決して言えないこと
言えることより、言えないことの方が本当は多いし、
言えないことの方がずっと切実で、リアルで、大切。
例えば今の私の恋人には妻子がいるし、私はかつて子供を堕したことがあり、私の父は母に殺されたかもしれなくて、私はそんな母を決して許さないと思っているし、そんなわけで家族とは断絶している。そんなこと、人には言えない。し、言ったところでどうしようもない。
そのひとつひとつについて、詳しく語ろうと思えばそりゃ、語れる内容はあるにはある。なぜ子供を堕したのか。父がなぜ、死んだのか。なぜ、母が殺したのではないかと思うのか。
けれども、私はそれらを隠して、楽しげに笑って、当たり障りのないことを話して、生きている。
でもそんなのみんなそうでしょ?誰も本当のことなんて、語らないよね?
核心には触れない。触れさせない。
それをずるいとか、いいかっこうしいみたいに言う人もいるけど、そんなことない。誰にだって、触れられたくないことはあるし、見せたい自分だけを、見せたいのだ。その裏を暴く権利なんて、誰にもない。
私は賑やかに見えて孤独だし、明るく見えても暗いし、ポジティブに見えてもネガティブだ。
周りの人が知っている顔なんて、ほんの表面でしかなくて、でもそれは私の意志でそうしていることで、周りが無理解なわけでは決してない。
言ってないことなんて山ほどある。そしてそっちの私の方が本当だ。
それでも、表面の私を見て評価してくれたり、信頼してくれたり、仲良くしてくれたりする人たちのことを、大切に思ってないわけじゃないし、感謝してないわけじゃ、全然ない。
社会的にはそういう人たちによって、私は生かされている。
会社に所属して、仕事や立場を与えられて、様々な環境や仲間や、情報を与えられることで、私は社会の一員として認められている。
会社はいいことばかりじゃないけど、うまく使えばいい場所だ。私はそう思っている。
最低限のルールを守って、要所を抑えて周りの人に迷惑をかけないように振る舞えば、ある程度は自由になれる。
ある程度の自由があれば、私は楽しくやれる。
過去は、私だけのもの。どんどん増えていく宝物。
今、私を内側から支えてくれているのは、今はもういないたくさんの人。
父親。お世話になった先輩たち。私を社会人として育ててくれた人たち。
社会人という人格を得て、私は少し、楽になれたような気がしてる。
建前で生きれるようになったから。建前は鎧。本音をさらさなくていい。
若い時は、利害関係のみの人間関係なんて空しいと思っていたけど、
今はその方がわかりやすくていいと思ってきてる。
センチメンタルは封印した。
数字と、結果と、明快に言葉にできることだけ。
悪くない。決して、悪くない。
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