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アンクル・トムの小屋から思い出す母のこと

もうすぐ母の日。

つい最近、思い出して、図書館から借りて手元に置いた本。
アンクル・トムの小屋。

思い出せば、母からいろんな影響を受けた。

母は幼い頃、感受性が強かったらしいということを、伯母からは伝え聞いていた。思い返せば、母はいろんなことを私に伝えてくれた。

「アンネの日記」という本も買ってきてくれた。
元々、私にそういう素養もあったのかもしれないけど、それを満たすかのように、母は私にいろんな本を買い与えてくれた。

幼い頃、社宅から一戸建てに引っ越した理由も、母は幾度となく、「遊ばせてあげられる場所に住みたいなと思ったから。」と言ってくれていた。

たくさんの愛情を注いでくれた。

大人になって、自分の考えが出てきて、相反するところも多々あるけれど、今、こうして、一冊の本を手に取ったことで、母を思い出せる幸せを感じられていることに、私の心は満たされていく。

昨日、スタエフで今現在の日本の情勢について語る機会をいただいた。
歴史を紐解けば、どこまでもどこまでも、今に至る要因は発見できる。

外に原因を求め、それがどうだからと思えることは無数にある。

ふと、ヴィクトール・フランクルを思い出して、youtube動画を見た。

「それでも、人生にYESという」

次の世代に伝えたい。
そして何より自分自身に伝えたい。
どんな状況でも、(私はそんな過酷な状況は体験していない、まったくの甘ちゃんではあるが)、そこから自分を成長させる何かを見出し、つかみ取れる自分であり続けたい。

きっと、きっと、母は、そのマインドを引き継ぐべく、私に命のバトンを手渡してくれた、そう思った。

自分が自分でどっぷり浸りきるのではなく、自分をどう使って生きるのか。

限りなく、私が私を生かしきること。

私が、子供の頃に出会って、今でも気になるもの、今後のために列挙。
ベルサイユのばら。(オスカルになりたかった。アンドレみたいな男性に憧れた。)
星の王子様。(ストーリーは全くわからなかったけど、なんとなく、悲しいような、さみしいような、切ない印象があった。)
アンネの日記。(なんでこんなことが起こったのか、いま彼女が生きていたら、どんな風になっていたのか、何度も何度も、彼女の年齢を計算した。)
アンクルトムの小屋。
ルーツっていうドラマ。(幼過ぎて全く内容は理解していないけれど、ずっと、気になっていて、大学の時の、模擬授業で取り上げた。)
ピアノ。そう言えば、母は私にいつもクラシック音楽のレコードを聞かせてくれた。そしてその時気になっていたメロディのほとんどがショパンだった。そしてそのショパンからポーランドのことも気になった。
第二次世界大戦の呼び方。

人生50年と言われた昔。
なぜ、今人生100年時代と言われるようになったのか。
この日本で、それが可能になっているのか。
私の個人的に思うこととして、人生を、しっかり振り返り、思い出し、自分自身の人生に、本当に納得して終われるチャンスを与えられているのではないかという理由ではないだろうか。

ここまで生きてきたから、母への思いが見えてくる。そして、母が存命しているから、そのキャッチボールが出来る。それを堪能して、味わい尽くして、この人生に、本当にありがとう、と心の底から納得できるんじゃないだろうか。そんな仮説のもとに、日々、いろんな発見を楽しんでいきたい。

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