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アンチは、噛みつきたいんじゃない。彼らにとっての正義にまっとうなだけなんだ

「お前はダメだ」

言葉を私にかけてくる人々。その時そのメッセージで傷ついた私がいること。それは紛れもない事実。

正直、おめでとうと言われた言葉より、私を傷つける鋭利な刃物の方を持った方が私の記憶には残る。

私を応援してくれるコメントより、私は否定する言葉の方が私の記憶にはしっかりと残る。そしてその言葉が私も少し気にかけている言葉だったりすると余計私を責めるようになる。

どんな言葉だって受け手によって「凶器」に変化することがある

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彼にとって、私にかけた言葉は人生を変えるほどもとても大きなものではなかったのかもしれない。ただ私は彼の言葉を忘れられない。多分これから一生忘れない。

あそういう意味では私は記憶力が良かったのかもしれないけど。傷として永遠に私の中にその言葉は残っていく。

その一言の言葉で涙を流した。

私は人より感情豊かだ。私は傷つきやすい。私は人一倍言葉に敏感である。


だから、私はその言葉で私は怒りに狂った。
怒らなければ私は私は守れないと思ってしまったから。

Twitter上ではどの言葉も全て平等に見える。 リアルでは響く人の言葉と響かない人の言葉がある。それはいろんな情報からその人を判断し私がその言葉を必要かどうか判断できるからだ。

だけど Twitter 上では違う。 言葉が先に私の所に行ってくる。その言葉を一度解釈した上で、その人の性質を探っていくことになる。 SNS は匿名でも全然いい世界だからその人を全然知ることができないままかもしれない。

だけど私はその言葉を一音の良い意見だとして受け取るしかない。だってその人の言葉を受け入れなくてもいいと言う要点が見つからないから。

「ありがとう」

感謝の言葉で素直に嬉しいと思う人もいるのかもしれない。大抵の人はそういうイメージをする。

だけど、 環境によってはそのありがとうが 嫌味で言われているありがとうに聞こえてくることだってある。ありがとうの言葉を否定的にとらえるなんて被害妄想なのかもしれない。そう思う人だっているだろう。だけど実際にその言葉で傷つく人がいる。

その言葉で永遠に傷がついたままだった人もいる。

言葉だけを見れば、いい言葉。誰かに感謝を伝える良い言葉。だけど、 言葉はツールでしかない。言葉を投げている人と、受け取る人によって、 解釈が180度違ってしまうということもある。

私の心を傷つけたアンチの言葉は、彼の言葉は周りの人の幸せを願ったやさしさに溢れた言葉だった

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彼は優しさの塊だった。

ただ彼は本当に素敵な人だった。文字にしている人に敏感で、そして友人を思いやるすごく素敵な人間だった。だからこそ彼なりの正義感が強かった。

彼の友達と私は同じ大学生。なのに私は優雅にお金稼ぎをしているようにみえたのだろう。

正義による制裁だったかのようにわたしは見えた。

今回のアンチは、彼なりの正義を持ったアンチだった。彼の周りの人を大事に思うが故に私に向けた出た言葉。

彼は、他の誰かを守るために私に否定的なリプを送った。それは彼なりの正義だった。きっと。

わたしへのきつい刃は、彼の周りにいる友達に対してのせめてもの優しさだった。

でも、その優しさはわたしにとっては大きな斧としてわたしに刺さった。

Twitter では140文字しか打てない。その言葉の背景を全くと言っていいほど理解できない。だって発信してる人のほうが少ないんだもん。 それも自分のことを自分で発信していると、自分都合で話を進める。

それは、いいことか悪いことかそういうことをここで問いたいわけじゃない。

ただ、SNSは 自己解釈で発信するしかない。そしてその解釈がいろんな人に 正確に伝わるとは限らない。私は私の正義で発言をし、言葉を大事にしている。

そう、つまり、自分は自分勝手に発信するしかない。

だからこそ、 私の言葉を私の意図とは違う風に解釈する人がたくさんいる。

そして他人の言葉を、違う風に解釈する私がいる。

だからこそ、言葉というのはとても難しい。


SNSの「言葉」で深く傷つかないために自分を強く持っていなければいけない

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どんな時でも言葉を前向きに捉えることがすごく大事である。でも人間の感情ってそんなに簡単にはできていない。先にはネガティブな言葉として受け取ることはたくさんあるし、 被害妄想だってたくさんしちゃう。

それは言葉だからおこる感情であり、言葉だから生まれてしまう感情なのだ。

言葉に対して免疫力を持っていないといけない。

言葉は手を出してこない。
言葉は心を傷つけるのかもしれない。だけど、体を傷つけることはない。

だから、言葉を「言葉」として消化することが大事である

誰しも自分の感情は簡単にコントロールできるわけじゃない。だけど、その感情をどう受け止めるかは少しだけ変えることができる。

だから、私に向けられた言葉で自分が傷つきそうになったら、言葉を「言葉」として捉えることを意識する。言葉は私を肉体的に傷つけることはないし、私の他のコミュニティに害を与えることもない。

だから言葉は以上でもそれ以下でもなく、単に言葉のまま受け取るべきだと自分に言い聞かせる。

そうやって言葉をわたしに消化する。消化不調にならないように、気をつけながらそっとする。

そして、その言葉がうまく消化できないときは、言葉から一瞬離れてもいい。きっとうまく言葉を消化できない時は、自分自身に自信を持てなくなるとき。

自分が壊れてしまうぐらいなら、他人の言葉を受け入れなくていい。

言葉を受け止めると簡単にみんなはいうけど、実際そんな簡単なものじゃないし、わたしはわたしなりに、その言葉と向き合わないといけない。

そして、「言葉を受け止めよう」と簡単にアドバイスをしてくる人の言葉を簡単に受け入れなくていい。なぜなら、わたしが受け止めようとした時に受け止めきれなくてわたしが壊れたとしてもその言葉を言っている人はわたしを助けてはくれないから。

だから、必ず受け止めなきゃいけない言葉なんてこの世には存在しない。無視すればいいんだよ。無視。

もうなかったことにしよう。その言葉をみてしまう前に心を戻そう。
それでいいんだよ。大丈夫だよ。あなたはあなたを責めなくていいんだよ。


自分を持って生きていくべきなんだ

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みんな優しさで生きている。ただその優しさが誰かを傷つけることがある。

「あなたのためを思って」言葉をかけてくる人がいる。
でもその言葉が必ずといっていいほど、あなたのためになるなんてわからない。

あなたが成長することを思って声をかけてくる。でもそれはエゴかもしれない

日々頑張ろう頑張ろうと思って行動しているつもりなのに、 ふと見たくない辛い現実を目の当たりにする。でも行動するしかないから行動しまくってる。

頑張ってるつもりなのに、 それが自己満足で終わっているかもしれないと思うと不安に駆られる。

そんな部分を今回強い刺激的な言葉で指摘された。それが非難に聞こえた。そして傷がついた。

わたしは、私のことに100%自信をもてるわけじゃない。だからこそ斧がささったんだ。

アンチといえども、 私に興味を持ってくれた人。その中で私を少しでも知ろうとしてくれた人。私が本当は間違っているのかもしれないし、 それを正してくれる良いアドバイスだったのかもしれない。

そう思うと「アンチ」という言葉で彼の言葉を全力で否定できない私がいる。

アンチからもらった言葉は私が心に思っている本当は見たくない自分なのかもしれない。だから深く傷つくのかもしれない。そして、その傷は永遠に言えないものになったのかもしれない。

私が本当に見ないといけないものだったのかもしれない。だけどそれで私は私の自信を失うべきじゃない。

だって、私の言葉で救われた人がいるから。私のことを応援してくれる人がいるから。

私は日々全力で生きて、死ぬまで走り抜けたい。

言葉はツールであり、そのツールは大きくいろんな形に変化する。だからこそ慎重に取り扱うべきなんだ。

言葉は、

自分を守るために使う最大の武器である。
相手を助けるための最大の武器でもある。

自分を傷つけるための最大の武器である。
相手を傷つけるための最大の武器である。

言葉を大事にして今日も生きよう。

P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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