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なにが”運命の恋”だ

学生時代から7年ぐらい付き合っていたカップルが「婚約しました」ってインスタを投稿していて、うわあ運命じゃん凄いなあと思った。

と同時に、「そんな凄い運命的な恋、できてない(できそうにない)や」って、ひとり落ち込んだ。


いろんなドラマがあって、それぞれに偶然性とかストーリーの美しさがあると思うのだれど。愚かな私は無意識に、そういうのを「運命ランク」として、自らがした恋を較べる基準にしてしまう癖がある


”運命だ”と感じるよりも先に、”運命であれ”と押しつけていた。


誰かと付き合うと、「何か合わないな」と違和感を感じる。
そして「もっと運命の人がいるはず」と考えた末に別れる。
この一連のプロセスの中には、「私達、合っているはず…だよね?なのに?」と、答え合わせをしてる時間がきっと内包されている。

この考えに至ったきっかけは、結構タイムリー。
デート中に、恋人のスマホにマッチングアプリの通知が現れた事件。流石に怒ったし、「や、今は全然やってないからさ」みたいな言い訳も捻りつぶしたくなるぐらい胃がムカムカしていた。
というか、私のことを十分すぎるぐらい大切にしてくれていると感じていた今日この頃は、なんだったんかい…とガックリした虚無感こそ半端なかった。

でも。冷静になってみたとき思った。

私達は別々の人間で、それぞれの生活や考えがあって。
そんな中たまったま付き合いましょう!って流れになっただけの関係で。
なのに、あれやこれや自分の思った通りの運命の人であれ!みたいな風に思ってるのも、また傲慢な話なのかもよ。
と。


明日にでも壊れそうじゃん

今回の場合、

①自分のことを十分大切にしてくれていると実感する瞬間がいくつかあって、それだけに幸福感を感じている私。
②その幸福感をくれていて、でも裏では何をやってるのか(浮気してるかも)分からない彼。

①②の2人がのほほんと一緒に過ごしてきたこと自体、阿保らしくて不思議な話だ。

でも、「別れちゃおうかなあ」という考えがよぎった時、私はまた思った。


その”不思議さ”って街の喧騒みたいにごく身近なものだと。明日壊れるんじゃないかってぐらい脆くて、日々感じる不幸せみたいなものでもあって。
でもそのノイズみたいなものの上にグラグラしながら成り立っているのだから、全ての恋が「運命」なんじゃないかと。


結論。
普通な恋も辛い恋も阿保らしい恋も…
全部全部「運命」で、特別な「運命」はない。
そんなことより、今を楽しめればそれで勝ち。


これが最近の大きな収穫だ。



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