なすかに

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最近の記事

仕事のモヤモヤをオーブンで焼き上げる

私は子供の頃から倹約家である。 必要不可欠なものは購入品するけれど、あったら良いものは殆ど買わない。 欲しいか否かではなく必要か不要かで話すから 私と買い物に行くのは楽しくないと、母は嫌がる。 家に一人でいる時は滅多に冷暖房も使わないし 毎日コンビニのコーヒーを買っている人を見ると、リッチだなと思う程に貧乏性である。 そんな私が一人暮らしの時に、譲れなかったのは 高機能の2段オーブンレンジだった。 一人暮らしであればオーブン機能無しのレンジで十分だし 社会人一年目

    • アイドルの力

      財布の紐が硬いアイドルオタク 私は好きなアイドルがいるのだけれど、年に数回ライブに行ったり ライブDVDを見たり、曲を聞く程度の弱火オタクだ。 それこそ、10代の時は出演している番組や雑誌は必ず見ていたし 部屋にどれだけ物があっても困らない実家には ライブのパンフレットや読み返しもしない雑誌の切り抜きを保管していた。 けれど、20代後半になって数回の引越しを経た私の「物の購入基準」は 実用的か否かになっていた。 ライブに行ったらペンライトは記念になってライブ中にも使うし

      • 言葉を自在に操れる人になりたい。

        ネットで文章を公開する理由 20代半ばから、頭や感情の整理のために考えていることを手帳に書き出すようになった。 自分の考えを書くとそれなりにスッキリした気分になるし、達成感を得られる。 でも、表現が曖昧だったり、話の展開が不十分だったりするせいで、暫く時が経った後で読み返すと、理解できない部分があった。 書いてあることは全て自分で考えていたはずのことなのに、だ。 折角、時間を使って書き出してるのだから「いつ読み返しても理解できる文章」を書きたいと思うようになった。現在の

        • おばあちゃんのお墓参り

          私の両親は就職と同時に、親戚が住む高知県から神奈川県に引っ越してきた。 幼少期は家族で年に1、2回、お盆やお正月に祖父母の住むに高知へ帰っていた。 夏休みは2週間から1ヶ月滞在することもあって、6人いる従姉妹ともそれなりに仲が良かった。 中学生に上がると高知に行く機会がぐんと減った。 姉や妹にもそれぞれ塾や部活があり、 父はその頃から、お盆や年末年始関係なく海外出張をしていた。 時を同じくして、父方と母方、両方の祖母が病気になった。 母方の祖父は母が幼い頃に他界してい

        仕事のモヤモヤをオーブンで焼き上げる

          謙遜し続けてたらチャンスは巡ってこない。

          「信じてくれる、支えてくれる人がいる限り、その人達のためにも自信のある自分でいたい。」 私の推しのアイドル達は決まってこのような趣旨のことを言う。 その言葉を聞く度に、彼らには苦しい時もあるだろうに、裏で途方もない程の努力をし続けていることを想像する。 だから私は彼らを尊敬しているし、ファンでいることを誇りに感じている。 先日、アイドルのオーディション番組で「自信がない」とか「諦めていた」と口にしている人を見かけた。 人によっては、それで親近感が湧いたり、庇護欲を掻き立て

          謙遜し続けてたらチャンスは巡ってこない。

          私を救ってくれた海外旅行

          コロナ禍だった2022年8月、新卒から5年間勤めた会社を辞めた。 約1年半、何とかその会社で頑張ろうと奮闘した上での転職だった。 転職の決意を固めたものの、最後までその会社で頑張り続けられなかった自分に対して失望していた。 やっと転職先が決まり、会社から解放されることになっても、私の心は暗いままだった。 私に期待して指導してくれた上司や時間を割いて相談に乗ってくれていた先輩に 恩を仇で返すとはこのことのような気がした。 今でさえ苦しい環境に、私が退職した寄せを受けるであろ

          私を救ってくれた海外旅行

          フランスで私が感じたカルチャーショック

          短期間の旅行でカルチャーショックを受けるのは難しいと思っているのだけど フランスで少し衝撃を受けたことがあった。 蜂を全く怖がらない女の子 コルマールは川の辺りや広場、レストランの入り口、至る所に花が咲いている、とても美しい街だ。花が多いせいか、テラス席のあるレストランが多いせいか、小さい蜂が沢山飛び回っていてテラスで食事をする度に蜂が遊びに来る。 私が座るテラスの隣のテーブルには、子ども連れの家族が座っている。 この日も蜂が飛んできて、女の子のグラスの中に入っ

          フランスで私が感じたカルチャーショック

          パリのかわいいショップ店員さん

          パリオペラ座の近くのPANIER DES SENSというビューティーショップに入った時のことだった。 私がお店に入った瞬間、店員さん達が話す声が聞こえた。 彼女に「何かお探しですか」って聞くんだよ、大丈夫、できる。できる。 と、先輩店員が後輩店員に英語で話している。 What can I do for you? を何度か練習した後、遂に後輩店員が私に話しかけてきた。 想像してみてほしい。 お客さんは自分一人だけ、どんなに小声で話しても互いの声が聞こえてしまう広さの店

          パリのかわいいショップ店員さん

          友達と旅行するということ

          友達と旅行するのは楽しい。 同じものを見て、食べて、経験を共有できる。大切な思い出になる。 でもそれ以上に、友達が大好きになる。 例えば、一人なら絶対に行かないような場所や食べ物を提案される。 本当は少し気乗りしない事もあるけれど、そのおかげで私は新しい知見を得る。 積極的に地図を見てくれたり、次の予定を決めてくれたり、その子がかけてくれる労力に感謝する。 友達の後姿の写真を撮ろうとしている自分に、友達を愛しく思っていることを気づかされる。 そして、私はなぜか一人旅

          友達と旅行するということ

          ワルシャワでの忘れられない夜

          ポーランドに一人旅に行った。 クラクフから電車に約2時間揺られ、夕方ごろワルシャワのホテルに到着した。 ポーランド語がわからないので、何度確認しても本当に乗った電車があっているだろうか、降りたい駅でちゃんと降りれるだろうかと目的地到着まで色々な不安が付き纏う。 だから、海外で列車に乗るのは結構体力を使う。 そして12月のポーランドの夜だ。 マフラーにダウン、手袋にレッグウォーマーというフル装備で挑んだにも関わらず、凍えるような寒さだった。 ホテルに着いたら、空腹だけ

          ワルシャワでの忘れられない夜

          お別れの日

          6月のある日 子育てが終わり、定年を迎えた両親がセカンドライフを楽しむために、関東から四国に戻ることになった。この日、私は生まれてから就職し一人暮らしをするまでの23年間を過ごした実家に別れを告げることになった。 引越し日当日、お見送りのために実家を訪れると、 自分の部屋から見る景色が好きだったこと 夜中に目を覚ますと、寝室の天井の木目が人の顔に見えて怖くて眠れなかったこと 学校から帰ってきたら、カウンターで今日の出来事を親に話していたこと リビングで妹とよく喧嘩し

          お別れの日

          この社会で女でいることが嬉しいのに虚しい

          私は中学校から、大学までの約10年間を女子校で過ごした。 塾にも行かず、中高のまるっきり6年間、女子に囲まれて過ごしてきた私は、 大学生になってからサークルやバイトで、小学生ぶりに男女が共存する環境に出た。 そこで、初めて 社会での女の立ち位置、女として求められる振舞いが存在することを知った。 もちろん、女子校も社会の一部なので周りにウケるキャラというのがあり、皆多少はキャラ作りをしていたとは思う。 けれど、私が知っていた女子校の世界では 世間で言われる女子力が高い子も

          この社会で女でいることが嬉しいのに虚しい

          会社員の父が教えてくれたこと。

          「できない理由よりもできる理由、方法を考えることに集中する。」 ありきたりな言葉だけど、 数年前、この考え方を大切にしなければいけないと 身に染みて理解した出来事があった。 大学時代にイギリスに留学していた時のこと。 イギリスの生活にも慣れた頃、クレジットカードが突然使えなくなった。 日本にいる父がカード会社に連絡をするも、カード名義は私なので、当然 「本人ではないので、お話しすることはできません。」と取り合ってもらえなかった。 これを聞いて私は、「詰んだわ。」と

          会社員の父が教えてくれたこと。