ひとりごと
ずっと、心にためてた。
本当に、ずっとずっと。
もう書かないと、心にきめたかのように。
父親が亡くなってさえも、私は何も書かないできたんだった。
でも、本当はずっとずっと、心にたまり続けてたんだと、思う。
書きたい以上に、読みたかった。私は私の言葉を。
父親にも、母親にも、自分自身にも、亡くなってしまった先輩にも、伝えたい言葉が、残したいメッセージがあった。
お父さん。ごめんなさい。
私が、間違ってた。
亡くなられて、そのことに気付きました。
痛恨の極み、という言葉が、これほどしっくりきたことは今までなかった。
後悔しかない。本当は。
そして自分の、愚かさを恥じました。
それでも一見、全然平気な顔をして、私は今日も生きています。
お父さんがいなくても、確かに私は生きていける。やっていける。
それでも、後悔は消えないし、ふとしたときに思い返す。
なぜ私は、間違ってしまったのかな、と。
そして母を思います。
許せない、とかではもうないけれど
きっともうどちらかが死ぬまで、わだかまりが消えることはないし、歩み寄ることもないのだろうし
私よりも、母の方が、決して水に流すことはないだろうという確信。
母は、そういう人。
人を許すことができない人。
お母さん。
この先もう二度と、笑いあえる日は来ないのだろうけど。
それでいいとおもっているわけではないのだけど。
でも、結果的に、お父さんを死に追いやったのは、お母さんであり、私たちだったのだと、私は思う。
そのことだけは、どうしても譲れない。
その思いを共有できない以上、表面上だけの家族付き合いをする気にはなれないし、おそらく本当の意味で心が通い合うこともないと思う。
結果的にお母さんに振り回されてしまったそとは、私にも落ち度はあったと思う。でもだからこそ、もう二度と、私はお母さんに振り回されたくないし、影響されたくない。
そのためには、距離を置くことが必要なんだと思う。
私たちはひどいことをしてしまった。
取り返しのつかないことを。
私は、そう思っている。
きっと、いじめをして殺してしまった人は、こんな気持ちになるんだろうな、と思う。
私たちのしたことは、そういうことだった。
決して、罰せられることはないし、責められることももうない。
それでも、したことは変わらないし、消えることはない。
そしてそうである限り、もうお母さんと前のようには戻れない。
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