この社会で女でいることが嬉しいのに虚しい

私は中学校から、大学までの約10年間を女子校で過ごした。

塾にも行かず、中高のまるっきり6年間、女子に囲まれて過ごしてきた私は、
大学生になってからサークルやバイトで、小学生ぶりに男女が共存する環境に出た。
そこで、初めて
社会での女の立ち位置、女として求められる振舞いが存在することを知った。

もちろん、女子校も社会の一部なので周りにウケるキャラというのがあり、皆多少はキャラ作りをしていたとは思う。

けれど、私が知っていた女子校の世界では
世間で言われる女子力が高い子も低い子もそれが性格として受け入れられ
天然を演じたり
力が弱いことをアピールしたり
無知でいる(無知なふりをする)ことが良いとしている人に出会さなかった。

学生という同じ立場で、お互いに褒め合うことはあっても
誰かの機嫌を取ったり、何かをお願いするために
相手を褒めたりしている人も見なかった。

それを求められていなかったから。

でも、社会では
ちょっと天然ぽく振る舞ったり
非力アピールをして手伝ってもらったり
知らないふりをした方が、物事を円滑に進められる気がする。

私が知っていた世界で求められていたスキルと実社会で求められているスキルには乖離があった。
女子として求められていることをこなすことはまだ、良い。
私は女子だから求められていないことに直面する方が虚しかった。

インカレのサークルで学祭の準備をしていたある日
テントの組み立てをするのに
「男子これやって〜」という言葉に何重にも衝撃を受けたことを覚えている。

私の知っていた女しかいない世界では、重いテントを組み立てる時
周囲に手伝ってと声をかけて
テントが不安定になりながらも、ギャーギャー言いながら
やっとのことで組み立てて盛り上がるまでが一連の流れだった。

でも、一歩、女子校の世界から出ると、
女の「男子これやって」の一声で
男が動くくらいには、男女でやることが分かれていて、
その言葉に呆然としているのは私くらいで
「(自分は突っ立って見てるだけなのに、誰かに)これやって」
ってそんなに簡単に頼んで良くて
男がささっと、テントを組んでしまう。
そんなことは、初体験だった。

そして少しだけ、悔しくて悲しかった。
「男子!」という呼びかけに、女が求められている作業ではないと悟った。
力仕事をしている男達を見るのは全く楽しくなかったし
かっこいいとも思えなかった。
ただ、騒ぎながら協力して楽しむ機会を奪われた気分になった。

でもだからといって、その楽しみを回収しに行くだけの勇気もなかった。
私だけが一人、男子に紛れて、一緒に力仕事をすると
変わっていると思われそうで怖かっから。

学生期間を終えて、社会人になった今だって、そうだ。

最初に勤めた部署は女性比率が高かったからか
上司は男性だったけど、男女平等に、仕事の話をしてくれたし、
探究すべきキャリアについても話してくれた。

だけど、2社目に入った会社では
男性だけで、大事そうな話をしたり、
上司は男性のキャリアだけ気にかけている。
飲み会では女が好きそうな、グルメや趣味の話をしてくる。

洋服も色も趣味も女子っぽいのが好きだから
まだまだ性別による偏見があるこの世界で女性として生きることは楽だと思う反面、社会から求められている女性像があることが虚しいと思う。

でも、ここまで「虚しい、何か違う」と思っていても、私は今日も言えない。
本当は、上司とは仕事の話をしたいし武勇伝も聞きたくて
グルメや趣味の話なんぞ全く楽しいと思ってないって。
踏み出すのが、怖い。
野望だけあって、達成できないかもしれない自分も怖い。

そうやって、女子というカードを使って自分を守っていることが
女とは何かを感じ取って、概念に閉じこもっていようとしている自分がいることが、一番虚しい。

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