母のパート先の思い出
春夏秋は、うちの実家は農家だったので、母はずっと農作業をしていました。
父は、日中農業をして、夕方から、地元の大きなホテルのパブの担当課長をしていました。
なので、夜ごはんは、ほぼ、じいちゃん、ばあちゃん、母、わたしと弟で食べていました。(後に妹が生まれます。8歳差)
そんな母も冬はパートに出かけていました。
✅本格的な魚屋さんがパート先
わたしの母のパート先は、地元で有名な大きな魚屋さんで、卸しもやっている様な所でした。
魚も一尾からおろして、柵にしたりするのが母の仕事でしたね。
なので、子供の頃から、すごくいい魚ばかり食べていたので、マグロでも母が持ってくるのは、端っこの集まりだったけれど、とてもいいマグロでした。
だから、市販のスーパーで買うようなマグロはおいしく感じなくなって、いいのか悪いのかでした。
初めて、生きたウニを割って食べたり、生きたエビをさばいた刺身も体験したりと、すごく魚には恵まれていました。
おかげさまで、妻と家庭を持ったときに、スーパーで刺身を買うときなどは、見た感じでよりいいものを選べる様になっていました。
そんな効用も得つつも、母から、教わった魚屋直伝のいかの塩辛のレシピはわたしの宝物だ。
✅母のパート先の休憩室で待つわたし
わたしの実家から、中学校まで12km程ありました。
部活は当時柔道部で、市では強豪校だったので、かなり練習も厳しかったんですよね。
部活の練習もかなり激しかったんです。
さらには、山の上の実家までの帰り道、自転車での山登りでもかなりの運動量になりました。
小学生時代は太っていた私も部活と、その帰り道で、40kg台の体重まで絞れました。
でも、冬の時期は自転車が使えないのでバス通になるのでした。
けれど、わたしは、バスに乗るよりも、中学校から近い母のパート先に行くことが多くなっていました。
その方が、母もわたしと一緒に次の日のお弁当のお買い物ができるので、わたしの好みのおかずを決められるので楽しそうだった。
その母の仕事が終わるまで、母のパート先の女子休憩室がわたしの待機場所となっていました。
母の同僚のおばちゃんたちにも可愛がられ、待っていました。
✅まとめ
こうした、母との思い出の一部ですが書き出してみました。
帰り道に思春期の男子であるわたしと会話ができるのも母の楽しみだったのでは、と今では思っています。
たしかにわたしも子供たちの保育園の送迎時に子供たちの話を聞くのが好きでした。
こんな思い出があるので、生きる力があるのだと思っています。
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