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about me 青山倫子とは


  すべての経験はつながっていた。今自分が歩いてきた道を振り返ると、ジグザグに意味なく置かれていたと思っていた点、軌跡が、全て繋がっていたことに気づきます。その軌跡があったからこそ、わたしは今ここにある。 

  わたしのルーツは島根県奥出雲、鳥取県西部、神話の国にあります。意識せずとも、至る所に古事記、日本書紀に書かれたい原風景が残り、目に見えないものへの親近感、存在感は身近なものでした。決して派手な豊かな暮らしではありませんが、この地に根付いている人々の誇りのようなもの、今思えば本来の日本人としての品性のようなものがそれぞれの人に強く残っている土地でもあると思います。
目に見えないものをしぜんに敬い、空を見上げ八雲立つ雲を眺め、大山隠岐国立公園の山、海を見れば手を合わせ万物に感謝をする。和菓子、茶の湯は日常で自他共に認めるあんこ好きはなるほどと思うところです。

  そんなわたしは学生時代から人にとても興味があり、人が好き、関心をもっていました。
大学では幼児・初等教育を学び、恩師にはアスペルガーを日本に紹介した故平井信義名誉教授を筆頭にゼミでは認知心理学の宮崎清孝名誉教授に教えを受け、「人の体の動きから感じられるその人らしさ」が卒論のテーマでした。YMCA日本肢体不自由児協会でのボランティアリーダー研修にてNLP、ディベートを学び実践、そして客室乗務員となりおもてなしの心を心身にしっかりと刻み込み、多くの様座な方々とのコミュニケーションの体験は刺激となり、日本人としての和の心、察する文化、人に対する関心はますます深まったように感じます。

 結婚し、子どもを授かったことは “人としていかに生きる “のかという、大きな学びの機会となりました。
子どもをとおして自分と向き合う、本来の自らのことを知る次のステージ、旅が始まりました。
これは私の人生の中で身体的にとても困難な道でもありました。

 産後の眼圧異常、急激なホルモンバランスの崩れによる体調不良からの産後鬱。当時はまだ産後鬱という概念がドクターにもほとんどなく、あらゆる病院の扉をたたきましたが、どこに行ってもただの疲労といわれ取り合ってもらえない、。身近の人にも相談してもわかってもらえない…医療不信、人間不信、今ならそのことが分かりますが、当の本人には絶望しかありませんでした。そんな体調がすぐれないまま育児を続ける中、産まれた当初から気づいていた子供の敏感さ。よそのお子さんとどうしてこんなにも違うのだろうと悩み、彼女に合う環境をと模索する日々でした。
 そして二人の娘は長きに渡り不登校や心と体がうまくつながらない感覚を体験することとなるのですが、わたし自身が一番辛いと思っていた渦中、想像を絶する辛さを経験していたのは彼女たちだった。余裕のないわたしは周りの人から見たらどんな人に見えていたのだろうとふと思う時があります。

 東洋、西洋医学、いわゆるスピリチュアルなことなど、良いと思われるあらゆることは試す日々、ある日友人からこれはあなたのことじゃない?と渡された一冊の本「繊細さんの本」。その場で一気に読み、その書かれている言葉にこれはまさに私の事!わたしの取説?HSPを知り、娘たちがHSCと気づき、目の前の景色が大きく変わる瞬間でした。そうか、わたしはこの私で良いんだと。

もっと早く知っていればと思うことがたくさんありました。昔のような大家族であれば、地域がより繋がっていれば、先人の知恵を聴き、また互いに頭を突きつけ考えることもできたかもしれません。これまでの道は私自身が経験し気づくためのことでもあったのでしょう。ただ、しなくてよい悩みや苦労もあると思います。これから様々なことを経験する人たちに、同じような思いはして欲しくない。私が経験してきたことを必要としている人にお伝えできる機会があればと、その経験が少しでもお役に立てることを願い、様々な講座を提供していきたいと思います。

おせっかいでいい、お互いさまと言える関係性、それぞれがひとりひとりこの世の中で大切な唯一無二の存在。私自身、多くの方々のありがたいご縁、支えによってここまでやってこれました。程よい距離感で支え合えるコミュニケーション、コミュニティーづくりを目指し幸せなコミュニケションを丁寧につなげていきたいと思っています。


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