラい」というもの。。

確かに。言われてみれば、確かにそうだ。的確だ。言い得て妙。まさに。

この「チャラい」というやつ、若い頃から一貫して私は、これに対するセンサーがものすっごく鈍い、いや、ぶっ壊れてる、備わっていない?レベルに、ない、のだ。

言われてみれば確かにその通りだ、と思うのに、気づくことができない。

ひどいときには当の本人に「俺、チャラいって言われるんだー」と言われても、あまりピンと来なかったこともあったくらいに。。

とはいえ、年を重ねるごとにそういうタイプの男性と出会ったり関わったりする機会は減っていっていた。

そもそも、同業や社内にはそういうタイプの人は少なく、30代以降のいわゆる婚活市場にもいないタイプなので、すっかり忘れていた。

40すぎて、まさか再びこれを思い出すとは思わなかった。。。

チャラい人にチャラいという意識を持たずに接しられるというのは、ある意味、何か特異な資質だったりするのだろうか。。。

今のところ、何一つとして役に立ったことはないけど、、、、

ただ、そう聞いて私が思ったことは、あんまり、良い相手じゃないな、、、ということだ。

別に、誰もが羨む好青年じゃなきゃとか、そんなこと思っているわけではもちろん全然ない。

例えばそれが、ちょっと変わり者だとか、癖があるとか、好き嫌いが分かれるとか、そういう類の評価ならば、たぶんなんとも思わなかった。

でも、20代ならいざ知らず、40すぎて女性から見て「チャラい」というのは、どうなんだろう、という気がしてしまう。。

自分がそれに気づけないからこそ余計に。

40すぎてもまだまだ遊びたいようなタイプと関わるのは正直、しんどい。

自分の気持ちは大切だけど、理屈で割り切れるものでもないけど、それでも今更、そういうタイプを追いかけたいという情熱はないし、年下ならともかく同い年だけに、良い年して、、、という思いもある。

それにたぶん、私は彼の仕事を楽しんでいる感じなところが唯一、共感できるところであって(それでいて熱すぎないところも)、それ以外の面にはもしかしたら、あまり共感できないかもしれない。

そして女性陣が「チャラい」と感じた面を私は「人懐こい(物怖じしない」と受け止めていたのかもしれなくて、その時点であまり、本質を見れていなかったのかもしれないな、とも思う。

10代の頃から進歩のない恋愛だとしても、それくらいの冷静さはさすがに持てるようになった。でもそれにしても10代の頃、40すぎても自分が同じ気持ちになるなんて、夢にも!思わなかった。

例えば会社の階段越しに、何気なく会話を交わしたあの瞬間は、学校の廊下で休み時間に好きな人と会話できた、あのシーンと同じような気がした。全然違うのに。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?