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普段生きていると、いろいろ思い悩む事がたくさんあるかと思います。 どんなに楽しそうに生活をしている人にでも、必ず悩みがあるものです。 それでも、あまりにも過剰に悩みが積み重なっているのも生きづらいものです。 自分の悩みをどう管理して付き合っていくのかを考察してみたいと思います。 1、心を軽くすると言う事心を軽くするというのはどういう状態なのでしょうか。 1番すぐに思いつくのは、やっぱり悩みを減らすことかなと思います。 悩みは心のスペースをある程度取ってしまいます。 それが、
わたしは、これを書いている現在49歳だ。 つまり40代最後の日々を過ごしている状態になる。 流石に、50歳を目前にしているこんな年齢のわたしだと、過去人生にはいろいろな事件が起き、それを通り過ぎて来た。 1、母の死わたしにとって過去最大の出来事というのは、母の死かもしれない。 その瞬間までは、母が居なくなってしまうなんて事は思いつきもしなかった。 わたしの目、もしくはわたし達兄弟の目には、母は生命の源の様な人に見えるぐらいもっと生きる力があったと思う。 1-1、父の病
身近な他人と言えば夫婦関係ですが、世の中を見渡した時に、中々上手く関係がいかない人々の言葉を目や耳にすることがありますよね。 やっぱり夫婦とはいっても、元々は他人であり、違う形態の家庭で育ってきたので、いろいろな判断基準がちがってくるのは当たり前なんですよね。 1、同じ感覚を共有する喜びけれど、夫婦になったのならば、何かしら共感し合えるものが二人にはあるのだと思います。 そうでなければ、一緒に暮らそうなんて覚悟が決まる訳がありませんから。 ふたりの間に共有する共通のものがあ
中年をしばらく生きて見て思う事は、時間はすごく早く過ぎていく事なんですよね。 けれど、その中年って、時間の経過の早さと反比例して、変化させて行く事がとても難しくなっていく感覚があります。 この時代、変化が激しい世の中で生き残ってくのにも、変化する必要が有るはずなのですが、それにも追いついていっているのかが不安になります。 1、時間の経過はものすごく早い一年って感覚で時間の経過を見ていくと、365日なんですよね。 365日って結構多い様に思えますが、現実問題少なく感じます。
わたしはすでに、40代の後半になってしまっています。 けれど、心の中はあの頃の中学2年生のまま、全然変わっていないんです。 だからこそ、この歳を重ねることで付随してくる偉くなるっていう社会的地位が自分自信を誤った見方にしてしまう事があります。 1、未だに弱者だと思い込む強者自分の例でも、そう思うのですが、やっぱり自分では、自分は弱者だと思い込んでいる節があります。 だからこそ、被害者妄想がどうしても剥がれずに、自分は弱者だと思ってしまうんですよね。 それが悪い方向にいくと、
今わたしは40代後半の年齢になりました。 そこで、感じているのは、自分の思考回路がどうも中学2年生の頃と変わっていないなって事なんです。 そういえば、身近で見てきた、弟や妹もだし、自分で子育てした子供達もそうで、どうも、やっぱり中学生の頃に出来上がった人格がそのまま維持されている気がするんですよね。 1、自分を振り返って今、ちょっと心を声を聴いてみると、どうしても考え方の根幹にあるのは、中学生の自分なんですよね。 あの頃に好きだったものは、未だに好きだし、嫌いだったものは同
うちには3匹のオス猫がいる。 それぞれ、うちにやって来た経緯も違うし、性格もまるで違う。 けれど、ケンカをするわけでもなく、なんとなくの猫のコミュニティを作って過ごしている様に見えるのだ。 そんな彼らを見ながら日々を過ごしていると、一緒にいるわたしたちの心にもいろいろな変化があったりする。 1、出会い最初に猫を飼うきっかけになったのが、息子が猫を飼いたいという願いからだった。 そんな時に、猫をもらってくれないかという人が現れた。 家族で会議をした結果、飼おうという事になり、
とかく現代人は忙しすぎるのだ。 仕事と家庭の間に、暇をする隙間がないのが現状だとわたしはみている。 しかも今の人達は、スマホを使ってその貴重な暇さえも潰してしまう。 それは、自分自身で視野を狭めているのに等しい。 本当の暇を取り戻す事ができれば、生きる意味も変わって来るだろう。 1、やるべき事が多すぎる件わたしの青春時代は、忙しい事が美徳とされてきた。 だから、ものすごく働いたし、おまけに今思うとなんの役にも立たない親戚づきあいも懸命にやった。 けれど、それが、わたしの心や
最近よく言われるお豆腐メンタルって言葉がありますが、正にわたしはそれです! わたしの周りでは自他共に認める心が弱い部類の人間になります。 どれだけ心が弱いかというと、うつ病を3回なるぐらい、メンタルには不安があります。 でも、逆にいうと、うつ病になるぐらい物ごとを考え過ぎる人間だとも言えますね。 1、メンタルをやられる最初のうつ病は、仕事が原因でしたね。 わたしがバリバリ働いていた時代は、バブル景気の残り火がまだ残っていて、毎日の様に仕事が舞い込んでくる日々でした。 時には
妻とお買い物に行くと夫しての胆力が磨かれる。 妻のご機嫌を損ねるような変な人がいると、聞こえる様に文句を言うのだ。 一緒にいるこちらの身としてはとても居心地が悪いのだけれど、妻だからしかたなく一緒にいる。(例えるならば、服を着たままプールに飛び込んでびしょ濡れでごはんを食べる感覚かな) 1、うちの妻の状況うちの妻は、キャリア志向で、仕事に力を注ぐタイプ。 そんな感じなので、これを止めると夫婦関係が上手くいかないなぁってあるとき悟ったので、わたしは、仕事を続けながら家事、育児
これはわたしの予想。 超ー田舎に育った(山村とも言う)わたしは、野山以外何にも無い環境だった。 学校の友達もだいぶ離れた部落(通じない場合は地域)に住んでいて、頻繁に遊びには行けなかった。 だから、1人遊びをかなり極めて行きました。 その一つが読書だったんです。 それが、わたしの好奇心の源泉となっているのかもというのが予想です。 1、人生は考える時間が必要だね!そうやって育ったわたしは、とても一日が長かったんですよ。 父母は仕事で年中家にいないし、ばあちゃんが大抵面倒をみて
毎日がなんか辛いなーって思う事って人間ならば、よくありますよね。 ところで、猫の事なんですが。 当然ながら猫とわたしたち人間は、全然違う生き物ですよね。 けれど、わたしたちは、ネズミも滅多に出なくなった現代でも、猫を飼い続けています。 むしろ、現代だからこそ猫の存在がもっと必要になったとも言えるのではないでしょうか? 1、野生ではない家猫っていう存在やつら(猫)は、自分達がかつて野生で生きていた事を忘れているだ。たぶん。 いや、きっとそうだろう。 ま、人間もすでに野生では
たしかに、前世紀時代から比べたら、わたしたちはかなり自由に暮らしているはずなんですよね。 けれど、実感値としては、そんなに自由になった気がしないのが、とても苦しく不思議でなりません。 でもそれを、上手く取り除く方法を見つけた人達が、自由を手に入れるのを、情報として見かけたりします。 1、物質的自由私たちよりも上の世代の人達は、物があればあるほど、自由がやってくる時代でした。 なぜなら、テレビ、冷蔵庫、洗濯機があれば、いままで手動で頑張っていたことが、それらのアイテムに
現在、世界には、7億人もの人がいると言われています。 その中には、上手くいっている人、上手くいかない人の両方いますよね。 多分、わたしはそうやって相対的に見ていくと、上手くいっている方の人間なのかなぁって思います。 よく人は平等がベストだって言いがちですが、実際の世界は平等にはできていません。 こんな世界ですが、どういうい風にわたしたちは生きて行くのがいいのでしょうか? 1、ものさし人は何かを判断するとき、いろんな基準で判断をしています。 いわゆる”ものさし”といわれるもの